ワサビが傷口に沁みるワナビ

「ふへへへへへへ……」


 俺は、焦点の合わない瞳で、天井を見上げていた。

 幸い、生き長らえたらしい。今回は、本当にだめかもしれないと思った。


「新次が悪い」


 来未が、腕を組んで、ぷいっと顔を横に向けて呟く。


 俺の額には、冷たいおしぼりが乗せられていた。妻恋先輩が、枕元で心配そうに看病してくれている。蔵前は、さっきの騒ぎの謝罪をしに、フロントへ行ったらしい。


 まぁいい。俺もこいつの暴力には慣れてきた。こうやってDV夫婦は深みにはまっていくのかもしれない。


「……で、どうでしたか、温泉街のほうは?」


 俺は妻恋先輩に尋ねたが、


「速攻で飽きた」


 来未が即答した。……まぁ、温泉街って土産屋か食事処ぐらいしかないからな。

 あとは温泉街によっては射的とかもあるが、ここは娯楽よりも湯治優先な感じだ。


「うん、でも……、ずっと逗留するならいいところだと思うなっ……。ここなら、適度に気分転換しながら小説書けそう……」


 妻恋先輩はさすがだ。こういう状況でも創作のことを考えている。


「あ、先輩、生き返ったんですか?」


 ドアが開いて、蔵前が入ってくる。さすがにちょっと元気がなさそうだ。まぁ、あれだけ来未によって阿鼻叫喚の地獄絵図になったんだから、旅館側は迷惑だったろう。俺の断末魔が何度も響いたわけだし。


「で、そろそろ夕食だそうですよ。先輩、食べられますか?」

「口の中から血の味がしているが、大丈夫だ」


 子孫に半殺しにされる先祖ってどうなんだ……。俺が死んだらこいつの存在はどうなるんだ?


 そんなことを思いながら、俺は一階大広間に下りていった。

 そして、席につく――。

 お? おおおおおおお……!


「豪華だ……」


 机に並んだ山海の珍味の数々。国産銘柄牛のすき焼きに、鮮度が一目でわかるほど輝いている刺身に、色とりどりの山菜に、見事な揚げ加減の天麩羅に、炊き込みご飯。俺の普段の夕飯からすると雲泥の差だ。


「がっついて食うんじゃないぞ、来未」

「う、うるさいなー。あたしって、上品がメイド服着て歩いているようなものじゃない!」


 かかと落としに膝蹴りにローキックにストンピングをかます上品か……。まぁもういいや。こいつにかまうと死亡フラグが増えるだけだ。


「では、いただきます」


 いまだに全身がズキズキ痛むが、せっかくなので食べないと。俺も、食い意地はあるほうだな……。血か。血は争えないのか。血の酸味を感じつつ、料理を食う。


 蔵前も、食事時に俺に迫ってくることはなさそうだ。綺麗な箸使いで、ご飯を口に運んでいる。妻恋先輩も、上品に食べる。


 ガツガツ食ってる来未を視界に入れないように、俺も刺身を口に運ぶ。

 うん、うまい。とろけるようだ。ワサビが傷口に沁みるけど……。

 そんなこんなで、夕飯の時間はすぎていった……。

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