第8話 旅

 父の手元を見ているのが好きだった。


 無骨な父の手から生み出されていく、繊細な美しさを幼いころ、飽かずながめた。


 お師匠さまは、亡くなる前の日までお客さまから受けた仕事をしていました。


 別れる時に、アロイスはそう言いました。


 いつもの時間に起きて、いつものように仕事をして、いつもの時間に床について……。そうして眠ったままで逝きました、と。


 慌てず、落ち着いて。気を散らさずに。


 六年間、使わずにいた指先は思うように動きません。オルグは額に玉の汗を浮かべながら、溶かした金属と格闘しました。

 アロイスからは道具は受け取りましたが、お金の大半はそのまま残してきました。工房のために使って欲しいと。自分は、材料を買うぶんだけあればいいのだと。


 ひとつずつ、ひとつずつ。


 いちどは手放した、父から教わった技を取り戻すために、オルグは取り組んでいきました。

 打ち出し、透かし彫り、ロウづけ。


 失敗してもいい、失敗したらもう一度さいしょから作ればいいんだ。


 父の声を思い出します。

 オルグは髪を切り、髭をそりました。わずかな材料を買いそろえ、山の奥に炉と庵を作りました。

 たったひとり、売るあてもなくオルグは作品を作りました。

 少しずつ感覚を取り戻したくて、いっしんに作りました。

 満足のいくものはすぐには出来ませんでした。

 オルグは山からいちへ出向くと、修理や作り直しを請け負いました。指輪の大きさが合わなくなった、飾りの石が落ちそう。はては、鍋の穴をふさぐことまで頼まれました。

 オルグは仕事をすべて引き受けました。そしてけっして手を抜かず、ていねいに客の望みにこたえました。仕事を任されることが、これほど嬉しく感じたのは、初めてでした。そしてさまざまな修理をすることも、手の感覚を取り戻す訓練となりました。


 六年間、何も作らずにきました。


 けれど忘れることもできなかったのです。流れついた町や村の市場で宝飾品を見るたびに、自分ならもっと上等なものを作れるのにと、胸に残る職人としての何かが揺り動かされるのでした。

 どんな仕事に就いても、指や腕を怪我しいようにと無意識のうちにかばっていました。そのために、やる気がないと怒鳴られたりしたのはいちどや二度ではありません。


 作る資格などないと分かっていても、自分の腕が傷つくことを恐れました。

 蜘蛛の巣にかかる朝露のきらめき。深い山の奥の誰も足を踏み入れたことのない花畑。川の中を泳ぐ小魚がまるで宝石のように見えること。昼のように輝く風のない月夜の雪原。瑠璃色の羽をもつ小鳥、銀の背を光らせてたちどまる銀鼬ぎんいたち

 美しいものをみるごとに、記憶は目に焼きつけるように蓄積され、オルグはそれらを自らの手で生み出したいと渇望しました。


 オルグ。手仕事は好きか……好きならそれでいい。その気持ちだけは教えてやれないから。


 わずかな材料を工夫し、寝る間を惜しんでオルグは作りました。

 以前のように、贅沢な材料はありません。宝石いしも、純度の高い金や銀も。

 それでも、オルグは一つ一つに心を込めました。

 ようやくできたものを市へ売りに行っても、はじめはほとんど売れませんでした。オルグの作るものは仰々しく、小さないちでは買い手がつきません。すごすごと帰ることが続きました。

 それよりむしろ、昔の顔見知りの職人と出会って、いたたまれずに逃げたことも一度や二度ではありませんでした。オルグは自分が落ちぶれたことを笑われているように感じたのです。


 作っても売れず、いぜんの自分の栄光さえも嘘だったのではないかと、気持ちがふさぐこともありました。

 ただ持ち上げられて、いい気になっていたたけなのではと。

 オルグはあらためて、お客が欲しいと感じるものは何かよく考えるようになりました。そしてオルグの華やかすぎる意匠は、限られた材ではぎゃくにみすぼらしく見えるのだと気づきました。

 オルグはいつしか父の意匠をなぞるように、質素だけれど、飽きのこないあたたかみのあるものを作るようになりました。自身の技を生かしていこうと更に努力を重ねました。


 ただ作ることに没頭するとき、オルグの懊悩はすべて遠ざかるのでした。


 謙虚であれ。

 誠実であれ。

 技にひたむきであれ。


 父の言葉が身に染みました。夜更けまで灯りがともっていたナナの工房を思いだしました。


 山から山へ、森から森へ。

 オルグは放浪しながら作品を作り、市へでかけいくらかの収入を得ました。そのお金で次の材料を買い、また作り……。気づくと五年の月日が過ぎていました。

 相変わらず、オルグのものはさして売れはしませんでした。

 若い職人がつくる、オルグが思いつかないような意匠をみとると、悔しさが込み上げました。けれど、それはいぜんとは違いました。新しいものに出会えたという喜びも等しく味わっていたのです。そして、自分の技も高めていきたいと。


 作ったものが、高く売れなくては意味がないと思っていたオルグは、市場で作品を売ることで与えられる喜びがあることも知りました。


 葡萄の蔓を模した銀の指輪を指にはめ、くるりと踊った娘がいました。


 おとぎ話のお姫さまになったみたい!


 満面の笑顔にオルグの顔もほころびました。


 女房の贈り物には、どれがいいのかすすめてくれ。


 と言って鈴蘭のブローチを買っていった農夫が、あとから夫婦でお礼に見えたこともありました。おめかしした奥さんの丸々とした胸のうえにオルグのブローチは光っていました。


 いぜんに作ったオルグの宝飾品は、いまも貴族たちの夜会で身につけられているでしょうか。ナナの蜘蛛は国主の奥方さまの胸元を飾っているでしょうか。

 たしかめようのないことです。

 けれど、目の前で喜ぶ人の姿を今は確かに見ることができます。

 そのほほえみや、ありがとうという言葉が、オルグの気持ちをほぐし、慰めていきました。

 オルグが誠実に作ったものは徐々にですが売れるようになりました。少しずつよい宝石いしや地金を手にすることができるようになりました。

 そして、作りたいと思っていたものが作れるようになり、市へ出向けばオルグのものはすべて売れるようになったのです。


 ある晩、オルグは首に下げた皮袋の口を開きました。

 長いあいだ、見ずにいました。再び目にすることもないと思っていました。

 かつて自分が犯した罪、ナナの雪のブローチが袋の中で、かわらぬきらめきを保っていました。

 ふしぎとオルグの中には、嫉妬の炎はありませんでした。

 自分がいまいる場所よりも、過酷なところでナナは傑作を作りあげていたのです。

 夫をなくし、姿形がひとりだけ違う屋敷のなかで、ただ子を育てようと必死に作っていたのです。


 誰かと比べるとか、打ち負かしてやるとか、そんなよこしまな思いなどみじんもなく、ただよいものを作りたいと取り組む姿は、ナナにも父親にもあったものだと思えるのです。とても尊いものだと素直に思えたのです。


 それは、星を作り出せたナナにしても、作り出せなかった父にしても……。


 オルグのなかには二人への深い畏敬と、はるかな憧れがあるばかりでした。


 だからこそ、オルグは思いました。


 自分の罪はいずれ裁かれなければならない、と。

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