目覚めたら後輩女子に捕獲されていたのだが
「……え?」
目が覚めると、真っ暗だった。俺の人生は太陽が出てようがいつも真っ暗だが。
「……ああ、部室で寝ちまったんだな……」
退廃ごっこをしているうちに、どうやら本当に眠っていたらしい。赤子にとっては、寝るのが仕事だから仕方ない。
「またつまらぬ時間を浪費してしまった……。さて、帰るか」
俺は体を起こした……いや、正確には起こそうとした。
だが、体が動かない。嫌な、既視感だ。
「えーと……?」
おそるおそる後ろを振り向くと、見覚えのある顔が穏やかな寝息を立てていた。
朝と違うのは、それが来未ではなくて蔵前だという点だ。
「俺にどうしろと……」
こんなことは来未の日記にも書いていなかった。
「まぁいいや。普通に抜け出す。だって、蔵前だもんな」
この状況で向こうが起きても騒ぎになることはない。だって、相手はいつもふざけあっている後輩女子なのだから。
「まずは、手を外さないとな」
遊園地のアトラクションのときに装着するベルトのように、蔵前の手は俺の腹をがっちりと掴んでいた。
「ったく、なんで蔵前に捕獲されてるんだよ、俺は……」
上から手を重ねて、なんとか蔵前の指を開かせようとするが、きつく握られていてどうしても脱出できない。
「…………逃がしませんから」
「――っ!?」
耳元で囁かれて、俺はガクガクと、壊れた機械人形のように、後ろを振り返った。
でも、蔵前は目を閉じたままだ。……つまり、これは寝言だろう。
「どんな夢見てるんだ、こいつは……」
そう言った途端、ぎゅうっと、蔵前にさらに強く抱きしめられた。
柔らかいふたつの感触が背中で押しつぶされ、さらに顔を押しつけられる。
黒髪がさわりと首筋を撫で、シャンプーのいい匂いが鼻腔をくすぐった。
「……ば、ばかやろうっ! 起きろ、蔵前! 本当は起きてるんだろっ!?」
俺は悲鳴とも怒声ともつかぬ声を上げた。
一瞬の静寂。
そして、けだるげに蔵前は声を出した。
「……まったく、人がせっかく慰めてあげているんですから……先輩はこのまま抱き
しめられてればよかったんですよ」
「む、無用だ、ばか! ちょっと悪ふざけがすぎるだろ、ばかっ」
「もうっ。ばかばか言わないでくださいよ。ばかなのは先輩のほうなんですから」
蔵前は立ち上がると、何事もなかったように部室の電気をつけた。
「……先輩、寝ながら、泣いてたんですよ?」
「はっ?」
俺は慌てて、自分の目の下に手をやった。
確かに、冷たく濡れていた。なんだ、俺、なんで泣いてんだよ。
「……あ、あれ? そんなばかな」
「いいんですよ。人は誰だって泣きたいときがあるんですから」
「なんか、今日のお前は変だな……毒キノコでも食ったのか? スーパーで異常な割引率の松茸でも買ったか?」
「いえ、別にキノコは食べてませんが。でも、無礼は許してあげますよ。先輩も大変なのはわかりますから」
まぁ、小説の賞には落ち続けるわ、妻恋先輩には振られるわ、勉強は相変わらずからっきしだわ、確かに恵まれた青春ではないのは俺自身もわかっている。
でも、それは、世間の大多数の高校生だって同じはずだ。
青春なんて名ばかりで、毎日つまらない授業をやり過ごして、読書やアニメを見るのを楽しみにして生きている。それが当たり前の日常じゃないか。
「同情ならいらないぞ」
人から哀れみを受けるのは、悲劇のヒロインだけで十分だ。
憐れまれる男なんて、格好が悪いったらありゃしない。
「別に、そんなんじゃないですよ。ただ、わたしは先輩のこと、好きなだけですから」
「うん、そうか。それならいい。……って、ちょっと待て。いま、なにか変なこと言わなかったか?」
「……先輩の脳みそが残念だから、そう聞こえただけです」
いつもの調子でいつものふざけた会話。これも、その流れで出た発言だろう。
そうに違いない。そうとしか思えない。きっとそうだ。聞き間違えだ。
「うーむ、まだ昨夜食べた毒キノコの影響もあるのかもしれないしな。……それじゃ、そろそろ俺は帰るから。やっぱり幻聴幻覚が聞こえるようじゃ病院行ったほうがいいのかな」
俺は鞄を肩にかけると、蔵前に目を合わせずにドアに向かって踏み出す。これ以上、この場にいると妙な雰囲気になりそうだったから。
「先輩……本当にわたしは、先輩のこと……」
背後から蔵前の声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだ。
でも、俺は足を止めた。五秒ほどしてから俺は振り向こうとして――
「いえ……すみません、なんでもないです。それじゃ、わたしは部誌とか片づけてから帰りますね」
蔵前から機先を制された。
でも、そのことにホッとしている俺がいた。
「あ、ああ……それじゃ」
俺はそのままドアを閉めて、部室から遠ざかって帰路へつく。
まだ少し心臓の鼓動が早い。
今日は……本当にどういう日なんだろうな。
とりあえず、心臓に悪い日であることに間違いない。
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