第6話 決まっていたバンドの名前

 CDだとフェイドアウトして終わる「ファイヴ・トゥ・ワン」を、強力グルーヴでぐるぐる回しまくって10分かけて天まで持ち上げ、そこからどすん! ソーヤ奈美恵ジーバのトリオは突き落とした。間髪入れず奈美恵が「ハロー、アイ・ラヴ・ユー」を歌いだす。

 ところがその「Hello, I Love You」、ジーバの激しいギターが勝手にキンクスの「オール・デイ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト」に――軽いタッチのサイケソングが、軽いタッチのハードロックに変態させていく。


 ふと視線を上げるとソーヤと奈美恵が顔を見合わせ、かすかに笑っていた。二人の顔には、どうしてもこうなっちゃうんだよね、とか、きょうはまた凄すぎるわ、とか言いたげな柔らかさが浮かんでいた。

 やがてジーバはついに、弾きまくるだけじゃ満足できなくなる。勝手に転調、ザ・フーの「マイ・ゼネレーション」の世界に入っていく。でもソーヤと奈美恵はまったくの平成顔だ。そっか、と思う。3人でやるこの曲はいつもこう――こんなふうにできあがってんのだ。

 奈美恵とソーヤがなにげに「ハロー、ハロー」と歌い始め、徐々に声を張り上げていく。やがて無理やり「ハロー、アイ・ラヴ・ユー」に戻っていく。その間、俺はジーバにはまったくついていけず、ソーヤのベースに器用に絡みついていただけで、そのうちジーバが振り下ろした鉈のようなストロークでエンディングを迎える。ナミエが最後のシンバルを鳴らし終わった時、ドアからスタジオのお兄さんがやせた無精髭面を突き出してきた。

「おい。時間過ぎてんぞ……」

 奈美恵の頭の上の丸い掛け時計は2時7分を指していた。


 ジーバがスイッチも切らずにアンプからシールドを抜き、すべてをがさつに胸の前に抱いて一番にドアから出た。スティック2本持って奈美恵が続く。ソーヤがベースを抱え、ジーバのアンプを消してドアに向かい、俺はのったり、最後にドアから出た。赤ベンチのスペースには誰もいなかった。俺たちが今夜の最後の利用者なのかもしれない、と思ったらお兄さんがコンビニの弁当をかきこんでいた。ちょっとだけ酒のにおいもする。


 1時間前のデジャヴのように赤ベンチに座ったジーバの前に立ち、煙草に火をつけてソーヤに俺は言った。

「事務所の電話番号、誰から訊いた?」

 ああ、とソーヤは目元をかすかにかげらせた。

「会社に電話してまずかった?」

 言いながらジーバの前に屈み、アコギのピックアップを取り外し始める。そのぺったりした真っ黒な頭に向かって俺は言った。

「じゃなくて……俺のことっていうか」

 ああ、とソーヤは声色をやわらげた。

「勝俣って覚えてる?」

 ああ……と俺が顔を歪ませたら、ソーヤは俺を見上げてちょっと笑った。

「やっぱそんな顔になるんだ」


 カツマタ……忘れられたらほんの少し気の晴れる名前だ。

 デジタルイコライザーをはじめとしてディレイだのオーバードライブだのピッチがどうこうだのコンプレックスがサスティンしてループしたりハーモニーしたりターボったりフィードバックしてみたりする、俺の人生には完全に縁のない鉄の箱を10個以上足元に並べ、タコが驚くほど指を伸び縮みさせてはくねらせ、手数さえ多ければ世界制覇でもできると信じてるかのように弾きまくる自己陶酔野郎で、初めて一緒にスタジオに入った2時間後、ごめんね、もう来ないでいいや、と言ってくれた男、それがカツマタだった。


「やっぱ、なるね」

 俺は言い、ちょっとだけ意地悪い気分になって訊いた。

「彼と友だちなんだ?」

 ソーヤくんはやわらかい声のまま言う。

「ちょっと一緒にやってみようかってことになったことがあってさ」

「じゃあ、一緒にバンドやったんだ」

 こいつならやれるかもしれない。目の前の人間の性格がうらやましいようでもあり、うっそだろうと思えたりもし、複雑な気分でなにげに視線を落としたらソーマナミエは猫に戻っていた。ソーヤがうーんと言ってから答えた。

「一回スタジオに入ってね、彼はまたやりたかったみたいなんだけど、ちょっとね」

「やっぱ?」

「やっぱりちょっとね。俺、ゲッペルスにはなれないから」

「ゲッペルス?」

「ヒットラーの一番の側近って違ったっけ?」

「ああ……」

 そんな名前は全然知らない。でも意味は通じた。

「だからベースは他に探して欲しいんだってことにしてさ、逆に訊いたんだ、ロックが弾けるギタリストいないかなって」

 何がどう逆なのかわからなかったが、あのタコ指のヒットラーならわからないでもない。きっとあんたが世界の主人公、という流れを保てばどんな会話だって可能なのだ。相手のプライドを逆に利用するってことだ。

 あ、なるほど……「逆」か。

 ソーヤがにっこりしながら言う。

「そしたら即座に出てきたんだ、ガメラの名前が。よっぽど印象に残ってたんだろうね」

 確かに、と俺は思う。印象には残ってたんだろう。あんなにギターで喧嘩したのは俺だって初めてだ。思い出すだけでむかむかしてくる。でも、と俺は感謝にも近い気持ちになる。そんなロック音痴の骨なし野郎だからこそできることもあったというわけだ。俺とこの三人を引き合わせるとは。

「というわけ、でさ」

 ソーヤが妙に口をとがらせて俺を見る。ああ、と俺は思う。次は99パーセント「ボクたちと一緒にやらないか」だ。やめてくれ、だ。俺は言った。

「何か予定あるの?」

 ソーヤが眉間にしわを寄せる。

「予定?」

「バンドの予定」

 ソーヤ、奈美恵、ジーバの三人と、俺がとりあえずは同じバンドのメンバーとしてやっていこうととっくに決めていることをやっと悟り、ソーヤはほんの数秒、自分の世界に引っ込んで俺の顔をまじまじ見上げた。

 まったくどこまでもつっけんどんなクソ生意気なガキだな、とか思いながら呼吸三回分ぐらいニタニタしていたのだ。なんでソーヤの頭の中の言葉が読めたのか。社長に一度言われたことがあるからだ。そう言いながら、社長は今まさに目の前にあるような顔で笑ったのだ。

「とりあえずジャズフェスに出たいな、なんてね」

 4回目の呼吸と一緒にソーヤはそう言った。

 ジャズフェス――定禅寺ストリートジャズ・フェスティバル……。夏と秋が真正面からクロスしている真っ青な空がすぐに頭に浮かんだ。

 平和過ぎる空気。おっさん連中が弾いてるいちいち立派なぴっかぴかのギターやベース。

 あんなのに出るくらいなら、路上でボロボロのアコギ一本引っかき回してジミヘンでも弾いてたほうがずっとマシだ。あそこにロックはない。少なくとも俺がロックだと信じてるものはない。でもまあこいつらとなら救いの余地があるかもしれない。

「あと6ヶ月か……」

 俺が言うとソーヤは頷いた。

「この4人で」

 真面目な顔が暑苦しい。

 別にどうでもよかったがふと頭に浮かんだから訊いてみる。

「バンドの名前は……なんか決まってんの?」

 ソーヤは速攻で返してきた。

「ラフ・ブルー」

 

 は?


 目の前に突然もやっと邪魔な物体が浮かんだ。なんだこりゃと思ったら、そうだ、それってすげえ知ってる名前じゃねえか、何言ってんだこいつふざけんな、という驚きと怒りがごちゃまぜになった俺の気分の複雑な塊だった。

 ラフ・ブルー?

 できれば聞かなかったことにしたい。でも百パー否定はしないだろうと知りつつも俺は聞き返した。聞き返さないわけにはいかない。

「今なんて言った?」

 突発性のどう扱っていいか判断しかねている気分の塊に、ぐっさり突き刺さるものがあった。ソーヤのあまりにも無邪気な笑みだ。

「ラフ・ブルー」

 ソーヤは言い、さらに表情を明るくして言った。

「あ、もしかしてガメラも知ってる?」

 よぉく知ってる。俺が唯一コーヒーなんてものに金を払う店の名前だ。実は俺も、その名前をバンド名として使わせてもらおうと思ったことがあるのだ。でもその時の、初めて自分のオリジナルだけでやろうと思ったバンドは、結局3回も練習しないうちに潰れちまった。それ以来、どんなバンドにもの俺は加わっていない。でもいつかは再び自分からバンドを組み、その時はこの店名をバンドの名前として、マスターにきっかり断って使わせてもらおうと思っていたのだ。それをこのストレンジ・デイズ野郎は……。


 たぶんラフ・ブルーって言葉の響きが気に入ったからだけなのだ。そんな理由だけであの店の名前を、こいつは無断借用しようとしてるのだ。つうか、使いたい理由で言ったら俺もほとんど変わらないが、しかしこんな顔はあの店で見たこともないし、俺と違ってこいつはあの店名を完全なる無断借用で使おうとしてるのだ。


 しかし一応、確認はしておかねばなるまい。

「あの店に行ったことあるの?」

 ソーヤは首を振った。

「喫茶店に入る金なんてないって」

 なんて同情できる一言だ。やばい。許しちまいそうになる。

「どんだけ貧乏なんだよ」

 いや、どんだけ貧乏だってあの名前を使いたいならせめて一回はコーヒーを飲みに行くべきなのだ。同情の余地なんてない。

「たぶんガメラとおんなじぐらい」

 うるさい、と思ったところで思い出した。

「あ、今日のスタジオ代……」

言いながらポケットをまさぐる。出てきたのは千円札が2枚と茶色いコインが3個半。すなわち2.035円。俺の手の平を見下ろしてソーヤは言う。

「今日はいいって」

 できればそうして欲しくはある。が、いやでも目に入る情景がある。黙ってアコギを抱き前を見つめているジーバとその横に寝そべる黒い猫。

「一人で払わせらんねえって」

 そう言いながら俺は1000円札を1枚、ソーヤの胸に押しつけた。

「いらないって」

 ソーヤはニタニタしつつも声に憤りをにじませた。胸を逸らしながら一歩後ずさる。1000円札を落としそうになってぐしゃっと握り、そんだけ言うんならと俺は自分を納得させた。今日は勝手にスタジオを予約されたってことで。

「じゃあ、これは貸しだ」

 目の前で札をたたんでポケットに戻し、俺は言った。

「そのうち一緒に行こうぜ、マスターんとこに」

「マスターんとこって、あの喫茶店の?」

「無断借用なんてできねえし、これでおごるから四人で行こうぜ」

 言いながら俺は尻ポケットを叩いた。

「わかった」

 予想もしなかった何かに出くわした顔で、ソーヤは深く頷いた。


 スタジオを出るとまだぴりぴりした冬がそこに居残っていて、誰かに会いたい気もしたが、今日はもう誰かと話したいことは残っていない。まっすぐ帰るだけだ。

「じゃあまた電話する」

 ソーヤはそう言いながら、ギターケースを俺の肩から自分の肩に移した。

「また仕事場にかけても大丈夫だよね」

「ああ、待ってるよ。じゃ」

「おつかれ!」

 ふいに女の声が聞こえたんで驚いたが、ジーバの声だった。

「お、お疲れ」

 あわてて答え、俺は歯茎を出して笑って見せた。

 アコギを抱いたジミヘンは首から上をこくんと前にずらして、頷いたような顔をするとしっかりとした回れ右をして歩いていった。

 じゃと言ってソーヤが後を追っていく。ジーバ、黒猫、ソーヤの順で三人は駐車場の中に消えていった。どんな場所にどんな組み合わせで帰っていくのか、さっぱりわかんねえな、と思った。


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