遭遇―Contact―

 昼前から西嶋のアパートの周りを巡回しているが、未だに西嶋らしき人物は現れず、発見もできなかった。


「もう日が落ちちゃいますよ、舘山寺さん」


 さすがに何時間も運転させられて疲れたのか、木場が不平をもらす。

「黙って運転していろ」

「ひょっとしたら自分の車かバイクか、公共機関とかを使って遠くへ行ってしまったんじゃないでしょうか?」

「…………」


 意外にも盲点だったのかもしれない。西嶋が自家用車あるいはバイク自転車などを持っていて、それに乗って遠くへ逃げたという事も考えられた。

 そうなってしまっていたら、もう探しようが無い。

 せめて署に向かっていたり、再び俺と連絡を取るために戻ってきて、自宅にいる鑑識班と出くわしてくれれば良かったのだが、何の連絡も無いとするとその希望もかなわなかったようだ。


 どうする?


 先ほどから寄せていた眉間のしわをほぐす。

 こういう時ほど甘いものが飲みたい。甘いものは俺の頭を良く回してくれる。


「くそっ」


 つい心で思っていた事が声にもれてしまった。木場に悪態を聞かれたらしく、木場は運転に集中して黙りこくった。

 男二人で無言のまま、日が暮れる街中で車を走らせる。


 流れる街。夕焼け空の中で帰宅途中のスーツ姿の男性や学生、スーパー帰りか買い物袋を持った中年の女性。老若男女が行き交っている――まるで今この街で猟奇連続殺人や行方不明者が出るという、大事件などのほうが嘘のように思える光景。

 幾多の人々の日常がそこに広がっていた。


 朝起きて、会社へ行き、仕事をし、残業もし、退社したついでに一杯引っ掛けて帰宅して、風呂に入り、夕食か夜食でもとって、明日起きるために寝る。

 当たり前の日常、当たり前の光景。当たり前の現実。


 だが、俺たちは違う。


 一般市民と刑事という、完全な壁がある。壁があった。

 事件が起これば夜でも出動する。人が滅多に見ない、人間として最悪な殺され方をした遺体を見ることもある。――人殺しをした人間を見たことがあるか? 俺たちは知っている。


 事実今、俺たちが乗っている乗用車の頭の上には、赤いパトランプが置いてある。

 ただそれだけで、俺たちは一般人ではなく警察の人間だと、一線を引くことができた。ただそれだけのことは一般者はこちらに注意し、わざとらしく安全運転を心がける。歩道をあるいている人々の何割かも「何か事件があったのだろうか?」という視線を送ってくる。

 俺たちは――


 キキーッ!


 運転していた木場がいきなり急ブレーキをかけて、体がつんのめってシートベルトが背広に食い込む。

 ぼーっとしていただけに虚を突かれた。


「どうした!」

「人がいきなり飛び出してきたんですよ、ほら」


 見ると、車のボンネットに片手をついて、ぜえはあと肩で息をしているTシャツとジーンズ姿の男がいた。

 片手には布で包んだやや長めの物を持っている。

 いきなり車の前に現れた男が顔を上げる。


「西嶋!」


 探していた西嶋一彦だった。助手席から車を降りて、ようやく発見した西島に駆け寄る。


「大丈夫か?」

「ああ……舘山寺、助かった、来てくれて、ありがとう」


 息も切れぎれで、両目も真っ赤に充血している西嶋。いったいお前に何が起こったというのか?


「早く、早くここから逃げるんだ!」


 西嶋が俺の肩をつかんで助手席へ座りなおすように促し、西嶋は後部座席に勝手に乗った。


「早く出せ! 出すんだ! でないとやつが来る!」


 西嶋の焦燥と必死さは、顔の表情からして尋常ではなかった。


「早く出せ! 出してくれ! やつが来てしまう!」


 緊張感をはらんだ声音で木場が車を発進させる。


「……とりあえず署に戻りますね」

「西嶋、とりあえず一連の事件の関与での任意同行ってことで良いな? いろいろ聞かせてもらうから」


「どうでもいいから早くここから離れるんだ!」


 叫ぶ西嶋に耳がキーンとする。

 やつとは何だ? 命でも狙われているのか?

 バックミラーで西嶋を見ると、布で包まっているやや長めの何かを両手で抱えて、ガチガチを歯を鳴らしながら荒い呼吸に目が見開かれている。

 よほどの恐怖を感じてしまう目にでもあってしまったのだろうか?

 署に戻って、落ち着かせてから事情を聞く事にしよう。この後には夜の定例会議だが、西嶋の事情聴取で欠席になるだろう。


 ドガッ!


「何だ?」

 音がしたのは車の上からだ。何かが車の上にぶつかった音。

 悲鳴を上げたのは西嶋だった。 


「ひぃい! 来た! お前たちが早くしないから追いつかれたじゃないか!」


 唾を飛ばすほど叫ぶ西嶋。

 それはフロントガラスからぬっと逆さになった顔を見せた。


「うわああ!」


 木場が叫んだ。

 それは人間の顔ではなかった。黒紫色の肌にまるでプロテクターか何かでできたような硬質感のある顔。

 その顔が引っ込んだかと思えば、今度は拳が飛んできた。フロントガラスがほぼ真っ白になるほどひび割れる。

 もう一撃、こぶしが飛んできて今度はフロントガラスに穴が開いた。


「うわ! うわわっ!」


 車の上に乗った何者かは腕を伸ばして腕を振り回すように俺たちの頭か首を探している。

 俺はとっさにパトランプとサイレンを鳴らした。

 けたたましく鳴るサイレン音は周囲の人々や車を遠ざけ、蛇行運転する木場に隙間を作らせた。


 フロントガラスがひび割れで真っ白になり何も見えない、とっさに拳銃を出しそのそのグリップでフロントガラスをほとんど叩き払った。何とか視界は確保できた。


「振り落とせ! つかまったらおしまいだ! やれ!」


 西嶋の叫びに応えたわけではないが、この奇怪な人物を振り落とすために、タイヤに悲鳴を上げさせて車体を走らせながら左右に振る。フロントガラスを叩き割った手が引っ込み、車の上で奇怪な人物をしがみつかせた。


 どうする?


 この変な格好をした人間のようなものは、たった一発で車のフロントガラスを叩き割った。しかも体勢の悪い車の上にしがみつく格好で。

 それだけで尋常じゃない腕力を持っている事がわかる。

 こいつが西嶋をおびえさせているやつなのか。


 顔だけしか見れていないが、この黒紫色の表皮は明らかに生物的な質感を持っていた。信じられないことだが、化け物のコスチューム、着ぐるみをした人間ではない。


 ガンッ! ガンッ!


 車の上からそんな重苦しい打撃音がする。

 まさか素手で殴って鉄の板でできた車を破る気か。

 木場がハンドルを切り小刻みに蛇行運転をする。

 こちらも体が左右に揺れながらも、なんとか耐える。


 どうする?

 どうすればいい?


 この状況をどうするか考えようとして、木場が提案してきた。


「この近くに車で入れる大きな公園があります。そこへいきましょう! これじゃあ他の車と事故るか、誰かを轢いてしまいそうです!」

「公園に誰かいたらどうする!」

「仕方ないでしょう!こんなところで暴走運転するよりかはましです!」

 くそう、内心で舌打ちする。ひとまずそれしかないか。

「木場、その公園へ向かえ!」

「はい!」

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