友人―Friend―

「うーん」

 寝心地でも悪かったかな? 首の辺りが少し凝っている。赤信号で自転車を止めて首を回す。

 空は綺麗な朝焼けだった。雲が申し訳程度の快晴。


 信号機が青に変わり、スタートダッシュのように立ち漕ぎで自転車のスピードを上げる。


 途中同じ制服の学生や、逆方向に進む他校の生徒とすれ違う。だがたいして顔見知りでもなければ、ほぼ赤の他人なのでどんどん自転車のスピードを上げて追い越していく。


 別段学校までのタイムラップを競っているわけでもない。ただ単にだらだら走るの

が妙にむずがゆい気分になるというだけだった。

 また一人、同校の女子の自転車を追い越して走り抜ける。

 のんびりするときはのんびりするが、何故か自転車だけは速く走りたい。そんな癖がある。父から自転車を買ってもらったばかりで、ようやく乗りこなせるようになった頃、父の車と並走して時速三十キロちょっとを叩き出した。子供用の自転車でだ。

 それからだろうか、自転車に乗ると速く走りたくてしょうがなくなってしまう。


 子供の自分にとっては自転車で時速三十キロオーバーを出したのが嬉しかった。

 今は大人用自転車のスピードで学校まで約三十分と少し。信号機をするすると渡る事ができれば三十分を切る。

 今日もそんなあたりで静凛館高校に到着した。

 自転車置き場で、友人と出くわした。


「よう緑島」

「ん? ああ」


 長身短髪で少しひょろりとした体格に浅黒い肌のクラスメート。一年からの付き合いだ。

 緑島の自転車の横に、俺も自転車を並べる。


「ミドリシマ、か……」


 そんな呟きが緑島から聞こえた。

「どうかしたのか?」

「いや、なんでもない」

「んじゃ行こうぜ」

「……ああ」

 緑島と一緒に昇降口へ入り、下駄箱に靴を入れていると。


「どうした? 緑島」

「あ、ああ。場所が……」

「お前の場所はそこだろ」

「あ、そうか。ありがとう」

「たまーに自分の入れる場所がわからなくなるよなー」

「……そうだな」

「購買でジュース買ってから教室へ行こうぜ」

「わかった」


 下駄箱からすぐ近くに購買部がある。そのすぐ隣に自動販売機が二台並んで置いてあった。

 俺は紙パックのオレンジジュースを選ぶ。緑島はそんな俺をまじまじと見ていた。

「どうかしたのか?」

「いや、なんでもない」

 緑島が財布を開けて俺と同じ自動販売機で百円を入れる。そして何を飲もうかと悩んで指をくるくると回していた。


 その時。

 ――この気配は!


「先輩! おっはよーございまーす!」


 一年生の後輩、倉橋優子が叫びとともに突撃してきた。

 俺はその声が聞こえたとたん、さっと真横にスライドするように移動する。

 緑島も察したようにさっと避けた。


 ずかんっ!


 優子が自動販売機に激突。


 ピピピピピピピピ……ピピー!


 優子がぶつかった拍子にボタンを押してしまったらしい。

「お、大当たり」

 自動販売機に備わっている電子ルーレットが回って大当たりの音を鳴らした。

 ちなみに出てきたのは牛乳だった。


 ずるずるずる……


 自動販売機に激突してへばりついていた優子が下がって行く。

「ゆっこ。お前が当てたんだから何か飲んでいいぞ。いいよな?緑島?」

「ああ、別にかまわない」

「うおおおおお、痛いです」


 屈んで自動販売機と激突した顔面を抑える優子。

「先輩は何を飲んでいるんですか?」

「オレンジ」

「じゃあ私はアップルで。いただきまーす!」

 ごとんごとんと音を鳴らして紙パックのアップルジュースが出てきた。

 牛乳と一緒に優子がアップルジュースを取り出して、牛乳のほうを緑島に渡す。

「はいどうぞ、緑島先輩」

「ありがとう」

 緑島が優子の仕草を見ながらストローを挿し、牛乳を一口すする。


「これは家畜の乳か……懐かしい」

 何を言ってるんだコイツ?

 そういえば、自転車置き場で会ってから、今日は緑島の様子がなんだかおかしい。どう言えばいいのか分からないが、ぼーっとして表情も薄い。いつもなら俺と優子のいつものやり取りを見て茶化して来るものだが。


 ジジ……ジジジ……ヂヂヂヂヂ……


 耳鳴り、緑島を見て目を凝らす。


 ――あれ?


 緑島が黒光りする変な化け物のように見えた。

 目をこする。


 すると元の緑島の姿があった。

 ――見間違いか?


「先輩ぃ~」

 優子がアップルジュースのストローを咥えながら、上目遣いに言ってくる。

「なんでいつも私のラブ・アタックをかわすんですか~」

「馬鹿野郎あんなの食らったら俺が自販機と激突してたわ」

「でもいつか、そんな私を優しく抱きとめてくれると信じてます!」

「断る」

 即答で返してやった。

「いいえ、信じてますから!」

「信じなくていい」


 倉橋優子は一年下の後輩。吹奏楽部でオーボエをやっている。何度か定期演奏会に招待されて、我が高校自慢の『宝島』を聴かせてもらっていた。しかしそれはそれ、これはこれだ。いくら母親が居ない者同士であっても、そこで恋愛感情が生まれるかどうかは別だ。俺と同じく、小さい頃に母親を亡くした倉橋優子。クラスの吹奏楽部の女子と話していた時、コイツも偶然混じっていた。


 それが初めて出会った時だ。それが元で共感しその後色々と談笑していたら、次の日から『一目惚れしました!』と言い出してきて、その後はなんだろうかこんな関係になっている。


 正直うっとおしい。


 いくら母親を知らない者同士だとしても、そこで恋愛感情が混じる事はないと俺は考えている。だからきっぱりとこうやってアプローチも回避し、何度目か分からない告白も断っている。


「でも私は絶対にあきらめません! この思いが届くまで!」


 無駄に格好良さ気な台詞を吐いて、優子はアップルジュースを一気飲みした。

 そうして空になった紙パックをゴミ箱の中に入れて。


「じゃあ先輩また今度」

「ああ、じゃあな」

「あいらーびゅー!」

 優子が飛ばしてきた投げキッスを避ける。

「ではまたー!」


 だだだだだと足音を鳴らして走り去って行く優子。

 まったく嵐みたいな女子だ。

 母親に育てられてないだけに、どこかこう……女の子っぽくない? むしろ父親に育てられたためか男成分が強い? そんなやつだ。

 正直あいつの脳内がよく分からない……。

「緑島、俺たちも教室行こうか」

「ああ」

 珍しく大人しい緑島が俺の後ろについて、俺たちは教室へ向かった。

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