第3話 弾薬庫の伝説

 弾薬庫の中に真っ黒な頭のてっぺんを見つめながら入った。ソータくんとやらの身長は175センチってところだろう。

 スタジオのお兄さんのブースに声をかけに行き、戻ってくるとソーヤくんとやらは肩から二つのギターケースをおろしながら言った。

「ソーちゃんって呼んでくんないかな。一応年上だから呼び捨てはちょっとって感じ」

 ソーちゃん?

 自分のことをちゃんづけで呼べと言う人間とうまく付き合えたためしはない、と俺は記憶を確認した。でもまあ俺を選んだ男だ。それにバンドメンバーとして付き合うんだからすべてはスタジオに入ってからだ。俺たちはまだ一音も出し合っていない。どんな印象も今はまだ持つべきじゃないのである。ギターケースはよく見れば片方が大きめで、ベースギターが入っているものと思われた。ソーちゃんとゃらはベーシストらしい。

「とにかく間に合ってよかった」

 どこかのゲームセンターからでも持ってきたかのような真っ赤なベンチに立てかけた二つのギターケースの頭をポンポンと叩きながら、ソーちゃんとやらが言って俺を見上げる。

「知ってる? ここの伝説」

「ここの、伝説?」

 ここってのはこの弾薬庫――スタジオ愛と平和の弾薬庫のことだろう。しかしプレスリーのサンスタジオやビートルズのアビーロードでもあるまいし、こんなアマチュア向けのちっぽけな貸スタジオに伝説なんてものがあるわけがない。あったとしても、そんなのはいわゆる都市伝説ってやつに違いない――もしボクが言ったことが人から人に言い伝えられたりしたら最高だよなあ、とかそんな調子のインチキ伝説だ。

 眉間にしわを寄せた俺にソーちゃんとやらは「ここでさ」と言った。

「ここで午前一時五分前に出会った同士は死ぬまでのつきあいになるって伝説があるんだ。一時ちょうどじゃダメ。午前一時の、あくまで五分前。午前一時五分前にここで出会った人間は死ぬまでのつきあいになるって、そういう伝説」

 勘弁しろ、である。それじゃまるでドアーズをだしにした、ただの宣伝だ――ウチで待ち合わせれば最高のバンド仲間に出会えるぜ、ときたもんだ。そんなのに簡単に引っかかっちまうこのソーちゃんとやら大丈夫? つうか、この人、ドアーズを知ってて、その上でそんな話を間に受けてるんだろうか。だったらなおさらバカだ。


 まあいい。すべては音を出してからだ。


 世界一有名な清涼飲料のネームが入った真っ赤なベンチには、女が一人座っている。女だし、と俺は思う。まさかこいつが俺の新しい「死ぬまでつきあうバンドメンバー」じゃないよな。


 別にバンドで一緒にやるのが女だって全然かまわない。でもそこに座っている女には、ちょっと……と思わせるものがあった。

 見てくれは少々……というか、はっきり言っちまえば柔道系――みっしりした筋肉と太い腕、ばっさり伸ばした頭髪。一緒にステージに上がって楽しい相手とは、ちょっと思えない。


 でも大丈夫、こいつが持ってるのは――膝の上に立ててしっかり抱きかかえてるのはアコギ、アコースティック・ギターだ。ソーちゃんとやらが持ってきたのはエレキギターとエレキベースギター、アコギを後生大事に抱いているこいつがメンバーだとは考えにくい。俺は女を意識から除外した。


 アコギ女の隣りには、どうしてこんな場所に紛れこんでるのか知らないが、真っ黒な猫が寝ている。

 いくら防音設備が整ってるったって、今もスタジオの中からは盛大に下手くそなバンドの音が漏れてきている。猫には到底耐え難い環境なはずだ。なのに、全身を柔らかそうな黒一色の毛におおわれた猫は気持ちよさそうに、柔道アコギ女の膝に自分を押しつけてむっくり丸まっていた。

「ドアーズは? 聴いたりする?」

 ソーちゃんとやらが俺に訊いた。知ってるんだ、と俺は思った。一時五分前の伝説とやらがどこから発生したものなのか、ソーちゃんとやら、わかってるのだ。

 ドアーズは、聴くどころじゃない。俺が初めて聴いた外国のバンドなのである。そして、俺の中にあるロックって言葉に当てはまるロックバンドはこのドアーズだけだ。

 ちょっと話したくないな、と俺は思った。1時5分前の伝説だか何だか、そんなのを簡単に信じちまうようなやつとドアーズについて何も話したくない。でも嘘もつけない。

「ああ……」

 呟くでもなく呻くでもなく俺はかすかに発音し、小さく頷いた。何も伝わらなくていい、と願いながら。

 ソーちゃんとやらの視線が一瞬陰った。俺の反応に落胆したようだ。よかった、と俺は思う。これでいい。でもソーちゃんは話題を変えなかった。

「ドアーズはセカンド……『ストレンジ・デイズ』が好きでさ。俺の右半分は『ストレンジ・デイズ』でできてるって言ってもいいぐらいなんだよね」


『ストレンジ・デイズ』で、できてる?


 ドアーズのセカンドアルバム『ストレンジ・デイズ』には「ムーンライト・ドライブ」とか「音楽が終わったら」みたいなロック史に残る曲もいくつか入っている。でも全体の印象は「かなり暗い」と言わざるをえない。「ライト・マイ・ファイア」でドアーズを一気にスターに押し上げたファーストアルバムと比べたら完璧にクオリティが落ちている、そんな評価をされても仕方がないアルバムだと、俺も思っている。


 ギターケースを2つ抱えて歩いてきた、いくつか年上の男を俺は見た。ビニールのように見えていたジャンパーはしっかりした皮ジャンだった。ジーンズは安っぽいぐらいに真っ青で靴はブラウンの革靴だ。一般社会でも不潔がられない程度に耳が隠れるぐらいの長さの頭髪は真っ黒で、目は室内灯のあかりが反射していて、目尻にはうっすらしわがあった。


 こんな人だったか、と俺は思った。少なくとも俺より5才は上だろう。だからと言って何だってわけでもないが、ふーん、と俺は思った。そうか、こんな人だったか。

「でもやっぱりドアーズはファーストでしょ」


 女の声だった。俺は声のした、アコギ女のほうを見た。いつの間に来たのか、柔道系女の隣りに、もう一人の女が座っていた。手にドラムのスティックを持っている。そいつがアコギ柔道系に向かって言う。

「ね? ジーバもそう思うでしょ」

 まっすぐ、というかどこも見ないで柔道系アコギは答えた。

「わたしはジミヘン以外いらない」

 ジミヘン? この柔道系アコギむき出しが、ジミ・ヘンドリクスしか、いらない? そのアコギはまさかジミヘンを弾くために持ってるのか?

 つうかこの二人、つうか俺とソーちゃんと合わせてこの4人。俺がギター、ソーちゃんがベース、突然登場女がドラム、で、まさかもう一人、このアコギ女もギター?

 で、この4人でソーちゃんのバンドか?

 あれまあ……だ。なんか、普通じゃない。


「俺もファーストだな、ドアーズは」

 俺は言った。

「一番ドアーズっぽいのはファーストだと思うし」

「まあ、普通はね」

 ソーちゃんが言う。

 さっきまでちょっと引きつり気味だった頬っぺたが柔らかくなった気がする。

「普通はファーストが一番だって言うね。でも『ストレンジ・デイズ』から聴いちゃったんだよね、俺」

「そいつはちょっと不幸かもしんない」初めて俺はソーちゃんとやらに笑って見せた。

「そんなことないって、別に」ソーちゃんが答える。

「いや、やっぱりソーヤ、絶対不幸だって」

 ドラム女が言う。

「ね、ジーバ」

 ジーバってのは柔道系アコギの名前らしい、と俺は初めて気づいた。そのジーバとやらはとことんドアーズには興味がないらしい。突如発生ドラム女に相槌を促されても決して頷かず、ふいにギターを右――俺たちから見て左に倒したかと思ったらそれを弾きだしたのだ。「パープル・ヘイズ」を。

 ジーバとやら、右利き用に弦を張ったまま左利きで弾くとは、柔道系改め、まごうことなきジミヘン女と言わねばならないようだ。


 もしマジでこいつがもう一人のギタリストだとしたら、そしてそのテクニックもジミヘン女だとしたら、かなり楽しいことになる。

「一番の名盤がファーストだだってことはわかってる。でも俺はとにかく『ストレンジ・デイズ』なんだ」

 ソーちゃんとやらはまだ向きになって言い張る。

 もうわかったよ、俺は言葉を遮った。

「なにソーヤ?」

 ソーちゃんなんて呼ぶ気にはさらさらなれない。でも無視して呼び捨てにしたらこの頑固おやじ、へそを曲げるだろう。となれば苗字だ。

 ソーヤは俺が何を言ったか理解できなかったようだ。なにそう、と言って俺を見てぼんやりした。代わりに答えたのは黒づくめドラム女だった。

「田村。田村爽也っていうの、こいつ」

 たむらね……わかった。でもやっぱダメだ。バンドの中で「たむらくん」なんてありえない。

「別にソーヤでいいよな」

 俺は言った。

「俺もガメラでいいから」

 会社じゃあるまいし、他のどんな呼び方もかったるいのだ。

「あ、ああ……」

 ソーヤがしょうがないなみたいな顔をしてる脇でドラムちびが、

「わたしは奈美恵で、これがジーバ」

 と言い、さっきからずっと「パープル・ヘイズ」を弾き続けている女の頭をドラムスティックで軽く叩いた。

「これジーバ」

 いまいち正体不明のジミヘン女がぼそっと言い、俯いたまま呟いた。

「ガメラ」

 たまたま耳に入った言葉を言ってみただけのようでもあり、俺を呼んでみたかのようでもある。

 どっちでもいい。いずれわかるようになる。それまでは「謎のジミヘン女」だ。

 わかりやすそうなほうの女――ナミエが俺に言う。

「悪いやつじゃないからさ、つき合ってやってよ」

 ジーバのことを言ってんのかと思ったら違った。ナミエとやらはそう言うなり目線をソーヤへやり、また俺に戻した。なんかソーヤの保護者だな、と俺は思った。相当古いつきあいなんだろう。

「悪いやつじゃないから」

 ソーヤが俺を見上げる。気を取り直そうとして失敗してるって感じの顔だったが、鼻で息をつくとかすかに笑った。

「で、今日はこれ使って」

 ブラウンのビニールケースの頭を軽く叩く。

 ビニールだろうが紙袋だろうが、中に入ってるのが38,000円のギターってことはあるまい。どんなのが入ってるのか、すぐにでもジッパーを開けて中を見たい衝動を抑え込んで俺は、ああ……と頷いた。


 はてさて、と思う。

 死ぬまでのつきあいになるか、今日で終わるか、ここから出る頃には決まってるんだろう。

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