トリプルアクセルファーストキス

 そして、帰りのナウい電車の中。

 来未は、完全に爆睡。食って寝て暴れて、たいへん人生イージーモードだ。


 正面の妻恋先輩は、ときたま手を口にやって欠伸を噛み殺しながら、文庫本を読んでいた。その姿は、とても、萌え……。心震えるほど、萌え……。


 蔵前は……俺の隣で、肩を預けて寝ていた。長い髪が首筋にサワサワしてきて、たいへん心地よい。ってか、興奮する。おかげで、眠れない。


 ……なんにしろ、この旅はいろいろあった。


 当初の予定以上に、原稿が進んだのは大きな収穫だ。これなら、〆切に間に合いそうだ。まぁ……蔵前にあんなに積極攻勢をかけられるとは思わなかったが……(この寄りかかりも攻撃の一環かもしれない)。


 俺、どうすればいいんだろうな……。受身の性格が祟ってか、どうにも決断力にかける。確かに一番好きなのは妻恋先輩なのだが……俺の心は揺らいでいる。


 だが……まずは、そうだ。原稿を完成させることだ。家だと集中できないから、明日から部室で書くか……。このあとの展開、どうしようか……。


 小説のことを考えているうちに、だんだんと俺も眠くなってきた……。寝るか……。蔵前のシャンプーの香りを感じながら、俺は心地よい眠りに落ちていった。



 地元の駅へ着いた。

 寝てしまった俺たちを起こしてくれたのは、もちろん妻恋先輩だ。


「みんな、お疲れ様です……。明日、学校で会いましょう……ふぁ……」


 妻恋先輩が口元に手をやって、欠伸を噛み殺す。


「それじゃ、先輩。また明日です。原稿あと少し、がんばりましょう」

「うむ。……ありがとうな、蔵前。お前のおかげでここまで来れた」


 こいつがしつこく合宿に誘ってくれなかったら、俺の原稿はここまで進まなかったと思う。そもそもこの原稿の執筆だって、こいつに尻を叩かれて再開したんだからな。感謝しかない。


「なんか先輩、やけに素直ですね。いつもそれなら、助かるんですが。それじゃ、わたしは帰って爆睡します」


 帰る方角が違う蔵前が、去り。残りは三人。


「ふにゃぁ……ねむいぃい……」


 来未はふらふらした足取りで移動してゆき、電柱にしがみついた。メイド服でただでさえ目立つのに、すぐに奇行に走るから困る。


「くかー……」


 電柱に抱きつきながら寝るメイド服の少女(黙っていれば、文句なしに完全な美少女)。そりゃ、通行人から奇異の目で見られるわけで……ここ、駅前で人多いし。


「だあっ。起きろ。TPOをわきまえろ」

「うぐー……ねみゅい……もう、だめ、ねる……」


 電柱から引っぺがそうと試みるが、もう全身が弛緩してしまってる感じだ。


「ど、どうしよう新次くん……」


 まさかこのまま置いていくわけにはいかない。


「ちっ……しかたない。こうなったら、おぶるしかないのか……」


 途中で目を覚まされたら、暴れられそうで嫌なのだが……。しかたない。文字通り、背に腹は変えられない。なんとか妻恋先輩にも手伝ってもらって、来未をおぶることに成功する。


「まったく、本当に手のかかる娘みたいなもんだな……」

「んー……ごはん」


 来未は俺を炊飯器だとでも思っているのか、強く抱きついてきた。


「うぁ……」


 いろいろなところが背中全体に当たってる……や、やわらけぇ……。し、しかし、ここでこいつ相手に煩悩がだだ漏れだなんて俺の中の全俺が許さない。こいつは子孫なんだからな。


「……人生は苦しい。人生は悲しい。人生は虚しい。人生は侘しい。人生は……」

 人生を否定しながら、煩悩と戦う。

「だ、大丈夫? 新次くん……」

「大丈夫です。俺の中の全俺が、戦ってますから……人生は苦行、人生は煉獄、人生は地獄……」


 その後も、通行人から奇異なものを見る視線を容赦なく浴びつつ、俺は帰り道を歩き続けた。


 こんなに、俺の家って遠かったっけか……。


 ようやくのことで、自宅玄関にたどり着いた。


「それじゃ、先輩。また明日……」

「え、ええと……来未ちゃんパジャマに着替えさせて、ちゃんとお布団に寝かせてあげないと。ちょっとお邪魔するね」


 ああ、なんて甲斐甲斐しい……。適当に布団にほっぽっておけばいいと思っていた俺からすると、えらい差だ。

 妻恋先輩に俺のポケットから鍵を取り出してもらって、玄関を開けてもらう。


「すっかり熟睡しやがって……」


 靴を脱いで、おぶったまま廊下を歩いてゆく。そのあとに、妻恋先輩も続く。


「ふぅ……なにはともあれ帰ってきたな、我が家へ」


 やはり家はホッとする。リビングの床へ下ろしてしまおうかと思ったが、一応、こいつの部屋まで運ばねば。


 さらに移動して、来未の部屋と化している両親の部屋の前へやってくる。ずり落とさないように気をつけながら、片手で器用にドアノブを回して引く。


 部屋の中は、畳んだ布団に、テレビ、ゲーム機(俺の部屋のものが勝手に強奪されて使われている)、そして、本棚(全部マンガ)。あとは、洋服ダンス。


「まずは、ここで下ろすか」


 いつも寝転んで少女漫画読んでいるし、いいだろう。


「よっこらせっ……ええい、手間取らせやがってからに……」


 ゆっくりと下ろして、畳の上に寝かせる。


「ええと、それじゃ、先輩、お願いします」

「うん」


 ここで俺はバトンタッチ。あとは乙女同士でキャッキャウフフの楽しいお着替えタイムでもすればいい。


「じゃ、俺はお茶淹れてますから」

「あ、おかまいなく」

「いえいえ、せっかくですから、お茶ぐらい」


 さすがに着替えさせたら、すぐに家を出て行ってもらうんじゃ申し訳なさすぎる。妻恋先輩には日頃から来未の衣食住について協力してもらってるしな。


「なんか茶菓子あったかな……」


 ゴソゴソと棚を漁る。と、先輩の声が向こうから聞こえてくる。


「……あ、あの、新次くん……ごめんなさい。パジャマどこかな?」

「ああ! すみません」


 そうだ。わかるわけないや、ここ我が家だし。


 ん~っと、確か洗濯して畳んで、あとはお前が箪笥に入れておけよって、来未に言っといたような。


「あー、あった」


 ベランダに接する部屋のところに、畳んだままになってる。


「まったく、ずぼらな……」


 パジャマを持って、来未の部屋に行く。そこには、メイド服の胸元がちょっとはだけた来未が寝ている。


「っとと! じゃ、先輩、パジャマこれですから!」


 慌てて目を逸らして、部屋から退散――するはずだった。


 不意に何かが足に引っかかって、バランスを崩し――え? うわっ! これ、さっき俺が置いた来未の旅行用リュックか!


 なんとか体勢を持ち直そうと、フィギュアスケート選手のように空中で回転する。だって、このまま倒れたら、もろに来未にダイブだ!


 ――しかし、いつだって現実は残酷だった。


「――んぶむっ!?」


 トリプルアクセルの着地に失敗した俺は、ごちん!っと、思いっきり来未のおでこに自分のおでこをぶつけてしまった。そして、同時に唇に感じる、この柔らかい温もりは――!?


「……んむっ、いったぁ…………! ……んんっ?」


 目が合う、来未と。

 血が引く、この状況に――思いっきり、キスしてしまってる現状に。


「わわわっ……!」


 妻恋先輩の慌てた声。それが遠く感じる。……先輩、いままで本当にお世話になりました……もう、これで俺、たぶんバッドエンドです。


「きゃあぁあああーーーーーーーーっ!?」


 お前、そんな女の子らしい悲鳴の上げ方できたんだな!? そう思った瞬間、思いっきりヘッドバッドを喰らう。さらに、右、左と強烈なパンチを両頬に見舞われて最後には股間に思いっきり蹴られて、巴投げのように吹っ飛ばされた。


「な、ななななななななななななななななななななななななぁあああああああああああああああああああああーーーーーッ!?」


 来未は思いっきり錯乱した様子で、壊れたように言葉を発し続けた。


 ……これは、マジで俺が悪い。いや、不可抗力だったのだが……。唇にキスの余韻を感じながらも、俺は顔面と両頬と股間を襲う猛烈な痛みに悶絶することしかできなかった。


「●□▲×◎■○◇▼▽~~!?」


 唇に手をやって、ひたすらパニくる来未。しかし、それも無理はない。死刑執行は、もう粛々と受ける覚悟はできている。今回は、本当に俺が悪い。女の子の唇を奪うだなんて、万死に値する。俺にとってこれはファーストキスだったが……おそらく、来未にとってもファーストキスだと思うから。


「わ、わっ、……お、落ち着いて、来未ちゃん! いまのは不可抗力だから!」

「■○◇▼●□▲Ω×◎㊥~~~!!」


 必死に妻恋先輩が止めてくれているが、いまだに来未はパニック状態だ。


「今回は……本当に俺が悪かった」


 腰が抜けそうなほどの睾丸の痛みに耐えながら、土下座する。もう、煮るなり焼くなり揚げるなり、気の済むようにしてくれ。


「……あ、あぅぅ……」


 唇を押えて、来未は顔を赤らめた。怒りによってかなり頭に血が昇っているからだろう。


 それも無理はない。もう俺は半殺しどころか九割殺しをされる覚悟をした。それだけの大罪を犯したのだから、しかたない。


 俺は断罪を待って、頭を下げ続ける。


 …………。…………。……………………?


 だが、いっこうに、来未から無慈悲な攻撃がこない。土下座の姿勢から、少し顔を上げて、来未を見上げた。


「……ばかっ……は、初めてだったのに……」


 てっきり憤怒の形相かと思ったら、なぜか妙に乙女チックというか、少女マンガのヒロインのように顔を赤らめている来未。

 謎の反応すぎる。それでも、俺にできることは謝ることだけだ。


「本当にすまなかった」


 もう一度、深々と土下座する。心からの土下座を。


「……あ、あうあうあぅ……」


 なぜか、自分の唇を指で押さえてモジモジする来未。


 ……おかしい。ここは俺の顎を全力で蹴り上げてから踵落とし、続いて強烈無比なストンピング攻撃をするだと思うのだが……。過去の行動と攻撃に関するデータから、半殺しで済むわけはないのだが……。


「……本当に申し訳なかった……許してくれとは言わない。メチャクチャにしてくれていい。殴る蹴るの暴行を加えてくれ」


 刀の前に首を差し出すような気持ちで、改めて謝罪する。

 さあ、愚かな俺を断罪してくれ。


「あ、あうあうあぅ…………。う、うううぅっ……」


 来未の声が震えている。これは……まさか、泣くとか? 殴られるより、そちらのほうが辛いかもしれない。

 しかし、次に俺の頭上に降ってきた言葉は、まったく想定外のものだった。


「せ、責任…………とりなさいよ」

「……セキニン?」


 なんだ……? 俺の知らない化学物質か? 頭の中の辞書検索をフル稼働させる。しかし、ヒットするのは一件だけ。曰く、責任。


「は?」

「だから……責任取りなさいよ!」


 言っている意味が理解できない。いや、理解を超えている。……え? つまり、常識的に考えて、女の子にキスして責任を取るってそれは……け、け、け……結婚?


「お、お前……何俺結婚子孫する先祖お前」

「お、落ち着いて新次くん! そ、それに、来未ちゃんも!」


 謎の言語を操る俺と、意味不明のことを迫る来未に、妻恋先輩が止めに入る。


「実の兄妹で結ばれるなんて、……神話とか民話とかである話かもしれないけど、そ、そんなの、だ、だめっ……!」


 妻恋先輩まで顔を赤らめて、テンパッていた。


「ち、違うわよっ! 結婚じゃない! だ、だれがこのゴミクズ先祖なんかと! だ、だから、一生、馬車馬のように働いて……、わたしに賠償し続けなさいって言ってるの!」


 いまの状況とあまり変わらない気がするのはなぜだ!


「き、禁断の愛はだめっ!」


 妻恋先輩も落ち着いてください! 誰もついてきていませんから!


「……わ、わかった。それでいいなら……。って、お前、最初から俺に生涯寄生し続ける気だったんじゃ……」

「本当は一ヶ月で帰るつもりだった。……けど! もう一生あたしの面倒見てもらうから!」


 すげぇ宣言だ。ここまで堂々とニート宣言できるのはある意味で感心する。だが、俺に非があるのも確かだ。こいつと、キ、キスしちまっただなんて……。

 つい、まじまじと来未の唇を見てしまう。


「……なっ、なによっ! み、見ないでよっ!」


 こうやって顔を赤くして怒っている顔が、妙にかわいくてドキっときてしまう。

 って、なにを考えてるんだ俺は! 来未だぞ? 金と暴力が支配する世紀末妹だぞ? で、でも民法的に考えて四親等離れてたらオッケー? いやいや、なに考えてるんだ! 頭がオーバーヒートしてどうかしそうだ!


「も、もうっ……! やっぱりもう一発殴らせないさよ、このバカエロ先祖! あ、あ、あたしの大事なファーストキスどうしてくれんのよーーーーーー!?」

「わわ、来未ちゃんっ!」


 来未から強烈無比なアッパーを食らって、俺は今度こそノックアウトされた。


 まさか、俺のファーストキスが子孫である来未とだなんて……。

 マジで事実は小説より奇なりというかメチャクチャだった……。

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