夜の執筆と充実感と見守る来未

 そして、夜。このなにもない温泉地で、どう過ごせというのか。


「決まってるじゃないですか、執筆です」


 ついに……ようやく、文芸部らしい展開になったかと、胸をほっと撫で下ろす俺もいる。散々、騒いだので、外に行く気もでない。トランプも飽きた。


「……よし、書くか」


 おのおの持ってきたノートパソコンを起動させて、ワードや、テキストエディタを開く。


 俺の原稿は、現在、2570行辺りだ。なんだかんだで意外と進んでいた。思ったよりも以前に書いていた量が多かったのと、蔵前にスパルタ式で書かされたことが大きい。俺ひとりだったら、ここまでいってなかった。


 蔵前も妻恋先輩も執筆は順調で、あとちょっとらしい。……来未? あいつは結局一文字たりとも書いてなかった。一番印税がどーこー騒ぐ者ほど脱落するものだ。


 街の喧騒から離れ、静かな田舎の温泉地の闇と同一化するように、俺たちは原稿に集中し始める。


 ――カタカタカタ……カタカタ……カタカタッ、ターンッ。


 うん……いい感じだ。いつになく集中できる。


 目の前で真剣な表情でディスプレイに向かう蔵前や妻恋先輩の姿を見ると、こちらもやる気が出てくる。


 キーボードを叩く音が俺たちのBGMだった。ときに止まり、ときに軽快に叩き込まれてゆく文字。


 筆が止まっても、それが重症化しない。すぐに次の打開策を見つけて、書いていく。台詞も、地の文も、次から次へと浮かんでくる。まるで、キャラが勝手に動き出して、しゃべっているみたいな感覚だ。だから、俺はそれをありのまま書けばいい。


 ノッているときの執筆は本当に楽しい。面白いところでは書きながら自然と頬が緩み、せつないシーンでは涙がにじんでくる。蔵前も、妻恋先輩も、ときに微笑み、ときに苦しみながらも、物語を形にしていく。お互いが、お互いを励ますように、キーボードを叩く音が途切れることがない。


 ――そうして、何時間が過ぎただろうか?


 何度か小休憩を取ったが(執筆中は脳を使うからか、やたらと甘いものがほしくなるので、蔵前が持ってきてくれたチョコレート系の菓子や、眠気覚ましも兼ねて缶コーヒーを飲んだ)、完全に集中力が切れた。


 そこで、寝息に気がついた。

 俺の斜向かい、妻恋先輩の隣で来未が机に肘をついて眠っているのだ。


「あっ、来未ちゃん。風邪ひいちゃうよ?」


 妻恋先輩が、来未を起こして、布団に移動させる。


「ふぅ……どうですか、先輩。進みましたか?」

「ああ。おかげさまでな」


 これまでの人生において最も集中して書けた時間だった。


 時刻は、いつの間にか午前二時。二十時頃から始めたんだから、もう六時間も経ったわけだ。本当に、集中していると、時間の経過はあっという間だ。


「さすがに、疲れましたね……」


 珍しく蔵前も疲労の色を見せている。まぁ、あれだけ集中していればな。


「……むにゃ……? ん……ふにゃああああぁあ……」


 来未が目を覚まし、大あくびをする。


「……悪いな。なんだかつきあわせちまって」


 来未はじっとしているのが苦手な性格なのに、俺たちに気をつかって静かにしてくれていた。部屋を出たのは一度風呂に行ったくらいか。そのあとも、じっと俺たちの書く様子を無言で眺めてくれていた。


「……ん。いいよ、気にしなくて……。ほんと、みんな……いい顔してたよ……なんか引き込まれちゃった……こうやって、小説って生まれるんだなぁって…………ふにゃぁあぁ……」


 また大きなあくびをして、来未は両腕に顔をもぐりこませた。


「来未ちゃん、お布団で寝よう……?」

「仕方ないですね。よっと」


 妻恋先輩と蔵前が来未を持ち上げて、布団に運ぶ。

 なんだか、まるで家族みたいだ。末っ子を寝かせる、母親と長女みたいな。


 微笑ましい光景に、なぜか胸が熱くなった。執筆で感性が高まってるからかもしれない。なんでだか、涙が出そうになって、慌てた。


「……あー、風呂入って寝るか」


 結局、家族風呂の騒動以後温泉に入ってないし。なんかこのままだと本当に涙が出てきちまいそうだし。せっかくだから、露天風呂に入りたい。


「あ、わたしも入りますよ」

「わたしも行くねっ……」


 俺たちは穏やかな寝息を立てる来未を見て一様に頬を緩ませると、薄暗い廊下を歩いて、大浴場まで行く。


「それじゃ、帰りは各自帰るってことで」


 俺は、男風呂の紺の暖簾をくぐった。先客は誰もいない。俺はゆるゆると着替えて、身体を洗って、露天風呂に浸かった。


 夜の闇が、なんとなく心地がよい。やはり、納得いく執筆をできたあとの充実感は何物にも代えがたい。


 板塀を隔てた向こうで、妻恋先輩と蔵前の話し声が聞こえた。その弾んだ感じから、ふたりの執筆もよいものになったのだろう。


 心地よい疲れの中――俺はふたりの声をBGMに、少しの間、うたた寝するのだった。


※ ※ ※


「ふああ……眠い……」


 長湯なふたりより先に、俺は部屋に戻ってきた。温泉に入ってどっと疲れが出た。


「ぐげー、ぐごー」


 ものすごい寝相でいびきをかいてる来未にげんなりしつつも、一番奥に敷かれた布団に入る。さすがに、女性陣と並んで寝るわけにはいかない。


「おやすみ……」


 誰にともなく呟いて、布団の中に入る。


 やがて、ドアが開く音がして蔵前と妻恋先輩が部屋に入ってきた。二人も、すぐに布団に入って、穏やかな寝息が聞こえ始める。


 蔵前に襲われることも想定していたが……これなら大丈夫だな。

 安心とともに、俺は深い眠りに落ちていった――……はずだった。


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