日常―Days―

 二限目、数学。


 カリカリ……カリカリカリ……


 授業もそろそろ終わる頃、数学担当の刈谷先生は大学の入試レベルの問題を黒板に書いていた。

 はっきり言ってこの先生は意地が悪い。

 覚えたての三角関数という難しい内容に、さらに上の問題を俺たちに問いかけてくる。先生自体はこれを面白がるように言ってくるのだが、誰も解けないので生徒の誰もが先生と対比して難色を示していた。

「はい、これがとある理系大学で実際に出題された問題だ。誰かやってみる奴はいないか?」


 ……いるわけがない。


 教室はしんと静まり返った。

 手を上げるクラスメートもいない。


 みながみな、この超難問なのかすら把握できない問題文を眺めるだけだった。

 さらに最悪な事に、この先生は誰もいなければこの中の誰かを選び、無理やりやらせるのだ。


 ――俺に当たらないでくれ。


 おそらくクラスメート全員が思っているであろう言葉を、俺も心の中で願った。

「おい、緑島どこを見ている」

 あーあ、緑島ご愁傷様。

 後ろ側に机のある緑島へ身をよじって見ると、緑島は窓の向こうをほーっと眺めているだけだった。


 刈谷先生が再び緑島を呼んだ。

「緑島」

「あ、はい」

「じゃあ緑島、お前が挑戦してみろ」


 すっと立ち上がり、緑島はゆっくりと歩いて黒板の前に立つ。

「…………」

 静寂。教室内がしんとして、緑島はチョークを持って直立不動のまま固まっていた。


「緑島、できないならそれでもかまわんぞ」

「……いえ、少し考えていただけです」


 緑島がチョークを動かした。

 カリカリカリカリカリカリカリ、カリカリカリ、カリカリカリカリ

 黒板に緑島が大量の数式を書いていくたび、刈谷先生が驚いて口を半開きにしてほうけた。

 ……カリ


 緑島が書き終わった。そして刈谷先生へ振り向いて、

「どうですか?」

「あ、ああ……正解だ」

「席に戻ってもいいですか?」

「おう……戻ってもいいぞ」

「失礼します」


 クラス中が声も出ないほど驚いていた。

 緑島は一番数学が苦手だったはずだ。一体どうしたんだ? 塾にでもこっそり通い始めたのか?

 戻ってくる緑島の表情を見る。無機質さを感じさせる無表情だった。

 俺のすぐ横を通り過ぎる緑島。その時耳鳴りがした。


 ジジジ……ヂヂヂ……。


 横目でちらりと緑島を見る。

 ――ッ!

 横目で見た緑島が、また黒い人の形をした異形の怪物に見えた。

 驚いて振り返ったが。

 その先には緑島の背中、そして静かに自分の机に座る緑島の姿があった。

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