第21話 そこまで来てる復讐人
帰り道なら風呂代わりに濡れていこうってなもんだが、出勤時にはそういうわけにもいかない。100円ショップでまとめ買いした雨合羽の一枚をかぶって部屋を出た。
事務所の入っているビルの10台ぐらい置ける自転車置き場でへなへなのビニールからの脱出に手間取っていたら、自転車を降りる人間しか縁のないスペースになぜか新地さんが現れた。もったいをつけたようにゆっくりな、まるでテレビに出てくる刑事みたいな歩調でこっちに来たから、なんなんだよと思いながらもつい見つめちまった。かけてきた声はもっともったいぶっていた。
「ガメラさあ……」
おはようも言わないうちからまったくなんなんだよ、と俺の眉間にしわが寄った。
「なんすか……」
すっかり俺のそばまで来て、新地さんは声をひそめる。
「俺、先週で一段落したろう?」
ビニールの筒に最後まで引っかかっていた左足を抜きながら、俺は言った。
「そうみたいっすね」
「で、一応公式に暇なわけよ」
ビニールを適当にたたみながら答える。
「そうなんすか」
「そうなんだよ。で、な……そういう時はやっぱネットとかでぼんやり情報収集するわけだ、新しい工事様式なんてもんが発表されてたりしねえよな、とか。でも公式に暇なわけだから別にいいわけよ」
俺はビニール合羽を荷台用のゴムロープにはさみこみ、エレベーターに向かって歩こうとした。俺の肩に新地さんの腕が伸びてきた。まだいいだろ、と言って俺を押し留める。
「で、なにげに荒木ガメラで検索してみたんだ。なんつってもその名前だからさ、もしかしたらバンド方面で有名人だったりしねえのかなあってさ、だったらなんかうれしいよなあってさ。そしたらな、これ」
新地さんは話しながら自分の薄っぺらい鞄を開き、一枚の紙を引っ張り出していた。それを俺に見せた。そこには、俺の名前が何回も出てくる会話らしき文章が並んでいた。
「なんすか、これ」
わけがわからなくて俺は素直に新地さんに訊いた。
「そっか、ガメラは携帯さえ持ってねえんだった。ネットもしねえか。これはツイッターっていってな、なんつうか、世界に向かって何でも言いたいことが言えるんだな、早い話。そういうサイトなんだ。だから何か知りたいことがあったらここにそれなりの書き方で書き込んでな、もし知ってるやつがいたら教えてもらえるわけだ。で、このアベンジャーHって知ってるか?」
雨の音が急に強くなった。知らない。知りたくもない。でもそいつが書いている文章は、一人の人間の顔を思い出させていた。
なんで、と思った。なんで今さらこいつが俺を探してるんだ? 俺がこいつを探してるんならともかく。
これ、と俺が言うと新地さんは、もちろんいいよ、持ってけ、と言った。ありがとうございます、と言った時にはもう新地さんは歩きだしていた。
アベンジャーH 親友の仇、荒木ガメラを探してるんだ。誰か教えてくれ。
もゆ なにそれ、にんげん?
真之介 ほんみょーじゃねきゃ探せねーんじゃね? おまえバカ? つうか仇うつんならアベンジャーつーよりリベンジャーじゃねーの?
アベンジャーH 役所に聞いてみればわかるけど、荒木ガメラってのがマジで本名。他にいるわけないからこうして公開捜査。相手にしてくれ。
ゆーじ そいつってもしかして仙台の人? で、ロックの人? だったらわかってる気がする。
アベンジャーH ロックの人かどうかはわかりません。でも仙台の人で間違いないと思います。というか荒木ガメラ、世界に二人いるわけないので。
ゆーじ だったらこっちがよく行ってるスタジオに出現してる気がする。青葉区○○にある愛と平和の弾薬庫ってスタジオ。これでいい? ちなみにおれのブログこっち(矢印とアルファベットの羅列)だから、謝礼大歓迎!
アベンジャーHとやらのHは広野のHに違いなかった。俺の卒業写真集で一人だけ顔写真が残っていない男の苗字だ。フルネームは広野大樹。
なんでこいつが俺を探しているんだろう。しかも親友の仇ときたもんだ。広野大樹の親友とは誰のことか、と俺は記憶の箱を開けようと試みるが、そんなことをしたところで何も出てこないことは開ける前からわかっている。俺は広野大樹なんて名前ぐらいしか知らないのだ。それと、トムと同じ高校を受験して落ちたことぐらいしか。
仕事が始まっても俺はずっと、新地さんから渡された紙に印刷されていたものについて考え続けた。考え続けなくちゃならなかった。
あいつが、俺の親友の仇だったのだ。なんで逆になってんだ?
それは俺を探し出すための方便だろうと、俺にもすぐにわかった。
でもなんで今「親友の仇」なんて言葉まで使って俺を探しているのか、そこがわからない。俺が警察に出した写真が有効に使われて、あいつが捕まり、そのあとひどい人生を送ったとかいうんならわかる。あのあと少年院に入るなり、何らかの罰を受けたとかいうんなら、こんなふうに搜索を受けているのもわからないじゃない。でもあいつは捕まったりはしなかった。あの写真は警察署のどこかに埋もれてそれきりになり、広野は第2志望の私立高校へ入り、あとはわからないけれど、とにかくそこで俺なんかとは関係のない人生に流れていったはずだ。
「くそッ……!」
気がつくと呟いていた。部屋の中にいたみんな、社長までが俺のほうを見た。いや、すんません、なんでもないです、と俺は必要以上におどけた顔をして見せて頭をかいた。でもかかれたほうの中味は沸騰するほどに熱くなっていた。ゆーじってのに、やたら腹が立った。俺は昔から何をどんなふうにされてもチクるってのだけはしなかった。なのにこのゆーじとかいう野郎は!
頭の上を見たくもない雲が覆っていくのを感じながら、午前1時5分前が汚されちまった、と俺は思った。
いくら考えないようにしても気になる時はとことん考え続けろ、と言ったのはクマさんだった。そうするしかないんだろう、と俺も思う。でもそれをただの心配ごとにしてくよくよしてるなんて、悔しいしバカバカしい。歌にするしかない。
スタジオに入ってアンプのスイッチを入れるなり、俺はギュワギュワと、象が鋼鉄の羽をたわませながら飛んでいくような音で弾き始めた。ジーバがすぐに反応した。俺のギュワギュワギターに、グワングワンと、カバが追いかけてくるような音を重ねてきたのだ。奈美恵はずいぶん悩んだあとで、ネズミの徒競走のようなスタッカートリズムを入れてきた。ソーヤは突進するクマだ。ストレートに滑走するベースラインを流し込んできた。
――払いのけても払いのけても、俺たちの上の黒い雲は密度を保ってひしめき合い続ける。意味だけをまとった言葉を使い分け、ありもしないものを、あたかも微動だにせずそこにあり続ける不動なものとして存在させる。
ここから動けない俺たちはののしることさえできずに、ただ闇の中で悩み続ける。じっと息をひそめて雲が切れるのを待ち続ける。けっして途絶えることのない黒い雲が切れるのを――
奈美恵のドラムはいつしか軽快なゴリラのダンスをファンキーに刻み始めていて、ソーヤのベースは黒々としたうねりを帯びてきた。くそッ、最高だ、と口元が緩みそうになる。しかしジーバだ。ナイフのようなカッティングで突っ込んできやがる。あわてて俺はリードをとる。象が悲嘆に暮れている様子を荒々しく、中低音部で緩急をつけて弾き、ひとしきりやり終えたとことでマイクに歩み寄った。
――青空なんてないと、なんで誰も言ってくれない。ザラザラの闇空しかないんだと、なんで誰も言い切らない。なんで誰もはっきりと言葉にしない。荒っぽい闇夜しかここにはないんだと。誰もが知ってるはずだろ。赤ん坊でさえ知ってるはずなのに――
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