第二章 奮闘

夢―Nightmare―

『人よ、今再び人類の天敵が復活した、備えよ……人類は決して屈してはならぬ。天敵との戦いに備えよ』


 何だ?この声は俺の声?


『戦いに備えよ』


 天敵……敵?


 場面が変わる。

 俺は背中を見せて走る人物を追っていた。

 その必死に走る人物、少女。

 倉橋優子。


 一瞬だけ頭をこちらに向けて、ひた走る。


 いや違う。逃げているのだ。

 追いかけているのは――俺?

 俺が優子を追いかけて、

 飛び上がり、

 襲い掛かる、

 大きく口を開いた怪人の

 俺が、優子に襲い掛かる――。


「はっ」

 驚いて目を覚ます。

 気がつけば、右腕を天井に向けていた。


「はー、はー、はー……」


 なんだったんだ、今の夢は……。

 眠気とは違った、軽くジーンとする奇妙な頭の感覚。頭がぼーっとする。

 とりあえず、起き上がる。


「痛っ!」


 なんだこれ、全身が痛い。体のあちこちから筋肉痛のような痛みがする。

 自分の体の状態を確かめた。

 学校の制服のズボン。ワイシャツ、ただしワイシャツは右腕の肘から先がなくなっていた。

 何だこれ?

 ワイシャツの右腕の肘部分が赤く染まって乾いてカサカサになっていて、そこから先が無くなっている。なのにもかかわらず、俺の右腕はしっかりと右腕としてここにあった。

 なんだか頭が酷く重い、考えるのも思い出すのも億劫だ。

 昨日は――

 なにがあったんだっけ? 思い出せない。 

 


 ズボンのポケットの中で、マナーモードにしている携帯電話が鳴った。

 取り出して見てみる。


「うわっ」


 新着メール五十六件。全部倉橋優子からだ。


 さらに立て続けに携帯電話が鳴る。

 また優子から。

 これが鬼メールってやつか……怖えぇ。


 すると、部屋のふすまからノックがきた。

「たっくん? 起きてるの」

 叔母の頼子姐さんだった。

「あ、うん。起きてるよー」

「じゃあちょっとこっち来てくれる? 説明して欲しいんだけど?」


 説明?何を?


「何?」

「いいからこっちにきなさい」


 ぐぎゅるるる……


 ちょうど腹の虫が鳴った。眠気が覚めてきたのか、お腹をさする。

 なんだかすごくお腹が空いていた。

「分かった、行くからちょっと待ってて」


 ヴーーー! ヴーーー ヴーーー


 うわぁ、また優子からだ。

 いくら俺のことが好きだっていっても、さすがにこれは引く……。



 新しいワイシャツに着替えてから、ダイニングに向かう。

 今日の朝食は、白飯に味噌汁にハムエッグ。

 ものすごくお腹が空いている、ひたすら白飯と味噌汁を交互に口に運んで、


「おかわり」

 祖母に空になった茶碗を差し出す。


「まー、朝からたくさん食べるわねえ、もう電子ジャーの中がほとんど空っぽよ」

 そう言いながら祖母は、炊飯器に残っている全ての白飯を茶碗に入れて、俺はそれを受け取った。

  いくら食べても腹が満たされない。


「アンタ昨日何があったの?」

「何がって?」

「これよ」


 頼子姐さんが見せたのは俺のブレザーの制服だった。


「右腕の肘から先が無いんだけど。ワイシャツも血だらけだったし。それに帰ってくるなりすぐ寝て、いくら起こそうとしても起きないし。アンタが寝ている間にブレザーを脱がしてあげたのは私よ。怪我は無いようだけど、本当に何をしてきたの?」


「うーん……」


 頭をめぐらして昨日のことを思い出してみる、が。


「……思い、出せない」

「なにそれ、制服が破けるような事があって思い出せないの?」


 頼子姐さんに叱られている中、祖母が「これじゃあ新しいのを買うしかないわね、生地があれば直せないこともないけど……」と呟いていた。


「うーん……」


 いくら思い出そうとしても、ぼんやりしてまったく頭が回らない。

「拓真。そろそろ学校行かないと間に合わなくなるんじゃないの?」

「えっ? あー……」

 もう自転車を引っ張り出して学校に行かないといけない時間になっていた。まだ腹が減って仕方が無いのだが……。

 ちらりと目に付いたものを見て、素早く手に取る。

「もーらい」

「あ、私のクルミパン!」

 頼子姐さんの大好物のクルミ入りのパンを一つかっぱらい、鞄を取りに自室に戻る。

 パンを咥えたまま鞄を探していたが、


 無い。


「あれ? どこだ?」

 そういえば鞄を持ち帰ったっけ?

 確か部活の後……。

 キーンと頭が響いた。突然の痛みに頭を抑える。

 たしか、部活でアスレチック広場にいて、そのまま寝てしまって。

 それから――思い出せない。


 鞄なんて大きさの物、部屋の中で見失うことは無い。

 たぶん学校に忘れてきたのかもしれない。

 うわあ……本当に部活で寝た後の事が思い出せない。

 しかも制服があんなんだっけ……。ジャージを着てくか。

 しかしまあ、公立高校らしいというか、ものすごくダサいイモジャージである。

 私立ならもっと良い感じのジャージなのだが。

 畳の上にほったらかしにしていたジャージをワイシャツの上から着る。


「んじゃいってきまーす」


「いってらっしゃい」「いってらっしゃーい」


 革靴を履いて金属でできた古めかしいドアノブをひねり、外に出る。

 なんだろう? やけに顔が冷たくなってきた。

 と――


「ふぁれ?」


 パンを口に咥えながら、玄関先にいた目の下にクマをつけた二人組みと鉢合わせる。

 ちょうど背の高い人の方がアパートのインターフォンを押すところだった。

 この二人、どこかで見たような……


 背の高い人の方がこほんと咳払いをして胸ポケットから手帳を出した。

 その手帳は警察手帳だった。


 あ……


 とたん、身体がふらついた。


 あれ? 意識が。


 視界が真っ暗になって、体から急速に力が抜けていく。なんだか宙に浮いたような感覚。

「君! 大丈夫か! しっか――」

 その声を聞くか聞かないかの間で、

 意識が途切れた。


 ――――――――――――――――


「先輩……」

 携帯電話を確認しながら、学校の昇降口に入る。


 着信履歴無し。


 はぁ、とため息を漏らして携帯をスカートのポケットに入れ、靴箱からローファーと上靴を取り替える。


 メール出しすぎちゃったかなあぁ……。


 いくら返事が無いからって、あれじゃあ気持ち悪がられたかも……。

 とぼとぼと教室に向かって歩いていくと、購買部の前の自動販売機で緑島先輩を見つけた。


「緑島先輩」

「うむ?」


 緑島先輩は紙パックの牛乳のストローを咥えながら振り向いた。


「あの、結崎先輩は?」

「まだ来ていないと思うが?」

「そう、ですか……」


 緑島先輩がストローから口を離し、ふむ。と思案する。


「君は、そういえば結崎拓真の事が好きなのだったな」

「えっ!」


 急にストレートな事を言われ、どきりとする。

「いやっ、そんな好きだなんて、面と向かって言えませんよ!」

 熱くなった顔を見られたくない、両手で顔を隠す。


「……普通に何度も求愛してたような気がするが」


「もうっ! 何ですか緑島先輩ったらー!」

 つい腕を振って鞄を緑島先輩にぶつけてしまう。

「それはそれとしてだが」

 鞄が当たった胸をさすりながら、緑島先輩が言ってくる。


「もし結崎拓真が、今日学校に来なかったら。勉学が終わった後で少々付き合ってもらえないか?」


「え? 部活が終わったら良いですけど、なんでです?」


「結崎拓真を呼び出す」


 ――――――――――――――――

 

 取れ。我が手を取れ!

 そう言われた気がした。

 俺はすさまじいジャンプ力で、あの黒紫の化け物が掲げていた白い右腕を取り返す。

 そして、無くなった自分の右腕の代わりにその白い右腕をくっつける。


 どくん! どくん!


 心臓が何度も跳ねた。まるで心臓が破裂してしまいそうなほどの激しい鼓動。

 そして黒紫色の化け物を見た。


 ――倒せる。


 そう直感した。

 黒紫の化け物はこちらに思念を送ってきた。


『エルガイア! 復活させてなるものか!』


 黒紫色の化け物は飛び掛り、まるでギミックでも展開させたかのように大口を広げて襲い掛かってきた。

 ――避けられる。

 そう思った瞬間、身体が勝手に動いていた。

 黒紫色の化け物の背後を取る形で、身体が移動していた。


 そして俺の体にくっついた白い右腕を掲げる。

 すると、炎上した車から、木造のアスレチックから、右腕は炎を吸収し始めた。

 吸収したものが炎とあってか、体中に熱いものが流れて、すぅっと入ってくるのが分かる。

 そうして俺は、その吸収した炎を使って、黒紫色の化け物を内部から焼き殺して倒した……。


『戦え』


 誰かが言ってくる。


『これは偶然ではない、引き合わせたのだ。選ばれた者よ。戦え』


 強く、『戦え』と言ってくる何者かの声。


 なぜ? 疑問がいくつも浮かぶ。

 何故俺なのか?

 あの化け物はなんだったのか……。

 この力は何だ?

 何故戦うのか?

 ……答えは返ってこない。

 そして、目が覚めた。



 目を覚ましたところは病室だった。

「あれ?」

 目をさまよわせる。白いシーツにパイプのベッド。白い仕切りカーテン。

 ざわざわとした廊下からの声。

 そして俺の左腕にはチューブ。その先には点滴がある。

 間違いなくここは病室だった。

 しばらくぼうっとした頭で天井を見る。

 女の看護師さんがやってきた。


「起きましたか?」

「あ、はい……」

「わかります?」

「ええ、病室ですよね? 何で俺ここに?」

「軽い栄養失調による貧血です。その点滴が終われば起きられますから、もう少し待っててください」

「……分かりました」


 言われるがまま、ベッドで寝たままになる。

 夢……あの夢は……?


 ああ、思い出した。

 俺は――

 再び眠気がゆっくりと来たあたりで、二人組みの男たちがやってきた。


「結崎拓真君」

 背の高い男が呼んだ。

「はい」


 背の高い男性が胸ポケットから警察手帳を出す。


「中央警察署捜査課第三班、連続猟奇殺人事件および失踪行方不明者事件対策本部所属の、舘山寺晃一、階級は警部補です」


 舘山寺さんの後ろにいた男性も同じように警察手帳を見せてくる。


「同じく、中央警察署の木場籐四郎警部補です」


 舘山寺さんと木場さん。


「昨日の晩、公園のアスレチック広場に車で突っ込んできた人たちですよね?」


 舘山寺さんが尋ねてきた。

「ここは市内の大学病院だ。昨日の事を覚えているのかい?」

「ええ、朝はぼんやりしていて思い出せなかったんですけど……」


 そう言いながら、自分の右腕を見る。

 肌色の、いたって普通の右腕。

 ――見た目だけは。


「この右腕、俺の腕じゃないんですよね?」


 舘山寺さんは「そうなるね」と簡潔に答えてきた。

「それなら話は早い」


 舘山寺さんがどこか安堵したような雰囲気を出して言ってくると、隣にいた木場さんが横から入ってくる。


「あの後大変だったんだよ。君は右腕を持ったままものすごいジャンプで飛んでいってしまうし、一緒にいた女の子から事情聴取して君の事を教えてもらったりしたり。あと僕が携帯で撮った君たちのあの現場、緊急会議を開いて携帯で撮った画像を見せても、なかなか信じてもらえなくて……」

「木場」

 舘山寺さんが小声で木場さんを呼んで、肘で軽く小突いた。

「病人の前だぞ」

「すいません……」

「いえ、ただの栄養失調からの貧血ですからお構いなく」


「いいや」


 舘山寺さんが首を振った。


「君が気を失っている間に、レントゲンやら精密検査やらをさせてもらった……君の右腕についての診断結果は、君が目を覚ましてから一緒に聞くつもりだった。これから一緒に聞きに行こうと思う」

「あ、そっか。そうですよね」


 何だったのか分からないこの右腕、調べたいのは当たり前か。

 そういえば。


「あの」

「何かな?」

「その、祖母と叔母はなんと? それとも今ここに?」

「事が事だからね、それに倒れ方が明らかに貧血からのめまいに見えたから。私たちが付き添うからと、二人にはいつも通りに仕事に行ってもらった。右腕のことは家族に話していない。」

「そうですか」


 心の中で安堵する。自分でも何がなんだか分からないのに、さらに祖母や頼子姐さんへさらに不安を与えるわけには行かない。


 ぐきゅるるるる……


 自分の腹が鳴った。お腹をさする。


「ところで今何時ですか?」

「大体昼を過ぎて1時半になるころだ」

「そうですか、結構寝てたんですね」


 ぎゅるるるる……


 空腹で腹の虫がおさまらない。

「診断が終わったら、何か食べに行こうか」

 舘山寺さんが苦笑した。

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