日常―Days4―
「おい緑島はいるか!」
朝から空手部の部員たちがやってきた。
部長の木下。鼻にいかにも痛々しいガーゼを貼り付けて、こちらを見つけたとたん睨んできた。
「おい結崎、緑島はどうした!」
何を怒っているのか分からないが、緑島はもう……。
「知らない」
「お前いつも緑島とつるんでただろ? まだ来てないのか?」
「……たぶん来ないと思う」
「何だって?」
「いや、なんでもない」
「あの野郎、いきなり部活をめちゃくちゃにしやがって……佐藤なんかもう少しで首の骨が折れて死ぬところだったんだぞ!」
「…………」
おそらく、やったのはあのアスラーダだ。
他の部員たちが木下部長の取り巻きのように俺を囲んで、その一人が念を押してきた。
「本当に知らないんだな?」
「ああ、知らない。緑島が空手部を荒らしたのも初耳だよ」
「本当だな?」
「ああ、本当だ。しつこいぞ」
「なんだと?」
いきなり名前も知らない部員が胸倉をつかんできた。
だが、その腕を右手で握り返す。
「ぐ……」
どうやら、人間の時でもある程度の力が出るらしい。もしかしたらエルガイアの右腕が俺の体を侵食している影響だろう。
相手は震えるほど力を込めているが、おれはさほど力を入れているわけでもなく、無理やりつかんできた胸倉から部員の手を引き剥がした。
少し強く握りすぎたか……くっきりと相手の腕に俺の手の跡が残っている。
木下部長がつばを飛ばして怒鳴った。
「緑島のやつがやってきたら、必ず俺たちに教えろ! 分かったか!」
「ああ、わかった」
ぞろぞろと部員を引き連れて、空手部部長の木下はクラスから出て行った。
「…………」
――残念だけど、緑島はもう戻ってこないよ。
――――――――――――――――
午前は緩やかに……いや、まったく普通の、今までどおりの授業が時間と共に流れていった。そして昼休み。
一人で屋上に行くと、倉橋優子がいた。いつも緑島と座っている場所に、優子が待っていたかのように座っていた。
「よう」
俺は優子の隣に座る。
「さーて、今日こそは私の愛情お弁当を――」
「食欲がねーんだ」
「……そうですか」
空がやけに青く、気持ちの良い風が吹いている。なのに胸の辺りがずっしりと重苦しく、頭の中はくしゃくしゃだった。
あらゆるものが、もうどうでもよくなってしまいそうだ。
肩が動くほど大きなため息をつく。
「ため息をつくと幸せが逃げていっちゃいますよ」
「あーそうかい」
屋上のフェンスに背中を預けて、青空をぼーっと眺める。
またため息が出た。
そういえば、昨日は勢いで戦ったけど。
本当に戦う必要があるのだろうか?
確かに、エルガイアという謎の戦士の腕が俺の右腕にくっついている。だけど、おれ自身は何も答えが無い。平たく言えば戦う理由が無いんだ。
正義? 平和? 自由のために?
馬鹿馬鹿しい。
俺はただの高校生。一般人だぞ。
何で俺が戦わなくちゃならないんだ。
何でも時間が解決してくれるとはよく言ったものだ。一晩が過ぎて、冷静になってきたのかもしれない。
エルガイアという戦士の腕がくっついていても、戦う理由が無い。
それよりも現代の重火器で戦ったほうが効率が良いではないか。
いくら平和といっても、警察や機動隊、自衛隊だっているんだ。肉弾戦でどつき合って命を懸けてその身一つで戦う何て時代錯誤な戦いをなぜしなければならない?
現代の科学力で本気を出せば、あんな化け物たちなんてひと捻りだろう。
俺がたった一人で前線に出て、素手で殴り合って戦う必要なんて無いんだ。
まだ包みもあけていない弁当箱を脇に置き、立ち上がる。
足を開いて、頭から股間の一直線に重心を置いて、拳を腰のあたりに構えて。
「はっ」
正拳突きを放つ。
「おー」
優子が隣で両手を合わせて目をきらきらさせていた。
「……なんだよ?」
「やっぱり特訓ですよね?」
「特訓?」
「ですよ。戦うために血のにじむような努力をして、強くなるんです。あんな化け物なんてひと捻りですよ」
またため息が出た。
「ゆっこ、生兵法は怪我の元ってことわざ知ってるか?」
「なまびょうほう?」
「しょせん付け焼刃の、中途半端に覚えた技なんかで戦っても、無駄に怪我をするだけだってことだ」
「そんなもんですか?」
「そうだよ。俺は緑島に……あいつにだいぶ前に構えと正拳突きと前蹴りの仕方を教えてもらったけど。ふざけ半分遊び半分で教えてもらったんだ。……それを本気で使ってみたら、昨日の通り、ダメダメであのアスラーダってやつに通用しなかった」
「でも、どんなものでも最初は先人の物真似からはじまるんだと思いますよ。誰だって何だって最初はどうしたらいいか分からないものです、でも上手い人の真似をして、自分のものにして、そうして練習して、強くなったり上手くなったりしていくんだと思います」
そんな優子の言葉に、俺は首を振った。
「舘山寺さんが言ってただろ、欲しいのは即戦力だって。今その技術が欲しいんだ。今無ければ意味がない。何ヶ月も練習してからじゃ遅いんだよ……その間に、大勢の被害者が出る。今すぐにでも戦って倒せるような状態じゃなきゃ、だめなんだ」
「じゃあ早く強くならなきゃならないですね!」
「……お前、俺の話聞いてた?」
「先輩の構えがかっこよくて話半分でした!」
「…………」
空手の構えを解いてまた座り込む。
もう何度目だろうか、またため息が出た。
「先輩、何にせよちゃんと食べないといけませんよ」
「……そうだな」
俺は脇においていた弁当箱を持ち上げ――
「おおっと、こいつは違う」
いつの間にかすりかえられられていた。優子の作った弁当のほうを持ち上げていたので本人に返す。
「ちっ」
「……舌打ちすんな」
「でもいつか食べてもらいます!」
「全力でお断りします」
昨日あれだけの事があったのに、何でこいつはこうも能天気でいられるんだ。
またため息が出た。
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