第8話 ずっとばあちゃんはばあちゃん
21年前の真夏の朝、市の名前を冠した駅から5キロぐらい離れた高台の住宅街を10メートルのコンクリ壁の上に見上げる小さな養護施設の玄関前に俺は置かれていた。捨てられていたと言ったほうがわかりやすいんだが、誰もそうは言わない。そういうわけで俺はあくまで、「置かれていた」のだ。
誰もここまで正直に描写して聞かせちゃくれないが、その朝の様子は想像がつく。
クマさんが午前4時30分頃、いつものように「どうしても目が覚めちまう」。叩いても起きないような子供たちはともかく、ばあちゃんを目覚めさせないようにだけ気をつけて毎日最初の日課を実行する。日本中のどんな街のどんな朝にもごく当たり前に溢れている顔――新聞を取りに出る顔というやつで玄関から門の郵便受けまで歩くのだ。
この時の日本中のおじさんたちとクマさんの違いは、その時クマさんの頭には新聞に書かれている世界に対する期待なんてものはもちろん、そこに載っているかもしれない記事への興味も活字への関心さえもないことだ。クマさんの頭にあるのはたった一つ、祈りにも似た願いだけだ。
いつも見てる物以外の物は何も見ないで、無事に新聞だけを取って戻って来れますように――ほとんどの朝は意識の奥で、イヤな予感のする朝には眉間にしわを寄せてそんな思いに囚われながら、クマさんは門をそっと開け、そして施設の周囲をひと巡りする。
願いはどうあれ、いつもはそこにない物が目に入ったら、とクマさんは常に覚悟はしている。絶対にそれを見逃さず、玄関に持ち帰らなくちゃならない。もしそこで紙袋一つ見落としたら、それは新しい小さな骨壷を一つこしらえることにつながりかねないからだ。
8月の晴れた朝、いつものように願いと義務感のはざまにあったクマさんの視界に、それはのんきなぐらい完璧に飛び込んできた。門の小さな扉にぴったりくっつけられて、一個の段ボール箱が置かれていたのだ。
その時クマさんの頬を歪ませたのは事態に対する嫌悪感と言うよりもむしろ、苦笑いに近い感情だった。
夜が開けると同時に眩しいぐらい晴れ渡った空、昼間は30度を優に越すであろうことを予測させる清涼な朝もや、そんな中に浮かぶ路地の雑草や、ろくに洗ってもいないのにキラキラ光を反射している門の格子、そして草原に咲くバラよりも見逃すのが難しい段ボール箱。
どうれ……。
扉の鍵を開けていったん外へ出て、すぐにクマさんは段ボール箱を持ち上げた。箱にはテレビなどでよく見るキャラクターのイラストとスナック菓子の名前が印刷されていたが、その重さは明らかにスナック菓子のものじゃなかった。重みが中心に集中している。
死んでんじゃねえぞ……。
扉を肩で押して中に入ると、いったん地べたに段ボール箱を下ろす。扉の鍵を締め直す。そして再び段ボール箱を持ち上げた時、箱の上がふわっと開いた。真っ赤なバスタオルと大口を開けた赤ん坊の顔がそこにあった。
大丈夫だ! 大丈夫だ、園長!
クマさんの顔がほころんだところまでが妄想で、ここからはばあちゃんが聞かせてくれた事実も混じる。
玄関ではジーンズ地の短パンに緑のTシャツ姿のばあちゃんが待っていた。
「その朝のことは隅々まで妙に覚えてるのよね」
ばあちゃんはいつもそう言う。
「誰との出会いも、その朝のことは。生きてます、ってクマさんは笑ったわ。ほんとにそんな時だけなんだから、クマさんの正真正銘の笑顔が見られるのなんて」
段ボール箱には丸めた新聞紙がぎっしり敷きつめられていて、その上に俺は載せられていた。とりあえず清潔なのに取り替えないと、と俺から剥がされた真っ赤なバスタオルを広げてクマさんが言った。
「あらき、ガメラ……」
バスタオルには黒のマジックで何度もなぞられて太くなった平仮名が三文字と片仮名が3文字、合わせて六つの文字が縦に並んでいたのだった。
あら……と言ってばあちゃんは、タオルを見つめ目を細めた。
「素敵な名前じゃない? すっきりしてるし語呂もいいわ」
役所の人には、別の名前にしなさいな、と当然のように言われた。施設長さんも何か別の名前を準備してるんでしょう。だったら初めからそっちを言ってくれないと。
ばあちゃんは、あら、と目の前のおじさんを見つめた。
「こんなに愛と強さに満ちてる名前なのに?」
一度だって変な名前だなんて思ったことはないわ、と怒ったような顔をしてばあちゃんは言う。
「だって荒木ガメラよ。ガメラは聞いたことある? あなた以上に力強い愛を感じさせる名前……」
ばあちゃんは俺が21才になった今年、俺より3日早い誕生日でついに還暦を迎えた。ということは俺が施設の一員になった時はまだ、40才にさえなってなかったってことだ。でも俺は、ばあちゃんのことをばあちゃんとしか呼んだことがない。それは何も俺がバカでそれ以外の呼び方を覚えなかったからとかいうんじゃない。クマさんだけが頑固に園長と呼んでいるだけで、俺たちの育った家の施設長――高梨紗耶夏さんは、クマさん以外には誰にも「ばあちゃん」としか呼ばせないからなのだ。
クマさんが一度、そのことでこんなふうに言ったことがある。
「あの人は俺がここに転がり込んだ時はまだ29才だったんだ。なのにばあちゃんだ。自分のことはばあちゃんと呼んでくれって言うんだ。10才以上も年下のねえちゃんをばあちゃんなんて呼べるわけがねえ」
また、まだ四つだったユキがある日、急に泣き出したことがあった。ばあちゃんはばあちゃんじゃないよぉ。まだまだ死んだりしないよぉ。そんなことを喚いていた。きっと誰かに、ばあちゃんってのはもうすぐ死んじゃう女の人のことを言うんだよ、なんてことを言われたに違いなかった。どこのどいつが言ったかは大体見当はついたから朝一番でぶん殴ってやろうと思ったが、すたすた歩いてきたばあちゃんはユキを抱き上げてこう言ったのだった。
「ばあちゃんはね、永遠の命をもらってるの。永遠の命をもらってるから、こんなに若いのにばあちゃんなんだよ。ね、ユキにだってばあちゃんはおばあちゃんに見えないでしょ? それは永遠の命をもらってるからなんだよ」
えいえんのいのち?
ユキは眉をしかめた。
ばあちゃんは答えた。
絶対に死なない人っていうこと。
誰かが例えば中学や高校に進学するとたまに、ばあちゃんを園長先生なんて呼び始めようとしたりする。ばあちゃんは絶対にそれには反応しない。そうなったらしょうがない、みんな「ばあちゃん」と呼び直す。ん? という顔でばあちゃんは振り向く。その顔を見て俺たちは知るのだ。「ばあちゃんであること」は、ばあちゃんのポリシーなんだと。
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