変身―Fight―

 正直、変身なんてやり方は知らない。


 一度息を大きく吸い、ゆっくりと吐き出す。

 落ち着いて、右腕に問いかける。


 変身……どうすればいい?


 右腕が答えた。と言うより、俺の頭の中に、まるで忘れていたことを思い出したかのような感覚がして、変身を始める。


 目を閉じて、まっすぐ伸ばした右腕を左から右へゆっくり水平に振る。

 ――地平の彼方に。

 そして右腕を頭上にかざす。

 ――太陽は昇る。

 持ち上げた右腕をぐっと握り締めて拳を作る。

 ――この腕は、太陽すらも掴む腕だ!


「変! 身! エルガイアァッ!」


 右腕が元の白い指先と硬質のプロテクターのような姿に戻り、体中がうごめく。

 ぐきり、ぼきぼき、ぐつぐつぐつ、ぺきぺき。ごりごりごり――


「う、ぐぐぐ……」


 体中がうごめいているのが辛い。身体を丸めてしまう。

 苦痛とは違う、体中が無理やり勝手にうごめいて苦しい。

 体中のうごめきが終わるころ、俺は目を開けて自分の両手を見た。

 右腕と同じ形をした左腕があった。


 胸から腹をなでる。硬質なプロテクターのような皮膚があった。脚も同じように、真っ白なプロテクターに包まれたような形をしている。


 おそらく顔も変わっているのだろう。


「はー、はー、はー」


 変身って、するだけでこんなにキツイのかよ……。

 立ち上がる。


 そして大きく息を吸い込んだ。さまざまな匂いが入ってくる。


 嗅覚が鋭敏になっている。土の匂い、芝生の青臭い匂い、少し湿った空気の匂い。舘山寺さんと木場さん、そして優子……アスラーダの匂い。その全てが嗅ぎ分けられる。


 視覚も良くなっていた。


 暗い中でもはっきりとアスラーダの姿が見える。さらにその背後のはるか遠くで、鳥が一羽飛んでいるのが分かる。


 両手をぐっと握る。


 すごい。力がどこまでも込められる。握った拳が握るほどぎりぎりと硬く硬く力がこもる、おそらく脚も――


 自分の体の状態の変わりざまを確認して、アスラーダと向き合う。

 恐怖で支配されていた頭がすがすがしいほどはっきりとしている。


 ――これならやれる! そう思い切ることができた。


 対峙して、どこか楽しそうなアスラーダの気配を感じる。

 アスラーダが宣言した。


「さあ! 始めようか! 〈太陽を背にし大地を守る者〉エルガイア!」

「……ああ」


 こちらも、見よう見まねで構える。緑島に面白半分で教えてもらった空手の構え。

 両の拳を腰の位置に構え、脚を開いて、身体の重心を頭の上から股間までの一直線に置く。どっしりとはいかないまでも、一応構えの形には成っていた。


 アスラーダが先手を取ってきた。飛び込むように真正面から突っ込んでくる。


 ――ぎりぎりまで引き付けて。


 アスラーダが眼前にまで来たところで。


「はっ!」


 正拳突きを放つ。

 だがアスラーダが肉薄してきたと同時に半身になって跳躍。


 ――読まれていた!


 体を回転してハイキックを放ってきた。

 顔面にアスラーダの脚がぶち当たり、吹き飛ばされる。

 芝生の上をごろごろと転がり、頭がクラクラする中、何とか四つん這いになって踏ん張る。


「ふっ!」


 アスラーダはすでに上方に飛び上がってこちらにまで迫っていた。

 放ってくる踵落としを、身体を転がして避ける。

 今度は素早く立ち上がった。

 いや、アスラーダがこちらが立ち上がるのを待っていた。

 手招きをするようなしぐさで指を動かすアスラーダ。


「くそッ!」


 アスラーダへ向かい走る。

 右拳を振り上げてアスラーダの顔面へ向けるが、

 避けられた。


「このっこのっ! このっ!」


 何度も拳を振るい、アスラーダへ攻撃するも、アスラーダはステップを踏むかのように軽々とかわして見せた。

 ――力はあっても、当たらなければ意味は無いってか!

 それなら。


 アスラーダに両手を突き出し、またアスラーダもこちらの両手を掴む。

 お互いに両手を組み合わせて、力比べの体勢に入る。

 だが――


 そんな馬鹿な! 心中で驚く。


 これだけの力があるのに、力比べで負けるなんて。

 アスラーダが両手を押し込み、こっちの身体が弓なりに反り返る。

 完璧に、腕力ではアスラーダのほうが勝っていた。


「忘れたのかエルガイア。夜のお前は、月明かり程度の力しか出せない事を!」

 ――嘘だろ!


 これだけ力があふれるほどの変身なのにも関わらず、まだアスラーダのほうが強く、そしてエルガイアも不十分な変身だとは……。

 突然、アスラーダが蹴りを突き刺すように叩き込んできた。反り返っていた背中が今度は前屈して逆に丸くなる。凄まじい衝撃とともに肺の中の息が搾り出された。


「そぅら!」


 蹴りを叩き込んでもこちらの腕を放さなかったアスラーダが、今度は俺の身体をぶん回して放り投げた。

 ブルーシートに覆われた、半壊している木造アスレチックの中に突っ込む。


「くそぉ!」


 ガラガラと音を立ててさらに壊れるアスレチック。降りかかってくる破片も無視して立ち上がった。

 今度はこちらが飛び上がり、上方からアスラーダへ襲い掛かる。


「せいっ!」


 大ジャンプからの飛び蹴りを浴びせる。

 だがそれも避けられた。

 着地と同時に一直線に芝生をえぐり、踏み止まる。

 振り向くと、もうすでにアスラーダが肉薄していた。


 ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!


 重たく響く拳の音。アスラーダの凄まじい拳で身体がばらばらになりそうな感覚になる。


 ……自惚れていた。

 変身できて、力がわいて、戦えると思った。

 だが実際俺は、喧嘩もまともにやったことの無いただの高校生だ。

 ボクシングも空手も剣道柔道なんかとも無縁な中で暮らしてきていた。

 戦うための技術なんて何一つ持ち合わせてはいなかった。

 そのうえ、力押しでもアスラーダのほうが上。

 ――勝ち目が無い。


「ふん!」


 なぎ払うようなアスラーダの手刀が俺の横っ面をひっぱたく。


「何だその体たらくは!」


 アスラーダの蹴りが、また俺の下腹部をえぐるように突き刺さる。

 ただの蹴りのはずなのに、変身して強化した身体なのに……凄まじい衝撃が身体を襲い、吹き飛ばされる。


「これでは児戯にもならぬ!」


 アスラーダの拳は怒りに震えていた。

「長い月日の中で、貴様すらも戦い方を忘れたのか! エルガイア! あの雄々しくも凄まじき、あの頃のお前はどこへ行った!」

「ぐ……」


 こちとら戦士でもなければ元々ただの高校生だ! と叫びたかったが、ぐっとのど元からはき出そうなのをこらえる。


 アスラーダの攻撃で、エルガイアの身体はがたがただった。

 地面に手を突いて、立ち上がろうともがく。そこへさらに、アスラーダの無造作な蹴りが顔面にぶち当たった。


 顔を押さえてごろごろと転がる。


「情けない! 弱い、惰弱! 相手にもならん! 私とお前が復活した意味はどこにある!」

 アスラーダが叫んだ、

「あの時からの決着が! このありさまか! エルガイア! ふざけるな!」


 もう吐く怒声も尽きたのか、アスラーダが黙り込み、広場が静寂に満たされる。


「……失望した」


 アスラーダがポツリと呟く。


「失望したぞエルガイア。秩序? 平和? 争いの無くなった世界が、この有様か? そして貴様のその無様な姿が貴様の最後か?」


「うる、せえよ……」

 アスラーダの叱咤に、何とか言葉を選んで口に出す。

「まだ、これからだ……」

 優子の「先輩!」という声も無視して、アスラーダと向き合う。


「お前の求めている戦士って奴は、生死を分けるほどの激しい戦いなんだろ? やってやろうじゃねえか。特に、お前は緑島の仇だ。絶対に、俺が倒してみせる!」


「…………」


 アスラーダが、まるで遠くを見つめるように俺を見る。

 そして、


「……やめだ」


 アスラーダが背を向けた。


「負け犬の遠吠えをはくようではもう、エルガイアは死んだのだな……」

「ま、て……」

「エルガイア……いいや小僧。我と再戦したくば、己を鍛え、技術を磨き、力を蓄えてからにしろ。もういい……失望した」

「待てって……言ってるだろ!」

「命があればまた会おう。さらばだ」

 アスラーダが自身の跳躍力を持って、まるで闇夜に飛び込むようにして去って行った。


「く、そ……」

 立ち上がった身体だったが、膝が地面に落ちる。

「くそおおおおおおおお!」

 芝生の地面に拳を叩きつける。

 ズドンッ! という重々しい拳の衝撃すらも、

 どこか虚しい響きだった。

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