第19話 四つの穴から
初めの時、がさがさに乾いた雑巾みたいにくたくたになった俺だったが、慣れちまえば恐ろしいくらいに素晴らしい。
週に1回、土曜深夜――日曜未明の午前1時5分前にこれが待っていると思うとついにやけてしまう、そんな俺が現れてくるまで1週間もかからなかったのだ。
次の週の練習で、のっけの曲をレゲエのリズムで歌いだしたのは俺だった。
――真夏の日曜、自転車をぶっ飛ばして海へ向かっていたらカラスが目の前でホバリングし始めた。顔は俺に向けている。俺に速度を合わせてバックしつつホバリングときたもんだ。
カラスの頭の上にはアマガエルが乗っかっていた。どけろよ、俺は言った。邪魔だ、遅れる。
アマガエルが言った、何に遅れるってんだ。
俺は理解した。このアマ野郎、カラスを操縦してやがる。
食われちまったんだ、とアマガエルは威張って言った。食われちまったから頭から出てきてやったんだ。今じゃ俺がこいつの脳みそだ。
バカ野郎、威張って言うことか、大体お前の事情なんて知ったことじゃねえ。遅れるからどけろ。ベイビーが待ってんだ。ハニーが俺を待ってんだよ。待ってんだよ。固い決意を胸に潜ませて、シュガーが待ってるのはこの俺だけだったんだよ――
なぜか突然ここで、ソーヤが割って入ってきた。
――だったら俺の言うことも聞いてけよ、そんな女なら絶対に逃げたりしないだろ。この俺の話を聞く時間ぐらいたっぷりあるはずだ。もし聞いてくれたらこれに乗せてぶっ飛んでってやるぜ。いいか? こいつは時間を逆に飛ぶことだってできるんだ。だって脳みそはこの俺なんだからな。実は絶対に遅刻なんてさせないようになってんだ。だから兄弟、俺の話も聞いてってくれ。いや、大丈夫だ。いくら時間を逆走したって俺はオタマジャクシになんか戻ったりしないから。お前を無事にシュガーベイビーハニーのところに届けてやるさ――
ジーバのバリバリの間奏が始まった。奈美恵が調子に乗ってバスドラを蹴りまくり、スネアもタムもシンバルも叩きまくった。ヘヴィなコミックソングってところだ。
喉を無理に絞ってるような声で歌ったジーバはまるでジャニス・ジョプリンだった。
――みんな生きてた。空に向かって飛んでいた。誰も帰ってこれなかった。わたしたちが見捨てたから。わたしたちが見捨てたから――
奈美恵があとを受けた。
――あなたたちのせいじゃない。誰かのせいかもしれないけれど、あなたたちのせいじゃない。愛してる。大丈夫だよ。ただ愛し続ければいいんだよ。すべてのいきものの縁を忘れないで、つながっていくことだけを祈り続けて、愛し続けてくれてたらいいんだよ。誰も決して、あなたたちのせいだなんて、少しも思っちゃいないんだから――
毎週毎週、一時間が三秒ぐらいに感じられた。だからと言って練習時間を二時間にしようとは言えない。奈美恵の体調が解読不可能だし、俺的にもすでに一時五分前の集合が必要になってきていたし、そうすると、大概二時からは別のバンドの予定が入っているから、どうしても一時間しかできないことに俺たちはなっているのだった。
ラフ・ブルーのやり方がすっかり体になじんで、空気に湿気がはっきり感じられるようになった頃にソーヤは、スリーコードをゆっくり、ボーンボーンと鳴らしながら歌った。
――すべてのドアを開いたら、お前はずっと前から隠し持っていた、その宝石を僕に前にかざして、こーんなに、と言ったね。なんて輝きなんだ。
すべてのドアを開いたら、キミは木の箱を抱いて現れた。汚れた箱を抱きしめたキミを連れて、僕はキミを愛している人のところまで黙って歩いた。
すべてのドアを開いたら、まぼろしの空が広がっていた。ざらざら模様で真っ暗な、それは優しい空だった。深くて怖い青空だった。
すべてのドアを開いたら、そこにいたのがキミだった。黒いライフルをかき鳴らし、俺はここだと叫んでた。
一緒に行こうと僕は言っただけだった。なのにキミは、ぶっ飛ばしにな……と不敵に笑った。一体何をって顔で僕は見た。するとキミは、半端な自由なんて人間のためにならないからな、と目を伏せた。
そう、半端な自由なんてただの毒だ。ほんとの自由だけが必要なんだ。そのために僕はドアを開き続けてきたんだ。ほんとの自由だけを守るために僕たちはこれをやり続けるんだ。だから僕たちは愛と平和の弾薬庫から銃弾ぜんぶ引っ張り出して、自由を守りに行くだけなんだ――
「その曲、タイトルは?」
まだつけてない、と答えるだろうと思いつつも俺は訊いてみた。意外にも答えは速攻で返ってきた。
「愛と平和の弾薬庫から」
俺と奈美恵は速攻で噴き出した。あまりにまんまだったからだ。ジーバでさえ口をぷっと鳴らした。しかしソーヤは同じ言葉を繰り返した。「愛と平和の弾薬庫から」
なるほど、と言うしかなかった。奈美恵もうんうんと頷いて見せた。ジーバは曲の中で弾いていたフレーズを一度だけ弾き、ぴたっとアコギのボディに手を置いた。
「これは絶対やろうぜ」
と俺は言った。言いながら、俺ももっとマシな歌詞を考えてこねえとな、と胸の奥のほうで思った。
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