第三話 奇跡の配布
橇は、クールバイルの上空を低空飛行しつづける。
街の中心に位置する、イルミネーションに彩られた繁華街の上を飛んだときは、思わずにんまりと笑ってしまった。
なにせ大通りを歩くひとびとの全員が全員、驚いた顔でこちらを見上げていたのだ。ははは、そりゃ驚くだろう。私だってこんな得体のしれない橇が空を飛んでいるのを見つけたら、自分の頭を疑うわい。
しかしこうやって上空からひとびとを見下ろすのは、なかなか心地よいものだ。
はじめは彼らの唖然とした馬鹿面が滑稽で、あざ笑っていたのだ。だがそのうち、驚きの表情のなかに興奮、嬉しさがひそんでいることに気付いたとき、今までに味わったことのないような感動が胸にわきあがってきた。
……まいったな、感動だなんて。
「えっと、ステラ教会だって」
街のはずれまでたどりついたとき、スーがそう言った。
橇から身を乗りだすと、真下に十字架をいただいた屋根が見えた。
「ホームレスを保護してる教会かね」
私はそう見当をつけて呟く。
『覚悟はいいかしら?』
う、うむ。そうだな。そろそろ仕事をしなくちゃなるまい。曲がりなりにも、私はサンタクロースなのだ。曲がりまくっているがな。だが、やると言ったからには、やり遂げるしかあるまい。よし……。
「ここから行こう」
私の声に従って橇は下降をはじめ、ゆっくりと音もなく雪の積もる教会の屋根、煙突のそばに降りたった。
ああ、緊張する。生きていたころの私の仕事は掃除夫だったが、毎日単調で、こんなに緊張することなぞまずなかった。
ええと、ここにはプレゼントを十三個配ればいいのだな。書類にはそう書いてある。私は頭をフル回転させながら、橇から屋根へと足を下ろす。ずいぶんと積もっている。サンタの赤い靴がかなり深くもぐって……。
『いってらっしゃーい』
うむ、いってきま……ん?
「なんだ? おまえたちは行かないのか?」
橇を降りたのは私だけだった。皆、にんまり顔で私に手を振っていた。
『私たちが行ってどうするのよ、サンタさん」
「どうするって、手伝ってくれないのか?」
『あのなあ。もし目が覚めたおきに、いきなり二頭のトナカイと謎の子供が枕元に立ってたら怖えだろうが」
……まあ、それはたしかに。
だが、やけに嬉しそうではないか? トナトナ!
私は助けを求めるようにスーを見やった。するとスーは、天使のごとき微笑みを浮かべて、こう言った。
「ちゃんと、煙突から入ってね」
……はい。
「わかった、行くとも、行けばいいのだろう!」
私はなかば
『失敗したら、テムズ河に放り込んでやるからなぁ!』
『冬のテムズは、きっと冷たいわよ』
…………。
私はこぶしを強く握りしめ、振りかえりもせずに、ぼそっと歌ってやった。
「真っ赤なお鼻のートナカイさんはーいつも皆のー笑い者ー……」
『伸す』
煙突に入ったことは実ははじめてではない。まだ妻が生きていて、息子が小さかったころのクリスマスには、わざわざサンタの衣装をまとって煙突から家に入り、子供を喜ばせていたものだ。……自宅だから不法浸入ではないのだ!
あの子は、それを覚えているだろうか。
……いかん、なにを柄にもないことを考えているのだ。感傷なんて馬鹿らしい。愚かの
よっ……、ほっ……、と。歳を取ったものだ。なかなか……こう、……下にたどりつかんな。しかしよかった。ちっとも炭っぽくない。よく掃除されている。いや、もしかしたら使われてないのだろうか。ん? お、足が抜けたぞ。よっこいしょ……っと。ふー、よしよし、着いたぞ!
て、私はいったい、なにをひとりで盛りあがっておるのだ!
こんな私を生きていたころの私が見たら、卒倒することだろうな。ははは、そりゃあいい。
「…………」
どうもさっきからいけない。なにを考えているんだ。もう私は死んだのだ。下らないばかりのみじめな人生は幕を閉じたのだ。やめよう。
ぐるりと首をめぐらせると、そこは小さな礼拝堂になっていた。長椅子のうえでは、大人や子供が毛布にくるまり、かすかな寝息をたてている。
私は少々驚いた。なんて薄い毛布だろうか。
胸の深いところが鈍く痛んだ。家に灯っていた暖炉の火を思いだした。私が死んだあとも、きっと無意味に部屋を暖めていただろう。
私が住む街の路地裏にも家のない人たちが座りこんでいた。だから見慣れているはずなのに。これまで胸が痛むなんてことなどなかったのに。彼らが寒さに震えていようとも、人間嫌いの私は顔をそむけて通りすぎるだけであったというのに。
ハッ。まただ。どうも今日は余計なことを考えこんでしまう。私らしくない。いかんな。こんな罪悪感のようなものを感じるぐらいなら、そうだ、せめて懸命に仕事をしよう。この人たちの望むものを、少しでも心をこめて──心を……こめてだと!? この私がなんてことを!
ひとしきり己の矛盾と格闘したのち、私はげんなりと疲れきった溜め息をついて仕事にとりかかった。
まずこのウサ公のぬいぐるみは……、この子だな。いくつくらいだろうか。スーとそうかわりなさそうだ。頭のそばに置いておけばわかるだろうか。あー、それから……。
こうやって私は次々とプレゼントを置いていった。人形、菓子、毛布、服、靴……。大人、子供、合わせて十三個のプレゼントを配布し終わった。
滑り出しは順調のようだ。私はその場を去ろうとする。だが次の瞬間、ぎくりと身を固めた。
すぐそばに眠っていた女の子が、私のズボンをくいっと引っぱったのだ。
私の脳裏に冬のテムズが横切る。女の子は私の蒼ざめた顔に気づいてか気づかずか、興奮した様子で私を見上げて小さく笑った。
「おじいさん、サンタさん……?」
そこで私は、「おや?」と首をかしげた。この子にプレゼントをあげた覚えがなかった。部屋にいる人数を数えてみる。するとプレゼントとは数の合わない、十四人がいた。
これはもしや……。
「そうだ、あー、いや、うー、そ、そうじゃよ……、なんてな! あ、いやいや、あー、お嬢ちゃんの名……、お名前は?」
私は女の子の横にしゃがみこみ、一生懸命サンタを演じてたずねる。
なにせ、つんけんしているのが売りだったから、笑いが引きつっていないかどうか不安に思いながら。……テムズが御免なだけだぞ! この子を喜ばせようとしてるのでなく!
女の子は顔を明るくほころばた。
「エミリー……」
私の小声に合わせるように、エミリーなる少女も小声で答える。
「サンタさん、みんなにプレゼントを配りに来たんでしょう?」
「そ、そうじゃよ。エミリーはなにが欲しいんじゃ?」
エミリーは照れたように頬に手を当てる。
「あのね、物じゃないの。あたし、サンタさんにお願いしようって思って、ずっと起きてたの……」
やはり。私は納得した。この子が望んでいるのはプレゼントではなく、願いの叶う奇跡だ。サンタクロースのもっとも基本の仕事だ。
「言ってごらん」
「当ててみて! あのね、赤くって動くのよ」
ぐ。これは困った。なぞなぞは得意じゃない。なんだろうか。トナカイの鼻か?
「わからない? それじゃあヒントよ。サンタさんが入ってくるところにあるの。ここにはないけれど」
入ってくる? 煙突。ここにはない。赤くって、動く……。
「暖炉の火だね?」
「うん。弟が寒いって泣くの。だめ?」
エミリーは不安そうに私を見上げた。
……なんて純粋なのだろう。なんて無垢なのだろう。
人はこんなにも美しい生き物だったのか。
心が、正体の分からないなにかの感情に揺さぶられた。
私も昔はこんなに愛しい生き物だったろうか――。
私は気づけば微笑み、胸をとんと叩いていた。
「まかせなさい」
しかし困った。奇跡はどう起こすのだろう。まだ習っていなかった。聞きに戻ろうか。そう思ってふっと横を見た私は、文字どおり飛びあがった。
いつの間にか、スーが隣に立っていたのだ。
「ス、スー」
ばくばくと鳴る心臓を押さえて呟く。我ながらよく悲鳴をあげなかったものだ。
スーはにっこりとして、私を見上げた。
「心配で来ちゃった」
「た、助かる。心臓が口から飛び出るかと思ったが……」
「今、おじいさんはサンタクロースなんだよ」
「うん?」
「目をつぶって想像してみて。この部屋の暖炉に真っ赤な火が灯るのを」
私は少しためらってから、言われたとおり、その光景を想像してみた。
赤い炎。冷えきった体をあたためる暖炉の火……。
「目を開けて」
ゆっくりと目を開ける。
礼拝室にある暖炉には、柔らかく燃える火がゆらゆら揺れていた。
「これは、驚いた……」
私はひどく感動してスーを振りかえる。
スーは「がんばれ」と笑うと、部屋から走って出ていった。
それを見送りながら、私は燃えあがる炎を見つめ、自然と口元に笑みを浮かべていた。本当になんていい子なのだろう。……ハ! いやいや、違う! 違ーう!
おっと、のんびりしてはいられないのだった。さあ逃げるぞ、と部屋から出ていこうとする私のズボンをまたも誰かが引っぱった。焦りで険悪になりかけた顔で見下ろすと、エミリーが嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう。サンタさん」
私はもはや反射的に笑いかえした。
「Merry Xmas!」
……ところで、もしやここを出るときは、火の入った暖炉から出るのだろうか。
結局、スーと同じく教会の大扉から外に出た私を、トナトナ、カイカイ、スーが迎えてくれた。
『おう。ごくろうだったなぁ。テムズは
『よかったわね、サンタさん』
相も変わらず、憎まれ口ばかり叩きおってからに!
「サンタさん、すごくがんばったよね」
なんて可愛いのかね、スーは! 二頭と違って!
と、思いつつ口には出さないのは、不本意ではあるが、いま、妙に幸せな気分だからだ。なんというかすごく、言いたくはないが、嬉しくてたまらないのだ。
不覚にもいつのまにか笑っていたらしい。カイカイが楽しげに言った。
『あらあら、サンタさんったら、とっても嬉しそう!』
こんな風にして、私たちは奇跡を配って街から街へと飛びまわった。
ひとびとに夢と希望を配り、安らかなその寝顔を見るたび、幸せに満ちたその笑顔を見るたび、私自身のなかで幸せな気分がふくらんでいった。サンタクロースは人の喜びを食べて生きているという。だからあんなに太っているのだ。私ももしや太りはしないかと何度も腹をさわってみた。そのたびにトナトナが馬鹿にしてきたし、自分も馬鹿らしいと思ったが、私はそれを笑って跳ねかえした。
もしかしたら、神様の魔法でもかかっているのかもしれない。時間はひどくゆっくりと流れていった。それでも確実に時計の針は進んでいった。
いつのまにか私は、このまま永遠に夜明けが来なければいいと思うようになっていた。
今日ほど楽しい日が今まであったろうか。
私をコケにするトナトナも、にっこり笑って怖いことを言うカイカイも、大切な仲間だ。ずっと親友であったように。
そしてスーのことも、我が子のように大切に思う。
本当にまいった。
わかっている。私はサンタクロースではない。ただ死ぬのでなく、こんなに楽しいひとときを手に入れただけでも十分に幸せなことだ。
二度と感じることはなかったろう幸せを、感じる機会をくれただけで、十分だ。
それでも、ひとつひとつと街を去るたびに辛くなる。
不思議なものだ。死んでから、死にたくないと願うなんて。あれほどどうでもいいと思っていたのに。
そして、ついに最後の街にやってきた。
そこは、私の住む街だった。
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