第7話 再会
色とりどりの花が通りにあふれるほど飾られています。吹く風は、やわらかく甘い香りをはらみます。
今日は年に一度の国主さまの住む城下町のお祭りです。広場にはところ狭しと出店がならんでいます。
老いも若きも、みな晴れ着をまとい、道をゆきます。そんな中に、垢じみたぼろ布のような上着を身につけ、髭も髪も伸び放題の老人がうずくまっていました。
視線の先には、美しい指輪や首飾りがきれいに並べられています。初夏の日差しにそれらはきらめきます。
商売のじゃまをする気か? どうせ買えないんだろう、早くどこかへ行け。
店番のいかつい男が激しい口調で目の前の老人を追い払おうとしました。薄汚れた老人は腰をあげました。髪や髭に隠されて表情は分かりませんが、暗い灰色の瞳をしています。
へたくそだな……作ったのは子どもか。
くぐもった低い声でした。
それを聞き咎めた店の男がいきり立ち、老人の胸ぐらを掴みました。
あの
図星だったらしく、男の顔がみる間に赤くなりました。老人をぐいっと引き上げる勢いです。
何をしてるんですか、お客さまに!
りんとした声がして、裏手から職人とおぼしき青年が現れました。騒ぎを聞きつけたのでしょう。青年は、店番をしていた男を退け老人にわびました。
申し訳ございません、どうぞごゆっくりとご覧ください。
アロイスさん、そいつは客じゃない。
見るだけですよ、買えるわけない。そのくせ、知ったたかぶりなこと言いやがって。そんなに言うなら作ってみろってんだ。
なおも悪態をつく店番を、青年はなだめました。アロイスという名を聞くと、老人はきびすを返しました。
その背中をしばらく見送っていたアロイスですが、あっと小さく声を上げると老人の後を追いました。
お待ちください、お待ちください、オルグさんでしょう!
老人は振り返らず足早に道を行こうとしますが、人の波に押されてよろめきました。
探してたんです、もう六年も行方知れずで。
アロイスは追いつき、老人のふらついた体を支えました。老人は一度だけ青年を見ると、すぐに視線をそらせました。
オルグは六年のあいだに、二十も歳をとったように見えました。
二人で帰ると店番の男はオルグを胡散臭そうに見ました。アロイスはオルグを出店の裏へと案内しました。長いすと小さな卓があり、飲み物と軽食が並べられていました。
どうぞ、召し上がってください。
アロイスはオルグに食べ物をすすめました。
きみには、いつも面倒を見てもらうな。
オルグは軽く頭を下げると、出されたものに手をつけました。オルグの骨ばって荒れた指を見て、アロイスは眉をよせました。
六年もどこで何をしていたのですか? デューラーの家からオルグさんの残したものが届けられたとき、とても驚いたんですよ。
オルグは、ナナの子どもを探しに飛びだして以来、ご領主のデューラーの家には戻らなかったのです。
デューラーさまのところは、けっきょく跡継ぎが決まらずに断絶してしまいました。職人たちもみなバラバラになったと。
オルグは、そうかとだけつぶやき、杯の水を飲み干しました。二人のあいだに無言の時がしばし流れました。
いま何をされているのですか。
過去のことにたして口を開かないオルグに、アロイスは問いかけました。
なにも……。
どこかの工房にお勤めではないのですか? 制作は。
なにも。わたしは、ふさわしくないのだ。だから、もう何も作らない。
六年の間に何があったのでしょう。
節くれだった手を重ねて、オルグはうつむくのでした。アロイスは言葉の意味を図りかねているようでしたが、ペンと紙を持ってくると何か書き始めました。そして封をすると店番の男に早馬を頼みました。
オルグさんにお渡しするものがあります。明日には届きます。今夜はどうか宿でお休みください。
いや、もう行く。騒がせてすまなかった。食事をありがとう……。
どこへ帰るのですか。
アロイスはオルグを引き留めました。
受け取っていただきたいのは、お師匠さまの……形見なんです。
お願いします、とアロイスは何度もいいました。
オルグはいつのまにか、りっぱな青年になったアロイスを見つめました。
あの日、オルグは森のなかをさまよい、ようやくもみの木を見つけたときには雪がやみ、太陽が真上にきていました。
もみの木の根元は足跡ひとつなく、吹きだまりのように雪が盛り上がっていました。
そして下男がかぶせたらしき上衣の一部が見えていたのです。オルグは周りの雪を掘り、意を決して上衣をはねのけました。
おそるおそる目を開けると、そこには何もありませんでした。
ナナの子も、その亡骸も……。
後に近くの村人から、大晦日に森へ向かう小さな人影の一団を見たとか、話し声をきいたとか……けれど大晦日は荒天でした。すべては幻のようではっきりとはしませんでした。
オルグは出奔してから、体を痛めつけるようにして働きました。
採石場で、木材の切り出し場で、橋をかける工事の現場で。
くたくたになるまで働き、夢を見ずにすむほど深く深く眠るのでした。それでも冬になるたびに、雪の森で子どもを探す夢を見る晩が必ずくるのでした。
ノームの姿を山に追うこともしました。けれども、求めても求めてもノームの里を見つけることはいまだできていません。ナナの子の消息も杳として知れないのです。
その夜、オルグはアロイスからあてがわれた宿屋の寝床で首にかけた小さな革袋を握り、唇をかみしめました。
翌日届いた荷物を持って、アロイスはオルグの部屋を訪れました。卓のうえに乗せられたのは、肩幅より少し小さめの箱でした。
これを。
ふたを開けると、それは彫金をするための工具でした。オルグが使っていたものです。それが磨かれ手入れされて整然と収められていました。
お師匠さまが、手ずから整備して管理をしていました。とくべつ何もおっしゃいませんでしたが。これはあなたさまにお渡ししたいと思っていたはずですから。
もう私には必要のないものだ。
オルグはうつむき、拳を握りました。
どうか、お納めくださいと、アロイスはオルグが蓄えていたお金とともに差し出したのでした。
オルグは父が道具を手入れするさまを思い浮かべました。いつも仕事の終わりには、必ず道具たちをいたわるように片付けていました。子どものころに見ていたはるか遠くの記憶です。
父は不肖の息子に失望しただろうとオルグは思いました。
いっときは当代随一の職人とまで言われた息子が、仕事を捨て領主のところから逃亡したとあっては。
箱の片隅に、小さな青銅の塊がありました。取り出してみると、それは兎のような猫のような不格好な置物でした。
それは、お師匠さまの作業台のひきだしにしまってありました。おそらく、オルグさんが作ったものかと。
まさか、と思いオルグはそれを丹念に見ました。耳が長いのでおそらくは兎なのでしょう。後足で立ち上がるような姿勢をしています。そういえば、子どものころお隣の家で兎を飼っていたことがありました。それを見て作ったのでしょうか。かすかに思いだしました。
オルグは台座の裏を見て、息を飲みました。
『わたしの
刻まれた文字は父のものでした。
不意に頭に父の手を感じてオルグは空を仰ぎました。父の笑顔がかすんで見えたように思いました。
口をつぐみ天井を見あげたままのオルグにアロイスが声をかけました。
もういちど、作ってください。お願いします。あなたはわたしの憧れなのです……。
オルグが道具箱に目を戻すと、涙のしずくがこぼれました。
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