第10話 25,000円の音色

 バンドどころかギターにさえ触ることなく、高校の合格発表の帰り道、トムはあっち側に行っちまった。クマさんが見つけてくれた季節が半年違ったら、とっくに俺も行ってたに違いないあっち側だ。

 トムは街のど真ん中の交差点でトラックにはねられた。

 関東から下ってきて仙台のインターチェンジで高速を降り、トラックは三陸方面に向かっていた。運転手は高速道路のサービスエリアで何回も休憩を取り、体は全然疲れていなかった。視野のすべてがクリアに見えていた。だから、トムが何かに驚いたような顔ですうっと車の前に出てきたのをはっきり覚えていた。信号は歩行者と車が別々に青になる歩車分離式で、歩行者が赤だった。その信号形態も信号のタイミングも運転手は間違いなく把握していた。

 そして、誰かに押されたんだという証人が何人も出た。


 同じ高校を受けて落ちたやつが後ろから押したんだ、と俺は結論した。押したのが誰なのかも大体検討がついた。8人受けて3人落ちた中に、いかにも平気でそんなことができちまいそうなやつがいたのだ。

 卒業アルバムのその男の部分をカッターで切り取って俺は警察に持っていき、目撃者に見せて欲しいと頼んだ。


 1週間たっても1ヶ月過ぎても、警察からは電話1本こなかった。

写真を警察に持ってったことは誰にも言わなかった。なのにある日の夕方、施設の庭の桜をぼんやりベンチから眺めていたら、クマさんがなにげに寄ってきて隣りに座りこう言った。

「いい知らせなんてな、ガメラ、ここにはこねえんだよ」

 クマさんは捨て子じゃないし、養護施設に入ったこともない。だから「ここ」がどんなふうに世の中から見られているかなんて、俺のほうがわかってる。そう思っていた。

 でも、出ていけばきっぱりここと切れることの可能な俺たちと違って、クマさんは20年以上、ここにいるのだった。そして「ここ」の外を毛嫌いした結果がこの「20年以上」なのだった。

 たくさんの子供たちを黙って見つめてきた重い眼差しが、俺にしっかり再認識を促していた。

 いくらなんでも、とは思ったが、警察の机の奥にしまわれたトムの写真は俺も忘れるしかないんだ、そう思ったら涙がぼたぼた落ちた。その涙が俺の手に落ちる前にクマさんの手が俺の左手を固く包んだ。やだよ、と言った俺の声は薄暗がりの桜の根元に突き刺さった。俺以外の人間の鼻をすする音が聞こえた。クマさんだって悔しいんだと知って恥ずかしくなった。


 俺は高校には行かなかった。

 中学を出て最初の勤め先は、ただで古アパートに入れてもらえる新聞販売店だった。そこを半年でやめた後は、レストラン、ホテル、印刷屋、教材CD販売、ペンキ屋、空調会社、金属検査会社、家電配送、CD倉庫、DVDレンタル、夜の仕事以外で入り込める会社ならどこにでも入り込んだ。当然のこと99パーセントは見習いか補助で、 75パーセントは3ヶ月未満でやめた。

 新聞屋をやめた時には、店長の奥さんとばあちゃんのあいだでひと悶着あった。俺が1年も働かないうちにやめたいと言い出したからだ。店長とばあちゃんのあいだに、社宅的アパートに入る場合は最低1年は勤めるという約束があったのだ。

 ばあちゃんと奥さんとのあいだに、どんなやりとりがあったのかは全然知らされなかった。知りたいとも思わなかった。ただただ、夜が明ける前から夕方まで完全に拘束され、日が沈んだと思ったらもう寝なけりゃならないってのがたまらなかった。

 当時はまだギターなんて持ってなかったから、確かに夜にすることなんて何もない。寝ればいいようなもんだ。そうして真面目に働けるだけ働いて、とっととギターを買う金を貯めればいいのだ。

 でもそんな生活がどうしても奴隷的な生活に思えてしかたがなかった。ただなんとなくそんなふうに思えてしまって、そう思えてしまったらその感覚が頭から抜けなくて、いやになってしまったのだ。

 寂しかっただけだ。

 ばあちゃんに駄々をこねたかっただけなのだ。

 今にしてみればそんなふうに自分を分析もできる。でもその時はダメだった。聖陵園に電話を入れ、ばあちゃんに暗い声で、ダメだ、と言ったのだ。こんなの人間の暮らしじゃないよ、と。

「だったら世の中の新聞は全部、人間じゃない人が配ってくれてるの?」

 とにかくダメだ。俺には無理だよ。

「わかった」

 それだけのやりとりだけで、あとは素早く、別のアパートに入る段取りをばあちゃんはとってくれた。

 新聞屋の無賃アパートよりもさらに古いアパートに、一時的に園に戻していた荷物と新たに買ってくれた布団を運び入れた日、これであんたも立派な社会人だよ、とばあちゃんは言った。

「大した借金ができちゃったからね……私に」

 結局最後まで、ばあちゃんは俺を怒らなかった。ただ淡々と俺が新しいアパートに入れるようにしてくれて、俺をレストランの面接に行かせ、そして最後に、聖陵園の誰もが赤ん坊の時から聞かされ続けた言葉を口にしただけだった。

「とにかくあんたは自分を大事に、それだけを心がけなさい。自分を愛するってことがどんなことなのか、それがわかるまで」

 俺は自分を大事にしていた。だから、新聞屋で働く毎日が自分をないがしろにしているとしか思えなくてばあちゃんに電話したのだ。とても耐えられなかった。

 でも「自分を愛する」ってのはまだ全然わからない。

 愛されていたってのはわかる。指導員と保育士の先生たちはみんな、俺たちに真剣に接していたし、クマさんは一見怖いけれど誰よりも信じられる人に俺には見えたし、ばあちゃんは誰よりもまっすぐ無条件に俺たちを愛してくれていた。だから、世の中で子供に起きていることをテレビで目にするたびに、なんて外のみんなは愛のない世界に生きてるんだろう、それに比べたら俺たちはどんだけ愛されて守られてるんだろう、そうしみじみ実感できた。そしてそんな人たちのことを俺たちも素直に愛することができた。俺たち――子供たち同士も、そりゃあ喧嘩もするし、途中から入ってきたやつとは何ヶ月もいがみ合ったりもするけれど、根っこの部分では兄弟みたいな気持ちを持ち続けることができた。

 でもそれはみんな、誰かから俺に向けられたり、俺が誰かを思ったりという、外へ向かう感情だ。

「自分を愛する」は逆だ。俺から俺自身へ、内側に向ける感情のことだ。少なくとも今の俺にはそういうふうにしか理解できない。

 これがわかるには相当かかりそうな気がする。ばあちゃんの言葉からも、そう簡単にはわからないだろうけど、というニュアンスを感じる。となれば俺としては、ほっとくしかない。で、一つのことだけに向かっていればいい。一日も早くギターを買う、である。どんなに安いのでもいいからとにかく自分のギターを手に入れるのだ。もしかしたら、とも思う。これこそが、俺が俺にしてやれる唯一の愛情表現なのかもしれない。


 その日は17才の春、世間のやつらがゴールデンウィークとか言っている頃に訪れた。入れては引っ張りだしを繰り返していた、広口瓶の500円玉が充分に貯まったのを機に、それを少しずつ毎日の弁当代に使うことを自分に許し、もらったばかりの給料から3万円下ろし、質屋が経営する中古専門の楽器屋に向かったのだ。

 前々から目をつけていた黒のテレキャスはまだ無事に、ごちゃごちゃ並べられた中古ギターの群れの中にいた。25,000円プラス消費税。俺は3万円をレジの脇に座っているロックのロの字も知ってそうにないおばちゃんに差し出し、あれください、と言った。どれと思った通りの答えが返ってきたから、俺はのそのそとテレキャスの前へ行き指さした。

「ケースはいらないの」

 ぶっきらぼうに言われて俺は、え? と思った。ケースは付属品だと思っていたからだ。25,000円プラス消費税で27,000円出せばそれだけで、黒いケースに収まったテレキャスターを背に颯爽と部屋に帰れるとばかり思っていたのだ。

 それっていくらですか、と訊くと、あそこ、とおばさんが指さしたあたりにケースが束になって立っていた。そこまで行って段ボールの束でもめくるようにして俺は値段を見ていった。1000円から2000円、3000円と大雑把な値段が付けられていた。しかし1000円のやつは片手で持つタイプでショルダーになっていなかった。2000円のやつはショルダーにはなっているが薄っぺらなビニールで、2、3回も背負ったら壊れそうだ。3000円のやつなら大丈夫そうだが、そう、手持ちがない。いや、ないこともないんだが、どうだろうと思ったのだ。そんなに出すのならちゃんとした楽器屋で、もっとしっかりしたのが買えそうな気もするのだ。2年間、開けては閉め、テープでがっちり固めては剥がしを繰り返してきた広口瓶が頭に浮かんだ。


 25,000円のテレキャスってのがどんな代物なのか、トムはたぶん知らない。でもきっと、と俺は思う。どれだけ弦高が高かろうが、どれだけ鳴り方が貧弱だろうが、トムは絶対言ってくれてるはずだ。

 ガメラすごいよ。やっぱかっこいいね。

 古本屋で見つけて買っておいた本を脇において、コードを弾き、ベース音のとり方を知り、3ヶ月もたった頃、やっと「ラヴ・ミー・トゥー・タイムス」の前奏を弾けるようになった。


 ほら、ドアーズだ。


 トムに向けて俺は単音の連なりを鳴らしてやった。

 目の前にいない誰かに向かってギターを弾いたなんて、それが最初で最後だ。


それからさらに三ヶ月後、質屋とは別の普通の楽器屋に貼り紙を出してバンドのメンバーを集めた。それからソーヤに会うまでのあまり楽しい記憶の残っていない日々のことはトムには一度も話していない。あいつも何も語りかけてこない。

 でも「なんか話してくんないかな」なんて声が聞こえてきたら言ってやれないことが全然ないわけでもない。例えば、ドラムに合わせてギターを弾くのはやっぱ最高だぜ、キース・リチャーズがチャーリー・ワッツのことが大好きなのはすっげえわかる、なんてこととか。

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