最近の日常

「はあ……」


 週が空けて月曜日。学校の教室に到着し、自分の机に座る。一緒にコンビニ袋の中からおにぎりを出して食べ始める。


 断食二日間の影響がまだ残っていた。とにかく食べた端から短い間隔で空腹感に襲われる。エルガイアとしてのエネルギーを体が欲しているのだ。


 朝からコンビニでおにぎりを十個ほど買ってきた。一つ一つ開封しながらどんどん口に放り込む。

 お茶をごくごくと飲み、口の中に入ったおにぎりをひたすら胃へ流し込んだ。


 正直、気持ちがうだる。ずっと何かを食べてばかりだ。でも腹が減って仕方がない。もう食べるだけでうんざりとした気持ちになる。


 味とかそんなものはどうでもいい。とにかくエネルギーを体が欲していて、それを食べる事で何度も何度も、腹を落ち着かせていた。まるで流し作業のようだ。


「せーんぱーい!」


 二年生の教室に物怖じする事もなく、一年のゆっこがずかずかと入ってやってきた。


「ああ?」

「おはようございます! はいこれ!」


 どすん! と風呂敷に包まれた大きな四角い物体を俺の机に置いた。

 臭いで分かる。から揚げの臭い、脂っこいジャガイモの臭いはコロッケか。他にも野菜も入っている。白米も当然。


 まさかこれ、全部食べ物が詰まっているのか?


「これで精を付けてください。昨日から仕込んで頑張って作ったんですよ」

「いらな――」

「背に腹は帰られないでしょ?」

 おにぎりが入ったコンビニ袋を指差して、ゆっこが有無を言わさず応えてきた。


「う……」 


「それに、食費を全部お小遣いに使ってたら、デートもできないじゃないですか!」

「お前とデートする気はない」


「しっかり食べてくださいね。また今度のようにデートしましょ」

「この前のはデートじゃないだろ」


「じゃあ私も授業があるんので。股お昼に、アデュー」

「お前人の話を聞いてないな」


 最後にゆっこは投げキッスをして小走りに教室を去っていった。


「…………」


 まあ、なんというか。ゆっこはまるで嵐のようだ。すぐにやって来ては場を騒がせて去っていく。教室内のクラスメートの視線を一気に浴びてしまった。


「見てんじゃねえよ!」


 投げやりに八つ当たり気味に周囲に叫び、冷やかしを飛ばしたり、死線を話した相手と、教室内はざわざわとなった。


 くっそー。ゆっこのやつめ。こっそり渡してくっればいいものを……。


 いや、違うな。ゆっこのことだ。俺の教室で俺がゆっこと付き合っているという既成事実を作ったという計算なのだろう。しっかりアピールしていったからな……。


「はぁ……」


 腹もそうだが、頭も重い。


 事実、食費で小遣いが削られているのも事実だ。この風呂敷二通詰まれた重箱は正直ありがたいものだが。ゆっこからという点が、どうしても拒否感が出てしまう。


 だが。


「背に腹は変えられない、か」


 最低でもこの重箱は受け入れるしかなかった。というか。

 逃げ道がなかった。


  ―――――――――――――――

 

 一時限目。

 ぐううぅぅぅ……


 早速空腹感がやってきた。ホームルーム前に買ってきたおにぎりを十個も食べたのに、一時間も経たずに空腹感がやってきた。


 ちらりと、できるだけ机の端に寄せたゆっこの手料理が入った重箱を見る。

 意地でも食いたくない気持ちなのだが。


 ぐきゅるるるる……


 正直、強烈にアプローチしてくるゆっこの愛が重い。半ば押し付けられているようなアプローチ。あいつはもっとちゃんとした女の子らしいアプローチができないのだろうか?


 ゆっこには女らしさ、が全くなかった。皆無と言ってもいい。

 強引なアプローチ。押し付けるような餌付け。周囲に向かって計算で既成事実を発言する。こっちの意図は汲み取らない。ひたすら押し付けてくる。


 どうにかならないものだろうか?


 少しでも女子としての恥じらいとか……なんと言うか奥ゆかしさとか。そんなものが一片もない。


 ひたすらに押して押して、押しまくって来る。


「はぁ……」


 現代文の教科書に視線を戻し、ああ、重箱から美味そうな臭いがプンプンする。


 ぐううぅぅぅ


 腹減った。授業に集中できねえ。

 不意に生唾を飲み込み、重箱の臭いと格闘しながら授業を一心に受ける。


 食ったら負けだ。

 そんな気持ちで一生懸命に空腹と戦い続けた。

 

  ―――――――――――――――


 昼休み。

 結局、授業の合間の休み時間にゆっこの手料理が入った重箱に手をつけてしまった。

 食欲には抗えなかった……。


 味はまあ、コンビニのおにぎりよりかは美味かった。

 なんだか凄く悔しい。


 半分くらい食べた重箱を持って屋上に行くと、すでにゆっこが待ち構えていた。

「はい、先輩。お昼ごはんです!」

 まだ用意してたのか!


「あれれー? 先輩、まだ食べちゃってなかったのですか? 駄目ですよ。敵はいつ来るかわからないんですから、常に万全の状態でいないと」


「うるせーよ」


 なんだかんだでゆっこの隣に座り、風呂敷を広げて重箱に残った料理にがっつく。

 さらに、重箱ほどの大きさではないが、昼飯用の弁当をゆっこが差し出してきて、重箱の隣に置いた。。


「でもうらやましいですねえ」

「何がだよ」

「いくら食べても太らないんですよね?」

「空腹感が辛いんだよ」

「なんかいいなあ……いくらでも食べられるって」

「いやもう、うんざりしてくるよ。食べた先からすぐに空腹になるんだぜ?」

「私だったら好きなものいっぱい食べられて幸せなんですけどねえ」

「この気持ちはきっと分からんよ」

「そんなものですか……」

「そんなもんだよ」


 はあ、と大きくため息をつく。


「あ、でもでも」

 ふと気がついたように、ゆっこが話題を変えた。


「昔のエルガイアも、こんなに食べ物を食べていたのでしょうか?」

「ああ、それならヘックスが言ってたな。人間側につくと同時に最低限の『供物』をもらっていたとか」


「人身御供、って言うのですか? やっぱり少数の人がエルガイアの供物になって大勢の人が助かるなら~って事ですかねえ?」


「だろうな。人間の一人や二人、三人分の食べ物としてのエネルギーに比べたら、こんなから揚げの百個や二百個とは比較にならないほどのエネルギーを摂取できるだろうよ」


「……先輩も、エルガイアの右腕に侵食され続けて、やがて完全なエルガイアになったら、先輩も人間を食べるのでしょうか?」


「俺はお断りだな。人間食うぐらいなら、常時何かを食べ続けるさ」


「でも、ドーパミンの件はどうなるんでしょうか? 完全にエルガイアになるとしたら、その時先輩はドーパミンを体内で作れなくなるのでしょう?」


「その点なら、錠剤や点滴でも打って補給するさ。千年前じゃ分からなかった事だからな。現代の医学ならどうにかできるってよ」


「そっかあ」

 ゆっこが安堵の息をもらす。


「まあ、俺がエルガイアに完全に侵食される前に、戦いが終わる事がベストだな。そうなったら、右腕を切り落としてでもエルガイアの侵食を止める。本体である右腕を失えば、多分侵食される事はなくなるかも知れない。体の侵食された部分も、右腕がなくなれば、体細胞のサイクルでやがて正常な体に戻るだろう……大学病院の主治医からの受け入りだけどな」


「右腕、無くなってもいいのですか?」

「仕方の無い事だ。最初のあの時に、エルガイアの右腕が無ければ、俺は右腕どころか命すら危うかったんだから」


「……肝が据わっているというより、なんだか覚悟、をしているように見えます。先輩」


「俺だって馬鹿じゃない、色々考えるさ」

「……そうですか」


 ふと、思いついたことを言ってみる。


「片腕の無い旦那は好きになれないか?」

「えっ!」

 ゆっこがびっくりして背筋がビンと伸びた。


「えっ! ええ! えと……あと、んと、ええっ!」


 ゆっこが口をパクパクとさせて慌てている。

「なんだ、駄目なのか」

「だ、駄目じゃありません!」

「……ま、冗談だけどな」

「ひ……」


 ゆっこの頭から湯気が出てきそうなほど顔が真っ赤になっていく。


「ひどい! 先輩! そんなこといって私をかどわかしたんですね!」

「言って妙だが、イフの話だからな。真に受けるなよ」

「イフの話に……、したく、もごもご」

「え? なんだって?」


 ゆっこの意外な反応に、つい調子づいてからかってみる。


「この、バカああああああああ!」

 ゆっこの拳が飛んできた。


 ごきゃ!


 その遠慮もクソもない全力の拳が、俺の顎の付け根に綺麗にキマった。


  ―――――――――――――――


 夕刻。


 散歩部の活動は今はあまり参加していなかった。毎週木曜日の強制参加の部活動日以外は、すぐに学校を出て、中央警察署へ向かっていた。


 街の中にある中央警察署は、俺のいつもの通学ルートの途中から方向を変え、市役所を通り過ぎ、大体日が落ちようかというぐらいの時間帯に到着する。


「こんにちはーっす」

 警察の現在の機動隊は、俺の学校の終りに合わせて武道の練習をしてくれていた。


「失礼します」


 練習中の機動隊員さんたち。場内へ入る前に一礼して中に入る。そしてすぐそばにある更衣室に入って、胴衣と袴に着替える。


 普段高校の柔道の授業で使っている柔道着でも良かったのだが、なんとなく亡くなった子安さんの胴衣姿がかっこよかったので、胴衣と袴を選んだ。ちなみにこの姿ならすぐに防具をつけて剣道もできる。


 そして更衣室から出て、練習をしている機動隊員さんたちの邪魔にならないよう、隅っこで正座して待った。


「よし! それじゃあ拓真君を中心に乱捕りを行う!」


 参加している機動隊員の人たちが一斉に「はい!」と腹から力の入った返事をした。


「拓真君」

「はい」

 正座から立ち上がって、場内の中心に立つ。


 新しく機動隊員の体調に任命された関智臣さん。その人が「じゃあ鈴木隆士、拓真君と」と言った。


「わかりました」


 機動隊員の一人、鈴木隆士さんが俺の目の前に立つ。

 そしてお互いに体が半身になって構えた。


「始め!」


 審判役の関さんが叫んだ。


「はっ!」

「はああっ!」


 鈴木さんが一気に肉薄してこちらを捕まえようとしてくる。それを両腕を使って叩き落とすように払った。少し後退する。さらに鈴木さんが踏み込んできた。


 そのタイミングを測り――


「はあああッ!」


 急接近してきた鈴木さんの胸に正拳突きを叩き込んだ。

 胸を強く打たれた鈴木さんが一瞬硬直し、それから後ろへ飛んだ。


 今まで何本も打ってきた正拳突き。今ではやっとまともな形に打ち込めるようになった。


 今度はこっちが鈴木さんへ肉薄する。


「はっはっ!」


 右左と、拳を突き出して鈴木さんの胸に打ち込む。

 鈴木さんがその俺の腕を掴もうとしてきた。素早く拳を引き、後退して距離を取る。


 今度はこう着状態になった。お互いに出方を探る。


 鈴木さんがじりじりと踏み込もうとしてくるのを、こちらは気合となるべく隙の無い不動の構えで待ち構える。


 だが、それでも鈴木さんは踏み込んできた。

 こちらの胴衣を掴もうとする手を、さっきと同じくまた叩き落すように払った。


 だが、その俺の払った手を、鈴木さんはもう片方の手で掴んできた。

 手首をつかまれる。


 やば――


 その後はあっという間だった。俺の右手首をひねり、ねじり、肘を押さえ込まれ、鈴木さんは俺の背後を取り、一気に床へ叩き伏せられた。


「それまで!」


 鈴木さんが俺から離れていった。俺も立ち上がり、「ありがとうございました!」と頭を下げて、鈴木さんとの対戦は終了した。


 今のところ、この機動隊員さんたちの中で誰一人として勝った事が無い。俺の全戦全敗だった。


「次! 石田三郎太!」


 石田さんが「うす!」とドスの聞いた声で返事をし、俺の前に立った。

 石田さんは柔道家でもあり、近接戦闘はさっきの鈴木さんよりも強い。


 ――どうやって攻略するか……それが思いつかない。


 だが。

 お互いに構え合って。


「始め!」


 関さんの声で石田さんとの対戦が始まった。


 そんな調子で、夜になるまでたっぷりと機動隊員さんたちの強力の下、俺の特訓が続いた。


  ―――――――――――――――


 自宅。


「あ~……疲れた」


 教科書と胴衣の入っている二つのバッグ苧投げ出して、ベッドに倒れ込む。

 ずっとこんな調子の毎日である。


 これで飯食って風呂入って、なんだかんだダラダラしたら寝る。


 勉強? 機動隊員さんたちと力尽きるまで対戦し続けた体で、まともな勉強なんてできるわけがない。


 極度に疲労した体をベッドに預けていると、祖母が部屋の引き戸を開けてこちらを呼んできた。


「拓真。あなたに手紙が来てるわよ」

「手紙?」

 なんだ?

「はいこれ。中は見てないから」

「うん」


 ベッドまで寄って来て、ベッドに倒れこんでいる俺の傍に手紙を置いて、祖母は部屋を出て行った。


 なんだろう?


 封筒の手紙。差出人の名前は無し。切手も無し。

 ただ一言「結崎拓真様へ」と書いてあるだけだった。


 びりびりと適当に封筒の端っこを破り、中に入っている手紙に目を通した。

 そして、俺はベッドから起き上がった。


 ――行かなきゃ。


 疲労した体を起き上がらせ、俺は「ちょっと出てくる」と告げるだけで玄関を出て、自転車を走らせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る