03 この坂道の前で



 夕暮れ時。

 基地で時間を潰した後。

 

 帰る方向が全く違う桐谷先輩と基地の前で最初に別れ、俺は茉莉と二人で帰り道を歩いていた。


 隣にいる幼なじみが煩い。落ち着きがない。


茉莉「ふんふんふーん。あ、猫だ。未来、みてみて、猫だよー」


 まっすぐ帰れる日は少ない。落ち着きのない茉莉を連れて、普通に家に帰れるわけがないからだ。


 それはもう何度目になるか分からない、寄り道。


 通り過ぎようとした路地裏に猫の姿を発見したらしい幼なじみが、我先にという勢いで飛び込んで行こうとするのを、俺は襟首を掴んで止めた。

 首が締まったような感触。


茉莉「ひゃうん」


 急制動をかけられた反動で悲鳴を上げる茉莉に何度も言った事のある忠告をしておく。


未来「何度そうやって足を止める気だ。日が暮れるぞ」

茉莉「えー、でもー」


 未練がましい視線を路地裏へ向ける茉莉。

 魂ごと向こうに大事なもの置いてきちゃいました、みたいな顔だ。

 とても未練がましい。かなり未練がましい。


 視線を向ければ、なるほど茉莉の好きそうな景色がある。

 そこには黒猫が一匹いて、地面に寝そべり欠伸をしているところだったからだ。


 猫好きの幼なじみにとっては構いたくてしょうがないのかもしれないが、生憎そこまで俺は好きじゃないし、いちいち付き合い切れない。


 無言で圧力をかけると、茉莉が渋々と言った様子で引き下がる。


茉莉「……分かったー」


 そんな茉莉を哀れと思ったのかどうだか知らないが、今までこちらの様子に我関せずでいた黒猫がのっそりと立ち上がり、歩み寄って来た。


 茉莉の足元に近寄って、甘えるようにすり寄る。


 途端に顔を綻ばせて幼なじみはかがみこみ、その小動物の喉をくすぐる。


茉莉「あ、えへへ。抱っこしてお散歩するのならいいよねー」

未来「……足を止めさえしなければな」


 茉莉は満足げに猫を抱きかかえて撫でまわしていた。

 猫の方抵抗する意思は内容で、大人しくされるがまま。

 もしかしたら何度も、かまってやっているのかもしれない。


 腕の中の猫をごろごろさせている茉莉は、声を弾ませて俺に話しかけてくる。


茉莉「今日も楽しかったねー。明日も楽しくなるといいなー」


 別に普通だった。

 能天気な幼なじみから見れば世界は面白く見えているのかもしれないが、未来にとっては、昨日も、今日も、そして明日もきっと変わらない。


 そんな風に思ってたら、茉莉がこちらを向く。


茉莉「そうかな、あたしは未来も楽しいって思ってると思うよ」


 人の心境を勝手にねつ造するな。読もうとするな。


茉莉「ねつ造じゃないもん。ねー」

ねこ「みー」


 本当にそうだと思ってそうな、曇りのない笑顔だ。

 言葉で何を言ったところで無駄だろう


 腕の中の小動物に同意を求めた茉莉は返ってきた鳴き声を肯定的な言葉だと解釈したようで、どや顔をこちらに向けてくる。ムカついたのでデコピンした。


茉莉「ひゃう……。うぅ……。だって未来、ちょっと前まではケンカばっかりして沢山怪我してたでしょ? でも桐谷さんに声かけられて基地に集まる様になってからそれも、全然なくなったよねー?」

未来「……」

茉莉「それってきっと、楽しい事だと思うなー」


 それは、今から少しだけ過去の……力も才能もなくてむしゃくしゃしてた、昔の事だ。

 だが、そんな俺が行動を改めたきっかけの一つは、偶然出会った学校の先輩である桐谷に目を駆けられた事がきっかけだった。基地で彼女が独自に進めている製薬の研究を時々手伝う事になって、何の取りえもない俺の力を必要としてくれている人がいると思ったら、迂闊な事をして足をひっぱりたくなったから。


 だが、俺が根本的に変わるきっかけとなった事は、他ならぬ茉莉の……隣にいる頭の中がファンシーでお花畑でできてそうな幼なじみのおかげの方が強かった。


 こいつが俺の事を慕って信頼してくれるから、無ざまなとことは見せたくないのだから。


茉莉「ちょっと、悔しいなー。あたしは悔しいです。だって、あたしが未来は凄いんだよーって言っても、皆聞いてくれなかった……」


 そんな事はない。

 そう言いたかったが、事実は非常だ。


 昔の荒れていた頃の俺に声をかけられるのは、桐谷先輩くらいのものだっただろう。


 俯く祭りの頭にそっと手を置く。

 その皆の中にはきっと俺自身もいる。

 何度も励まされても顔を上げなかった俺は、茉莉の近くから離れていた事もあったから。


 撫でられるままになった茉莉はしばらくして顔を上げた。その表情は安心したような笑顔だ。


茉莉「でも、今は大丈夫だね」


 ああ、そうだ。大丈夫なんだ。だから、お前が心配するような事なんて何もない。

 家に帰ってこない俺の為に、姿を探し回って自分の家を抜け出してまで探しに来る必要はもうないんだ。


 茉莉はいつものポヤポヤした様子ではなく、真摯な口調と態度になってこちらに言葉を掛けてくる。


茉莉「だから未来、ずっと忘れないで、ずっとね。一番大事な事は目に見えない繋がりだよ。皆、傍にいるからね」


 いつもは年齢不相応に子供っぽく見えるのに、こういう時だけは未来よりも大人びて見えるから不思議だ。


未来「……。それは何のアニメのセリフだ」

茉莉「えー、ちがうよー。まじめな話だよー」






 しばらくそんな風に歩いていると、猫が不機嫌そうな声を出した。自分からすり寄って来ておいて、気が変わるのが早かったらしい。茉莉は気分屋な猫にほどなくして逃げられてしまう。


 腕の中から逃げ出した猫が走り去っていく。


茉莉「あーあー」

未来「追いかけるなよ。真っすぐ家に帰る」

茉莉「ふぁーい」


 肩を落とす茉莉を促して歩かせる。

 

未来「猫なら未来の目の前にいるだろ」

茉莉「え、どこー」

茉莉「お前だ」

未来「えー、あたし猫じゃないよ。茉莉だよー」


 知っている。

 物の例えだ。

 気まぐれに行動して、我がままな所が猫にそっくりだというそういう意味で言ったんだ。

 ただ本物の猫は、同じ猫に大して過剰に構ったりしない所があるが、違うのはそこらへんか。


茉莉「全然ちがうよー。髭もないしー、耳もないしー。あんなに小っちゃくないもん」


 抗議してくる茉莉の言葉を半分ほど聞き流しながら、俺達はその場所までやって来た。


 それぞれの家への分かれ道だ。


 長い長い坂の最後。

 茉莉が名付けた夕日が綺麗に見える、夕日坂の最後にその分帰路はある。


 左にもう少し上った場所が茉莉の家のある方向で、未来の家は右の方向だ。


未来「寄り道するなよ」

茉莉「しないもん」


 どうだかな。


茉莉「じゃーねー」


 手を振りながら茉莉が離れていくのだが、俺はしばらくその場所で立っているまま。

 たまに、茉莉が振り返るからだ。


 何度か。

 家に帰る前に。


 それは茉莉の習性の様な物だった。


 最初の内は気が付かなくてそのまま背中を向けて帰っていた。

 いつもどうしてそんな事をするのか聞いても、茉莉ははぐらかすばかりで答えない。


 何度目かで未来が気づいて視線が合った時に浮かべた茉莉の表情を見れば、無視して去るのが正解ではないことぐらいは未来には分かった。


 今日も視線が合う。


茉莉「えへへ」


 嬉しそうな表情。

 それから何度か、進んでは振り返って、笑っては手を振り返す茉莉を完全に見送って、ひょっこりと角から一度顔を覗かせるのを見届けた後、俺はようやく自分の家へと歩き出した。


 全く世話が焼ける。

 未来に妹がいたらあんな感じなのだろうか。


 甘えん坊で、我がままで、年上にべったり。

 茉莉はそんな未来のイメージに大して、まるでそのままそっくりの存在だった。


 明日もまたこうして会うのだろう。

 ほんの半日だ。

 明日の学校があるからすぐに会える。


 朝、いつものこの坂道の前で。



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