初稿完成~創作世界への没入~

※ ※ ※


 放課後からが、俺の時間だ――。


「睡眠はバッチリだ」

「先輩、赤点とって留年したらどうするんですか?」

「教科書読めば問題ない」


 授業を聞くのは苦手だけど教科書を読むこと自体は好きなのだ。


 というか、先生方には申し訳ないが、ひたすらテキスト読んでいるほうが効率がよい。読解力抜群の新次くんとは俺のことだ。……鈍感系難聴主人公? なにそれ?


「さ、始めるか」

「ぐげーぐごー」


 やる気を削ぐように寝ている来未は置いておいて(起きたら起きたで面倒くさい)、執筆開始だ。


 それぞれちゃぶ台や机にノートパソコンを出して、キーボードを叩き始める。

 来未がいびきをかいていることもあって、俺たちはイヤホンを使うことにした。


 執筆時はやはり音楽を聞くと捗る。好きなゲームのBGM、飽きたら、クラシック。どちらも穏やかな感じの曲がおススメだ。クラシックなら、ノクターン、カノン(パッヘルベル)、G線上のアリア、これが俺が執筆時に聴く三大クラシックである。無音というのは、意外と気が散る。


 そんなわけで俺たちはそれぞれ好きな曲を聴きながら、執筆を進めていった。とはいっても、執筆を開始するときは最初が大変だ。筆が乗ってくるまで時間がかかる。


 でも、焦ることは禁物。手が止まっても、慌てず、今できるペースで書いていくことが大事だ。行数とか気にしてはいけない。


 どうしても進まないときは目をつぶって、しばし音楽を聴く。とにかくリラックスすることに努める。そうすれば、やがて頭が温まってきて、筆が捗るようになる。それでもだめなら、仮眠をとってから書くか、あるいはさっさと寝て次の日にがんばったほうがいい。


 とにかく、大事なのは集中すること。作品に没頭できるようになれば、しめたもの。目の前のキャラが動いて、喋って、その世界を見ているかのように、文章を書くことができる。目の前のことをそのまま書けばいいのだから、楽である。ある意味で、夢を見ながら書いているような境地になる。


 そんな感じで俺たちはそれぞれ作品世界に没頭していく。


 筆が止まる時間もたまにはあるけど、書いているときのこの楽しみは、ほかで味わえるものじゃない。だから、悩んでも、辛くても、苦しくても――やっぱりその感覚を味わいたくて、書き続けるのだ。


 面白いことを書ければ、嬉しい。自分で書いてて、頬が緩む。まぁ、そういうところってギャグが上滑りしてたりするので、あとで推敲のときには入念にチェックしなきゃいけないが。


 ……俺は、思う。この世は、理不尽だ。平等じゃない。それでも、作品の前に人は平等だ。小説の中には、無数の青春がある、笑いがある、楽しさがある。感動がある。それを誰しもが楽しむことができるなんて、素晴らしいことじゃないか。


 昔、心を閉ざして家に閉じ篭っていた頃の俺にとっては、創作の世界だけが救いだった。本を読んでいるときだけは、現実を忘れて、心から笑うことができた。そうして、俺は作家になりたいと思った。


 だから、このバトンをまた誰かに渡すことができたらと思う。楽しんでもらいたい。そして、俺の作品を読んで、ひとりでも作家になりたいと思ってもらえたら、こんなに嬉しいことはない。


 ……ガラにもなく、感傷的なことを考えながら、俺はキーボードを叩き続けた。


 文字が生まれ、文章になり、物語を形作ってゆく。キャラを動かしているうちに、逆にキャラに俺が動かされているような感覚になる。制御するのも大変だ。


 途中からはキャラに引っ張られて、キャラが暴れまわって、でも、それが楽しくて――いいぞもっとやれ、と思いながら、書いていた。


※ ※ ※


 夢中になって書いていると、時間はあっという間だ。

 音楽をずっと聴き続けるのも疲れてきたので、イヤホンを外す。


 そして、周りを見てみると――すでに執筆を完了したらしい妻恋先輩が、真剣な眼差しで原稿をチェックしているところだった。


 蔵前は手を止めて悩んでいた素振りだが、やがて怒涛の勢いでキーボードを叩き出して、ターン!とエンターキーを押した。そして、「さすがわたしですよね……ふふっ」とか言って、ひとり悦に入ってた。


「あっ、新次くん、どう? 終わった?」

「あと三十行ちょっとってところですかね。見直しはまた別ですが……」

「すごいじゃないですか、先輩。一時は完成すら不可能そうだったのに!」


「ああ、これもみんなのおかげだな……あと少し、終わらせるか」

「先輩、ファイトです」

「がんばって、新次くん」


 優しい眼差しで、蔵前と妻恋先輩が俺を見守ってくれる。


 ふたりに出会わなかったら、俺はきっとろくな人生を送っていなかったと思う。

 こうして奮起して再び小説を書くようになったのも、ふたりのおかげだ。


 ……あとは来未のおかげもあるかもしれない。なんだかんだで来未が来てから、俺は小説に対して真剣に取り組むようになった気がする。

 ……というか、頭を蹴られて一時は脳の調子がおかしくなったが、その後は異様に執筆に集中できるようになったのだ。


「……むにゃむにゃ……んんっ?」


 そこで、来未が目を覚ました。そして、俺のほうを見る。


「あ……新次、原稿終わったの?」

「いや……あと少しだ」


「ん……そう……よかった。ふぁぁ……夢、早く、叶えなさいよ……みんなを泣かせないためにも」


「ん? あ、ああ……」


 なんか変な言い方な気がして来未を見るが……そのまま来未は再び眠り始めてしまった。なんなんだ……みんなを泣かせる? ……まぁ、いいや、寝言だろう。


 とりあえず、まずは目の前の原稿を完成させないと。


 俺は再び画面に向き合う。


 最後のシーン。終わりよければすべてよしとはいうが、やはり小説にとって最後の部分は大事だ。


 俺は深呼吸してから画面を見つめ、物語の世界に没入していく。


 キャラはもう俺が考えないでも、勝手に話してくれる。そう。もうキャラには命が吹き込まれているのだ。俺はそれを、ただ描写していけばいい。


 俺は、無我の境地に入って手を動かしていく。

 そして――ついに最後のシーンを書き終わる。


「……よしっ!」


 最後の一行を書いて、エンターキーを押す。


 その瞬間、心がふっと軽くなった。

 満ち足りた感情が全身に拡がっていく。

 完成の瞬間の喜びは、いつ味わっても最高だ。特に、今回は格別だった。


「お疲れ様、新次くんっ」


 妻恋先輩は我がことのように喜び、笑顔を見せてくれた。

 続いて、蔵前は安堵したように微笑む。


「お疲れ様です、先輩……。ようやくですね……間に合わないかと思いましたが……本当によかったです」

「ま、終わりよければ、すべてよしってことで」


「甘いですよ、先輩。ここからが大事です。推敲をしっかりとしてください! 書きながらよく書けた!って思っているところほど、上滑りしていることがあります。特にギャグは危険です。しっかり見直してくださいね」


「お、おう……わかった。ただ、今日は休ませてくれ」


 執筆直後は心身ともにハイになっているが、疲れは時間差でドッと出てくる。


「締め切りまで時間ありますしね。少し置いてからのほうがいいかもですね」


 そう。ある程度熱が冷めてからじゃないと、だめなんだよな。推敲とか校正というのは、いかに冷静にやれるかが大事だ。……執筆については、時に暴走するぐらいの熱量が必要なときがあるが。


 創作者たるもの、書き手の自分と読み手の自分――相反するふたりが自分の中にいなければダメなのだ。……と、ワナビの俺が言っても説得力ないけどな。


「それじゃ今日は甘いものでも食べて帰りますかね。執筆すると糖分めちゃくちゃ摂取したくなりますし」

「そうだねっ、パフェとかいいかもっ」


 そうやって話していると、来未の耳がピコピコ動く。


「……ん? 食べ物の話してる?」

「寝てたんじゃないのか、お前」

「あたしの優先順位は。食べる>寝る>漫画を読むだから!」


 本当に人生イージーモードすぎて代わってほしいレベルだな。


「ふふっ♪ それじゃ、みんなで行こうっ。パフェのおいしい喫茶店知ってるからっ」

「わーい♪」

「お前、なにもしてないだろ……」

「静かにしてたもん! 静かにしてるのは、暴れるより大変なんだもん!」


 結局、こいつの正体ってなんなんだろうな……。色々と疑惑はあるのだが、 まぁ……今日のところは執筆で疲れてるので後回しだ。


「ほら、先輩早くいきましょう。女子のスイーツ巡りにつきあえない男はモテませんよ」

「それじゃ、行くかっ。とりあえず第一稿完成記念ってことで!」


 わいわいと騒ぎながら、俺たちは喫茶店へ向かった。……来未が末広家の財政を悪化させるほどパフェを食いまくるのはまた別の話である――。

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