餌づけされる子孫(偽妹)

「それじゃ、ちょっと行ってくるね」


 妻恋先輩は握手をした俺と来未を見て笑みを浮かべると、自分の家へ戻ろうとする。


「あ、いや……俺もついていきますよ、夜ですし、さすがに女子のひとり歩きは」


 妻恋先輩の家は、ここから徒歩三分ほどだ。振られた相手が、ご近所さんなのだ。

区画がちょっと違うので、距離以上に離れている感覚だが。


 ……ああ、まるでいまの俺と妻恋先輩の関係みたいだな。


 近くに住んでいるといっても、俺は小学校の途中からこの地区へ引っ越してきたので幼なじみというわけではない。


 妻恋先輩のことを知ったのは中学の頃からで、当時不登校気味になっていた俺のところへやってきて、いろいろと学校への復帰を手助けしてくれ、勉強を教えてくれたのが妻恋先輩だった。


 当時から、妻恋先輩は慈愛に満ちた聖母のような人なのだ。はっきり言って俺の人生の恩人である。そんな相手に告白して振られたのだから気まずいったらなかったのだが……来未の登場によってそれどころじゃなくなった。


「あ、ありがとう、新次くん……でも、だ、大丈夫だから」


 やっぱり、避けられてるよなぁ……。ほんと、なんで俺告白したんだろう……。


「あ、じゃああたしがついていくから大丈夫♪」


 いやお前、迷惑かけてる自覚あるのか? もうこいつの傍若無人っぷりには仏の新次くんも激おこぷんぷん丸である。


「いやでも、妻恋先輩になにかあったら心配ですし……あ、いや、すみません、なんか俺、気持ち悪いですよね、すみません」


 ほんとフラれたあとだから、変に気を使ってしまう。ストーカーみたいに思われても困る。というか、傷つく。


「……う、ううん……そ、そんな気持ち悪いだなんて思ってないよ。ご、ごめんね……気を使わせちゃって」

「い、いや……」


 あー、気まずいっ! なんで俺は妻恋先輩に告白してしまったんだぁああぁあああ。あほぉおおおおおおおおおおおおお!


 妻恋先輩が目の前にいなかったら髪を掻きむしりまくってハゲてるレベル。


「……そ、それじゃ……お願いしてもいいかな? やっぱり夜だし……」


 そんな俺に慈愛に満ちた妻恋先輩は声をかけてくれる。……うぅ、優しい。優しすぎる。なんか生きててすみません、生まれてすみません……。


「にゅふふっ♪」


 なぜか来未はそんな俺と妻恋先輩を見てニヤニヤしていた。なんだそのむかつく笑い方は。猫づかみして追い出すぞ、こら……。


「そ、それじゃ、来未ちゃん、行こっか……し、新次くん、お願いしますねっ」

「ありがとう、希望おねえちゃんっ♪」

「おっとっ、はいっ!」


 とにもかくにも俺は妻恋先輩と来未とともに、住宅地を歩き始めた。

 


 ……ほんと、今日は目まぐるしすぎる。


 まさか、自称子孫が家に押しかけ、後輩から部室で抱きつかれてなんか妙な雰囲気になり、そして自称子孫が自称妹になってフラれた相手の先輩と一緒に夜道を歩いているだなんて。


 そんなことを考えている間に、妻恋先輩の家までやってきた。


 両親が不在がちな俺は妻恋先輩の家で勉強を教えてもらったり一緒にご飯を食べたりしたことがけっこうある。そういう関係を築いてきたからこそ、俺は妻恋先輩への告白は成功すると思っていたのだが……人生ってままならない。


「うんと……ちょっと待っててねっ」


 玄関に入ったところで、妻恋先輩は先に家に上がって、リビングのほうへ行った。母親と会話をしているらしき声が聞こえる。


 そして、パタパタと音がしてスリッパをはいた妻恋先輩の母親がやってくる。妻恋先輩をそのまま齢を取らせたといった感じで、性格も慈愛に満ちていて優しい人だ。


「あらあら、新次くんっ! 隠し子がいたなんて、おばさんびっくりしちゃったわ!」


「ちがいますっ!」

「ちがーーうっ!」


 俺と来未は同時に否定する。はじめて俺たちの心がシンクロした。いや……ぜんぜんうれしくないけど。


「お、おかあさんっ……生き別れの妹さんだからっ」


 必死に訂正する妻恋先輩。それも間違ってるんだけどね。来未妹説を一点の曇りもなく信じちゃってるよな、妻恋先輩。


「……あら、そういう話だったかしら?」


 妻恋先輩は頬に手をやってキョトンとする。


 ほんと、妻恋先輩のお母さんもかなり天然というか人の話をよく聞かないというか斜め上の妄想癖がある。


「でも、希望にどことなく似ているわね……? もしかして、希望、新次くんと……?」

「お、おかぁさんっ……!」


 いやちょっとなんという方向に話を持っていっているんだ、妻恋先輩の母上は!

 というか、高校生で中学生の隠し子って、異次元すぎるだろ!まぁ……来未は見ようによっては小学生に見えなくもないが……というか、それだってメチャクチャアウトだから!


「と、ともかく、わたしっ、来未ちゃんの着られる服とか探してくるからっ」


 顔を赤くした妻恋先輩は逃げるように二階の自室に行ってしまった。俺も逃げ出してしまいたい気分だが、そうもいかない。


「うふふっ、希望も恋する年頃ねぇ……新次くん、希望のことよろしくねっ♪」


 いや、俺思いっきりフラれましたけどね、先日……。

 まぁ、その事実は言わないけど。


「それで……ええと、来未ちゃん?」

「……は、はい」


 大人の女性に話しかけられて、来未は借りてきた猫みたいにおとなしかった。


「さっきご飯食べ終わっちゃってお米もないんだけど……よかったら、ツナ缶食べる?」


 ……なんかやっぱり猫扱いなんだよな、来未は。うんまぁ、猫っぽいんだけど。


「ツナ缶……大好き!」

「うふふっ♪ それじゃあ持ってくるわねっ♪」


 なんか猫に餌づけできるのが楽しみ♪みたいな感じで妻恋先輩のお母さんはキッチンに行ってしまった。ほんと、言動と行動も相変わらず謎すぎる。


「はい、来未ちゃん♪ たーんとお食べっ♪」


 妻恋先輩のお母さんは缶切りで開けたツナ缶を持ってきた。あと、スプーンも。 さすがに顔を突っ込んでくわせるという蛮行はさせないらしい。来未ならやりかねなかった。炊飯器抱えてご飯食うような奴だし。


「あ、ありがとうございますっ……あーんっ♪ もぐもぐもぐっ♪」

「うふふふっ♪ かわいいわねぇ、来未ちゃん♪ まるで孫ができたみたいな気分だわ♪」


 おいしそうにツナ缶を食べる来未と、それを慈愛に満ちた表情で見守る妻恋先輩のお母さん。……な、なんか俺、お邪魔じゃない?


 とかなんとか思っていると、妻恋先輩が旅行用のトランクのようなものを持って、二階から下りてきた。


「んしょ、んしょ……」

「す、すみません、妻恋先輩」


 超文科系で体力も筋力もない妻恋先輩に無理をさせることに罪悪感を覚える。


「うふふ……そうだわ、使ってないお茶碗やお箸もあるから、持っていってね♪」


 そして、妻恋先輩のお母さんは再びキッチンのほうへ行ってしまった。


「むぐむぐむぐ……」


 来未はツナ缶を全部空にしていた。その代わり、ほっぺたが膨らんでいる状態だ。お行儀悪い。ほんと、こいつ食い意地張ってるよな……。


「はい、持ってきたわ♪ ほかに足りないものあったら、どんどん言ってね♪」


 妻恋先輩のお母さんは紙袋を持ってきてくれた。中には食器のほかに歯ブラシなども入っているようだった。


「ありがとうございます! すみません、ほんと……!」

「ツナ缶ごちそーさまでしたっ♪ ……それと、いろいろとありがとうございますっ!」


 さすがの来未もぺこりとお辞儀をした。


「うふふっ♪ いいのよ、いいのよっ♪ 来未ちゃん、困ったことがあったら、おばさんに気軽に相談してね♪」


 ほんと、妻恋家のみなさんの慈悲深さは素晴らしい。宗教を開けるレベル。


「そ、それじゃ、新次くん、来未ちゃん……新次くんの家に行こうっ」

「あ、トランク持ちます! あと紙袋も!」


 俺は妻恋先輩と妻恋先輩のお母さんからトランクと紙袋を受け取る。

 せめて、これぐらい役に立たないと申し訳ない。


「うふふ、また来てね、新次くんっ、来未ちゃんっ♪」

「本当にありがとうございます! 助かります!」

「ありがとうございます! ツナ缶ごちそーさまでした!」


 妻恋先輩のお母さんに見送られて、俺たちは妻恋家を出たのだった。


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