みんなで原稿を読む時間~成長したワナビと来未の涙~

 第一稿完成の二日後――。部室に全員揃った俺たちはプリンターを見つめていた。

 ウィーン……ザッザッザッザッ……。

 独特の駆動音がして、部室のプリンターが原稿を吐き出していく。もう六年ぐらい使っているものらしい。これまでの文芸部員の原稿をプリントアウトし続けてきたかと思うと、感慨深い。OBに作家になれた人はいないという話だが、今でも夢を追いかけてワナビをやっている人もいるかもしれない。

 なぜこうやって印刷しているかというと、推敲をするためだ。とりあえず自分で一度熟読してみて、自分なりの推敲と校正はした。蔵前が言っていた通り、書いたときは快心のギャグだと思ったところほどスベッていた。そういう部分を丁寧に修正して、重要な場面にも加筆をしてクオリティを上げていく。すべてのチェックを終わった頃には、疲労のあまり立ちくらみがした。

 ……ウィーン……ウィーン……ガーー……。

 ついに、俺たちの原稿を全部印刷し終わった。あとは、そう。

「ふふ……では、先輩の原稿を真っ赤にしてあげますかね」

 赤ボールペンを持った蔵前がハァハァしながら俺の原稿を見ていた。

 顔見知りに原稿を読まれるのって恥ずかしいものだが、ここはしっかりと見てもらわなければ。こ、これが羞恥プレイか。

「って、俺だけ読まれるのも理不尽だ。俺にも蔵前の原稿を読ませろ」

「ふふ……いいですけど、先輩の自信をなくすことにならないか心配です」

「かなり自信ありげだな……」

「バッチシですから」

 こいつ、本当に実力あるからなぁ……。もう受賞枠ひとつ埋まったようなものかもしれない。

「じゃ、やっぱり俺は妻恋先輩の原稿を読みます」

「え、ええっ!? ら、らめっ……です」

 おおっ、妻恋先輩から「らめ」という言葉を口にさせたのはポイントが高い。

「ぐふふ……よいではないか、よいではないか」

 つい悪代官の口調で、うぶな娘のように恥じらう妻恋先輩に迫る。

「か、堪忍してください……」

 涙目で原稿を胸元に抱き寄せ、あとずさる先輩。こりゃたまらぬ。男なら一度は悪代官に憧れるものだ。いま流行りのダークヒーローってやつだ。

「……ほれ、よいではないか。ほれ、ほれっ。ちこう寄れ」

「って、希望ねーちゃんになにしてんのよ! このセクハラ大魔王!」

 む、出たな。いつも俺のエンジョイタイムを邪魔する悪の桃太郎侍。お前はそこで寝っ転がってパンツ丸見えで少女マンガを読んでればいいものを。

「セクハラとは心外な。これは俺と妻恋先輩の愛のコミュニケーションだ。さ、先輩、俺と心ゆくまで悪代官ごっこをしましょう。ほれ、ほれほれっ」

「えっ、ええっ……!? い、いやっ、や、やめてぇっ、新次くんっ……」

 そんな俺を蔵前はジトっとした目で見る。

「先輩、脱稿直後の変なテンションまだ続いてるんですか? ほら、さっさと原稿を見せてください。そのテンション、思いっきりぶち壊してやりますよ。原稿を血塗られた赤にして顔面蒼白にしてあげますから……ふふ、ふふふふふっ♪」

 そう言って、赤ボールペンを握りしめる蔵前。怖い……赤ボールペンが凶器にしか見えない。こいつのテンションもおかしい。

 まぁ……そろそろ真面目モードに戻ろう。こほん。

「わかった……手加減なしで真っ赤にしてくれていい。そして、俺にもお前の原稿を読ませてくれ」

 初めての俺の創作世界の読者であり、俺がきっかけで創作の世界を目指し始めた少女。その原稿はしっかりと読まねばならない。

「了解です、先輩。それでは、わたしの原稿も読んでください」

 俺たちは印刷したばかりの原稿を交換した。

 パソコンで読むほうが印刷の手間がないが、やはり書籍となったときのことを考えて紙で読むほうが大事だと思う。あと、誤字脱字は紙のほうが圧倒的に見つけやすいのだ。

「……妻恋先輩はどうします?」

「う、うん……それじゃ、お、お願いしていいかなっ……。でも、ふたりはまずお互いの原稿を読んでねっ」

「あっ、それじゃー、あたしが妻恋ねーちゃんの原稿読む!」

「お前漢字読めるのか?」

「な、なによ、これでもあたしIQとか高いんだからね! その……学校の勉強は嫌いで、あまり行ってなかったけど……」

 ……そうか、こいつも不登校気味だったのか。やはり俺の子孫だな……。

「そ、それじゃ、来未ちゃん、お願いねっ!」

「うん、妻恋おねーちゃんの原稿読むの楽しみっ!」

 妻恋先輩から来未は原稿を受け取った。

「あの……もしよろしければ、妻恋先輩にも原稿を読んでいただきたいです……」

 蔵前は自分の鞄から原稿を取り出した。

「自分で読み直す用に持っていたので、少し紙が曲がってますが……赤は入れていないので、読みにくくはないかなと……」

「明日菜ちゃん……うんっ、読ませてねっ」

 妻恋先輩も蔵前から原稿を受け取った。

「それじゃ……読み始めるか」

 俺たちは部室のそれぞれの位置に陣取る。俺と蔵前はちゃぶ台。妻恋先輩はデスクトップパソコンの席にあるキーボードをどかして、そこに原稿を置く。来未は、壁に背中を預けて原稿を手に持つ。そして、真剣に応募原稿を読み始めた。

 蔵前の原稿は、最初から圧倒的なレベルを感じるほどの出来だった。

 まずはその流れるような文章力。頭がいい人間はやはり文章も上手いのだろうか。語彙も豊富で、それが浮いていない。自然と作品の雰囲気を形成していっている名文だ。

 キャラクターもいい。へたれ主人公と、どっかで見たことのあるようなヤンデレ美少女。まぁ、蔵前自身そのものだが、その主人公とヤンデレ美少女のかけあいが非常に面白い。ストーリーも、まさに売れ線をしっかりと押さえたライトノベル的な展開で、ひねくれているようで実は純粋なヒロインの心がせつなくて、応援したくなる。

 俺は、赤ボールペンで校正するどころか、すっかり作品世界に没入してしまった。

 部室にいるということも、目の前に蔵前がいるということも忘れて、創作の中に没頭していった。紙をめくる手が、止まらない。瞼が自然と開き、視界がクリアーになる。その作品世界に耽溺していく。

 そして、ついに――。

 終わる。最後の一枚を読み終わった。

 ………………すごかった。

 今まで読んだライトノベル作品で、これだけ面白いものを読んだのは初めてだ。

 俺は、ちゃぶ台に置いていた原稿から顔を上げて目の前の蔵前を見る。

 ちょうど同時に、蔵前も読み終わったところのようだった。

「お前の原稿…………すごく面白かったぞ。こんなにドキドキワクワクした原稿は初めてだ。プロの作家にも負けないというか、それ以上だと思う」

 俺はそのまま思ったことを伝える。もっと語彙力があれば、色々と言えるのだろうが、こういう言葉しか出てこなかった。本当に圧倒的だった。

「ありがとうございます。…………先輩の原稿も、すごかったですよ。何度わたし、笑い出しそうになったことか……やっぱり先輩はこれでいいんだって思えました。ひとりぼっちの根暗な女の子を楽しませようとした、あの頃のままで――」

 俺と蔵前は時を超えて、お互いの創作を認め合える作者同士になっていた。十年の歳月を経て、ここまで成長したのだ。

「明日菜ちゃん、本当にすごかった。この原稿……きっと大賞獲れると思う」

 そして、俺たちより先に読み終わってたらしい妻恋先輩が、蔵前に告げる。

「ありがとうございます。妻恋先輩に褒めていただけると、わたしも自信になります」

 ふだんおっとりしている妻恋先輩だが、創作に関しては真剣そのものだ。その妻恋先輩が真剣な表情で、そう言った。それだけのものが、この原稿にはあったのだ。うん……受賞一枠埋まったな。

「……うぅ……んくっ……んぇ……んんっ……!」

 唐突に響いた、涙をこらえるような声。

「来未……?」

 俺が振り向くと、来未は涙を流しながら妻恋先輩の原稿を読んでいた。

 それは……初めて見た来未の涙だった。

 俺たちが注目しているのにもかまわず、来未はそのまま原稿を読み、腕で涙をぬぐい、また読んでいく――。

 そして、来未は最後の一枚を読み終わった。

「ひくっ、えぐっ……んっ、ぅぁぁっ……」

 そして、右腕で顔を隠して泣き始めた。

「……来未ちゃん」

 妻恋先輩は立ち上がり、来未のところへ腰を下ろす。それはまるで、泣き出してしまった子どもを見守る優しい母親のようだった。

「希望ねーちゃんっ……すごいよっ……なんで、こんなっ……えぐっ、泣ける話書けるのっ……?」

 来未は妻恋先輩に抱きついて、そのまま泣き始めた。その背中を妻恋先輩は優しく撫でる。何度も、何度も――。

「ありがとう……この原稿を書けたのは、みんなのおかげ……。新次くんと、明日菜ちゃんと、来未ちゃん……みんながいてくれたおかげだからっ……」

 そう言った妻恋先輩の瞳からも涙が滲んでいた。

「今までのわたしだったら……絶対に、書けなかった作品だと思うから……」

 この一ヶ月で成長していたのは、俺だけじゃなかったようだ。そんな妻恋先輩の原稿を俺も読んでみたい。

「妻恋先輩……俺も読んでみていいですか?」

「う、うん……新次くんが、よければ。あの……わたしも、新次くんの原稿、読ませてもらっていい……かな?」

「もちろんです。というか、こちらからもお願いします。やっぱり俺、妻恋先輩のいる文芸部に入ったおかげで、だいぶレベルが上がったと思いますから」

 指導というような堅苦しいものはなかったが、妻恋先輩からは折に触れて小説についてのアドバイスをしてくれた。特に、妻恋先輩は「泣き」を書くのがうまい。俺の今回の原稿に多少なりともその要素が芽生えたのは、妻恋先輩の影響だと言える。

 蔵前が「頭」で計算し尽くして書くタイプなら、妻恋先輩は「心」。どちらもすごい才能の持ち主だ。

「それじゃ、お願いするねっ。これがたぶん、高校時代最後に応募する原稿だから……」

 そう言って、今度は俺と妻恋先輩が原稿を交換する。

「あの……それでは、もうひとつ印刷してもらっていいですか。わたしも、妻恋先輩の原稿、読みたいです」

「ありがとう、明日菜ちゃん。お願いしますっ……じゃ、印刷するね」

「あ、じゃあ、印刷終わったらちょっとコンビニでも行かないか? さすがにぶっとおしだと、原稿見る目が散漫になるかもしれないし」

 俺の提案にみながうなずく。

「ほら、来未……食い物調達しに行くぞっ。好きなもん買っていいからなっ」

「う、うんっ……新次、希望ねーちゃんの原稿、マジですごいかんねっ……ぜったいに泣けるからっ!」

 少女漫画ばかり読んで小説をちっとも読んでいなかった来未をここまで感動させるとは。

 やっぱり、創作っていいよな。こんなふうに心を動かして、泣かせることすらできるんだから。

 俺たちは印刷が終わって原稿をダブルクリップで止めてから、学校近くのコンビニへ行って食料を調達。手早くおにぎりとサンドイッチを食べて、お茶やコーヒーを飲み――再び原稿の世界へと旅立った。



 そして、時刻が夕方を過ぎて――俺たちは原稿を読み終わった。

「っく……ぅ……ぁ……」

 俺は嗚咽しそうになるのをどうにかこらえながら、原稿を持った手を震わせて涙を流していた。さすが……妻恋先輩だ。こんなに優しい世界が、優しいキャラが、優しいストーリーがあるのだろうか。

「……っ……ん……」

 蔵前も肩を震わせていた。涙が滲んで、涙の粒が大きくなり、一粒の涙がちゃぶ台に落ちた。

「妻恋先輩……最高に泣けました。これは、妻恋先輩にしか書けない世界ですよ」

 先に俺の原稿を読み終わって待っててくれた妻恋先輩に向けて、賛辞を贈る。続いて、蔵前も感想を口にする。

「本当にこれは、名作です……。さすがです、妻恋先輩。わたし、これまでプロアマ含めて多くの小説読んできましたが、心の底から負けたって思ったの初めてです……売れ線とかレーベルカラーとか研究して書いている自分が、愚かな気すらしてきました」

「そ、そんなにすごい原稿じゃないよっ……し、新次くんのだって、すごく笑えて、でも、せつなくて、昔書いてたものよりもストーリー面もちゃんと書けるようになって、すごくよかったよっ」

 そうやって妻恋先輩に褒められると、うれしい。でも、それ以上にいまの俺には妻恋先輩の感動作を読めた充実感があった。

 はは……でも、こんなすごい原稿がふたつもあったら、受賞枠ふたつ埋まったな。だが、それでいい。こんな素晴らしい原稿は早く世の中に出て、多くの人を楽しませて、泣かせるべきだ。

「読み終わった! 明日菜ねーちゃん、すっごい面白かったよ! 最後のバトルすごいかっこいいし、最後の結末、すごいよかった!」

 そして、遅れて読み終わった来未が蔵前の原稿を称賛する。

「ありがとうございますっ……ふふ、うれしいものですね、シンプルにそう言ってもらえると」

 文芸部じゃない人間だからこそ、逆に面白さというものに対して素直になれるものかもしれない。

「あとは新次の原稿だけど、疲れたから家に帰ってから読むね!」

「ああ。ふだん小説読まないのに、一気に二作品も読んだら疲れただろ?」

「ううん、なんかみなぎってきちゃった! 本当に面白かった! こんなに面白い小説読めて、生きててよかったって思えるぐらい!」

 瞳を輝かせてそんなことを言う来未を見て――妻恋先輩と蔵前はきょとんとしたあと、それぞれが微笑んだ。妻恋先輩は慈愛に満ちた表情で、蔵前は照れくさそうに――。

 やっぱり、楽しんでもらえるのが作者にとってなによりもうれしいことだよな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る