ハイパー混浴露天風呂タイム

「……それでは、汗もかきましたし……もう一回、温泉に入ってから、帰りましょう。そうそう、日帰り入浴できる、いい旅館を知っているんですよ」


 石段を下りたときには、一度引いた汗がまた出て、びしょ濡れ状態だ。婦女子の皆さん方は、ボディラインが透けて見えて、至福の絶景になっている。どうせなら石段の上から、絶景かな、絶景かな……! とか言って、石川五右衛門ごっこをすればよかった。


「こっちです」


 ともかくも、蔵前に案内されて温泉街を移動する。


 温泉というと、昨日の罠を思い出す。蔵前のことだから、なにかまた変なことを企んでいやしないかと不安だが……背に腹は帰られない。このままでは風邪をひく。

 ちなみに、あらかじめて着替えは大目に持ってきてるので、そこは問題ない。


 そうして、俺たちはこれまた立派な和風高級旅館の前にやってきていた。またしても格式と伝統を感じられる。


「……俺らみたいなのが来たら、門前払いされるんじゃないのか?」

「大丈夫です。顔が効きますから」


 もしかすると蔵前の家ってすごい金持ちというか権力者なんじゃないだろうか……。幼い頃はもちろん、いまに至るまで知らなかった。


 まずは蔵前がひとりでフロントに行って、何事かを話す。そして、俺たちのところへ戻ってくる。


「オッケーです。さ、入ってください」


 俺たちは、またしても蔵前に案内されて旅館に入っていった。俺たちのような汗まみれの高校生が来て、誠に申し訳ありません。


「明日菜姉ちゃんって本当に頼りになるね! 新次とは大違い! あたし、明日菜姉ちゃんの妹になろっかな?」


 ああ、どうぞ、どうぞ。俺のような貧乏人の自称妹より、よほど充実した食生活を送れることだろうよ。


「ほんと、申し訳ないぐらい……」


 妻恋先輩は、奥ゆかしい。これでこそ、正しき大和撫子の姿だ。

 しかし、蔵前の次の発言で、すべてが、覆る。


「でもいま……空いているのが露天の家族風呂だけらしいので、入れるのはそこだけですけどね」


 ぴたっと会話が止まる。


 俺は蔵前が言ったことの意味を反芻する。妻恋先輩も、来未も同じ様子だ。そして、数秒後――。


「え、えええっ……そ、そうなのっ?」


 妻恋先輩が、耳まで真っ赤にして、うろたえる。


「ちょ、ちょっと! なんでこいつと一緒に入らないといけないのよ!」


 来未は俺のことを指さしながら、怒声を発する。人を指差してはいけませんってお母さんから習わなかったのか。そんな子、末広家の子じゃありませんっ!


 やっぱり、蔵前の罠だったのか……。まぁ、いい。この状況での俺の答えは決まっている。


「じゃあ、俺はいいや。みんなで入ってこいよ」


 温泉好きとしては残念だが、うら若き女子のいる混浴露天風呂に進んで入ろうとするほど、俺はアグレッシブな人間じゃない。


「そ、そんなっ……新次くん、わたしは大丈夫だから、一緒に入ろうっ?」


 妻恋先輩から、泣きそうな顔で言われる。うん。すさまじい破壊力だ。首を十回ぐらい縦に振りたい。うんうんうんうんうんうんうんうんうんうん。


「うー、仕方ないなぁ……じゃ、特別にあんたも入れてやるわよ! このバカ先祖! 変態ゴミ先祖!」


 このツンデレ自称偽妹め……。一応は先祖である俺に対して、もっと尊敬の念を抱いてほしいものだが。


「まぁ、先輩が入らないといっても、力ずくで入れますけどね、わたしは……。先輩に風邪ひかれても困りますし」


 なんだかんだで、蔵前は俺のことを第一に考えてくれている。その愛情が、ときに怖いぐらいだが。


「それじゃ、入りましょう」


 家族風呂入口と記されたドア。当然(なのかどうなのか)、脱衣所も一緒である。


「はぁはぁ……」


 石段を登ったときのような、動悸がしてくる。いかん。妻恋先輩のお着替えタイムが見られるかもしれないと思うと……ちょっと、みなぎってくる。


「先輩……」

「ひっ!?」


 蔵前がずいっと顔を近づけて、俺の耳元で囁いてくる。


「……いま、なにか邪(よこしま)なことを考えていませんでした?」

「ナニも邪なことは考えていませんでしたヨ?」


 カタコトになりながら、どうにか返す。


「そうですか?」

「う、疑われるだなんて、心外だナァ。和製ジェントルマンである俺を信じられないっていうのカ?」

「いえ……ちょっと、一瞬ですが、邪気を感じたものですから」


 怖えぇ……。やっぱり、蔵前も尋常じゃない。来未とはまた違った意味で。


「?」


 妻恋先輩はというと、俺と蔵前のやり取りを頭にはてなマークを浮かべて、見つめていた。萌える。


「ま、ちゃっちゃと脱いで、温泉に入りましょう」


 こうして、俺たちのハイパー脱衣タイムが始まった。


「……というわけで、先輩だけ最初に着替えてください」


 あ……なるほどね。はい、そうですよね。なにもリアルタイムで一緒に着替えなんてするわけないですよね。あはは……。なにかを期待していた俺がいたことを認めざるをえない。


「……オーケー、わかった。すぐに着替えてやるよ。お嬢ちゃんたちは、ゆっくり着替えるがいいサ」

「新次、なんか言動がおかしくない? 変なもの食べたんじゃない?」


 見境なくなんでも食べてる来未には、絶対に言われたくない。


「じゃ、着替えますんで、あっち向いててください」

「う、うんっ。い、急がないでいいからね?」


 こんなときでも優しい妻恋先輩。さすが俺が好きになっただけある。


「ほら、ちゃっちゃと着替えてください」


 ……蔵前とは、えらい違いだ。


 女の子たちが一様に、背中を向けたのを確認して、俺は上半身、下半身の順で、衣類を脱いでいく。


 汗でかなり濡れ濡れだ。となると、妻恋先輩も……。いや、邪な想像はやめよう。健全こそ第一。不健全、ダメ、ゼッタイ。


「……じゃ、一足先に身体洗ってるわ」


 賢者としての正しき心を取り戻した俺はタオルで股間を隠しつつ、浴場のドアを開く。欲情の扉は開かない。


 木製の桶を手にとって、洗い場へ向かう。さっそく、ボディソープをタオルにかけて、高速で身体を洗いまくる。


 続いて、頭だ。……しまった。先に頭洗ったほうが、より合理的だった。頭を洗い終わったら、もう一回身体を洗おう。


 そうして、二度目に身体を洗っている最中に、ガラガラとガラス戸が開かれた。


「おっと……ま、まだだ!」

「まだ終わってないの? もう、遅いんだからっ!」


 来未から一喝される。


「ええい、もうすぐだ。待ってろ」


 足の指の一本一本まで洗って、ようやく俺は自分の身体を洗い終わった。完全無欠の清潔感溢れる俺ボディ。これで問題ないだろう。


「それじゃ、先に入ります」


 考えてみれば、俺が一番あとでもよかったわけか。でも、女の子はさらに時間かかりそうだからな。妻恋先輩が長い黒髪を洗うさまを見てみたいものだ……いや、紳士たるもの、そんなことではいかんな。


「新次、こっち向いたら、殺すかんね!」


 来未がギャーギャー言いながらも、洗い場に入ってきた模様。続いて、


「先輩って、乙女のように時間かかりますね」

「でも、ちゃんと身体洗うことはいいことだ思うっ」


 蔵前と妻恋先輩も、洗い場に入って来た。


「ふぅ……いい湯だな」


 俺は露天風呂に浸かりながらも、耳はやっぱり妻恋先輩たちのほうへ向いていた。だって、男の子だもん。


「……やっぱり、先輩の大きいですね」


 断っておくが、この場合の先輩は俺ではない。妻恋先輩に対して、蔵前が言っているのだ。俺の耳は、より高性能化して、音声を拾う。


「そ、そんなことないよ……別に、そんな大きくないよ……」

「いえいえ、ご謙遜を。何カップですか?」

「えっ……そ、それはぁ……ごにょごにょ」


 ああああああ! 肝心なところが聞き取れないじゃないかぁあああっ! 妻恋先輩は何カップなんだああぁああ? はよう、はよう! リピートしてくれ! このシナリオ、リピート再生機能ないのか? くそっ、現実なんてクソゲーだ!


「いいなー。あたしなんてAだもん」


 続いて、来未の声が聞こえてきた。

 ……お前のカップなんて訊いちゃいねぇ。帰れ、帰れ。シッシッ。


「……でも、肩こるだけだし、ブラも買い換えなきゃいけないし……それに……ごにょごにょ」


 ぐおおおおおおおおお! 楽しそうなところが聞き取れないじゃないかっ……! それに……それに、なんなんだぁあああ!? 気になって、夜も眠れない! お願いします、妻恋先輩、もう一度音声をクリアーにして、聞かせてくださいっ!


「ところで……さっきから並々ならぬ邪気を感じるんですが……。先輩! まさか乙女の会話に聞き耳立ててたりしてないでしょうね?」


「キョウハイイテンキダナー」


 俺は、アサっての方向を眺めながら、天気を褒め称える。ナイス、太陽。ビューティフォー、空。コングラッチュレーション、雲。

 行雲流水、諸行無常。ありをりはべりいますがり。


「……まぁ、まさか紳士を自称する先輩が、乙女のバスト談義を盗み聞きするなんてことはないですよね?」

「ええっ!? い、いまの会話、新次くんに聞こえてたのっ?」


 妻恋先輩が、慌てたような声を出す。はい、バッチり脳内音声フォルダに保存しました。肝心なところは、聞こえなかったけど。


「あんの変態ゴミクズ野郎! あたしのカップ聞いてタダで済むと思ってんの!?」


 お前なぞお呼びでない。ツルペタ関東平野が!

 などと言い返したら、半殺しにされて関東平野に埋められかねないので、俺は今日という日を讃え続ける。


「キョウハ、イイクウキダナー。キョウノサンソハ、ヒトアジチガウナー」


 空気と酸素と二酸化炭素までをも讃えながら、俺はさらに聞き耳を立てる。


「……やっぱり新次、頭おかしいんじゃない?」

「新次くん、直ったと思ってたのに……」

「いつものことなんじゃないですか?」


 なんか、いたたまれない気持ちになってきた……。


 そうこうしているうちに、女性陣も身体と髪を洗い終わったようだ。こちらに近づいてくるのがわかる。後頭部に目があるかの如き剣術の達人のように俺はその気配を感じた。


「ほら、あんたはさっさと出なさいよ!」

「で、でも……新次くんだって、まだ入っていたいだろうし……」

「というわけで、先輩は奥のほうにでも行っててください」


 俺の返答を待たずに、話がまとまった。


「了解。じゃ、あの岩陰にでも行ってるわ」


 ……にしても、家族風呂だってのに、なかなかの規模の露天風呂だ。これがジャパニーズセレブの世界か。


「あー、いいお湯ー!」

「汗かいたあとだと、温泉が身体に沁みますね」

「うん、気持ちいいね……」


 とりあえず、妻恋先輩の「気持ちいいね……」を、脳内音声フォルダに保存する。……って、なんか俺、本当にダメな奴になっていってる気がするっ! いかん、消去、消去……。俺は紳士だ。紳士たるもの、煩悩に打ち勝たねばならない。


「……創作は苦しい。創作は辛い。創作は苦行。創作は地獄。創作は報われない。創作は割に合わない。創作は……」


 創作の苦しみを思いながら、心の中の煩悩を追い払う。そうだ。人生も創作も、ほとんどが苦しみだ。一瞬の喜びのために、苦しみ続ける。でも、それこそが人生だ。

 急激に悟りの境地に達した俺は、もう迷わない。


「……さっきから、先輩の邪念が消えてますが……。先輩、生きてますかー?」


 邪念が消えたら、俺は死亡認定か。


「……ふ、舐めてもらっては困る。悟りの境地に達した俺はたとえ女子と混浴状態になろうとも明鏡止水の境地を保ち続ける」

「……はあ、そうですか……」


 蔵前から呆れたような声が返ってくる。


「やっぱり、新次くん、まだ本調子じゃないんじゃ……」

「うー、もう一回蹴り倒せば直るかなぁ……」

「ま、先輩はいつも頭おかしいですからね」


 結局、その一言で済んでしまうのが、蔵前の恐ろしいまでの説得力だった。

 そんなこんなで、俺たちの混浴温泉タイムはつつがなく終了したのだった。

 風呂から上って、旅館を出る。


「それじゃ、土産でも買って帰りましょうか」


 それからは、温泉饅頭を買って、俺たちは帰路へつくことになった。

 短いようで、内容の濃い一日だった。


 ……まあ、原稿が進んだあとは解放感があって、つい変なテンションになってしまうものだ。ワナビあるあるネタである。

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