第8話

 後半が始まった。

 大塚とゲンさんはさすがにうまく、敵のラフプレーを巧みにかわしながら、ボールを敵陣に運び込んだ。流れは里見八賢士側に来ていた。一度は大塚のシュートがゴールに突き刺さったが、審判が笛を吹いた。敵ディフェンダーを押したということで、ファールの判定をされたのである。

 その次には、ゲンさんのパスを受けた文絵のシュートがついに決まったと思われたが、オフサイドの判定を受けた。

「フットサルにオフサイドはないはずじゃ!」

 ゲンさんの叫びは、あたり前のように無視された。

 試合は徐々に過酷さを増していく。攻めれば反則をとられて敵ボールになり、守ってもやはり反則をとられて敵のフリーキックになる。どれだけ仁が止めても敵の攻撃がやむことはなかった。

 ハーフタイムで回復した仁のわずかな体力は、後半五分で使い果たしてしまった。体を投げ出してボールを止めた後は、体を起こすのさえつらい。

「メンバー交代!」

 ベンチから声がかけられた。ガリが手を振っていて、その脇には智恵美の姿があった。

「智恵美ちゃん」

 大塚が歓喜の声を上げた。

 智恵美が文絵に変わってコートに入った。大塚に問われるままに、智恵美は見知らぬ男たちに軟禁されていたことを小声で語った。男たちの隙をついて、窓から逃げ出したのだという。

「よく来てくれた」

 ゲンさんの言葉に、智恵美はこくりとうなずいた。

 智恵美の加入で、試合は完全に味方の優勢になった。若くて生きのいいプレイヤーが敵に多いとは言っても、技術的には大塚とほぼ同レベルである。プロ級の智恵美とゲンさんの動きは、まさに別次元だった。

 それでも、どうしても 点を入れることはできなかった。

 ことごとく審判が敵に有利なジャッジをして、敵ボールにしてしまう。仁は敵のシュートをすべて止めたが、止めるたびに起き上がるのに時間がかかるようになっていた。

 意識がすうっと体から離れていくような感覚に何度か襲われたが、そのたびに左脇腹を自ら殴りつけ、意識を取り戻した。

 ゲンさんのパスを受けた智恵美が、シュートをすると見せかけて敵を引きつけ、大塚にパスを出した。大塚がシュート体勢に入ったところに、敵の鋭いタックルが襲いかかる。大塚は倒れこんだ。

 ファウルだ。しかも、位置からしてPK。

 仁はそう思ったが、試合は止まらなかった。大塚は転んだまま立ち上がらない。心配で、仁は大塚の様子を注視していた。

「仁! ぼーっとするなっ!」

 鋭い声を浴びせられて、仁は我に返った。山中が攻め上がってきている。フェイントをかけてきたが仁は動かず、放たれたシュートを冷静に反応して止めた。

 ボールを拾い上げて、声がしたほうを見た。

 ベンチ前で腰に手を当てて仁王立ちしているのは、礼美だった。

「礼美さん……」

「ちゃんと最後まで守りなさいよね。気ぃ抜いたら、承知しないから。パパラッチどもの尾行を必死になって振り切ってきたんだから、負けてたまるもんですか」

 礼美は出場のためにアップをはじめる。

「太川くん、大道寺の電話を奪え! 礼美ちゃんがここにいることをマスコミに知らせる気じゃ!」

 ゲンさんが声を上げた。

 敵で唯一出場していなかった大道寺が、携帯電話を片手に驚いた顔で太川を見て、走り出した。

「ゲンさん!」

 仁は手にしていたボールを投げた。仁の意図を汲んだゲンさんは、そのボールをダイレクトで蹴った。

 糸をひくように真っ直ぐ飛んだボールが、大道寺の顔面をとらえた。もんどりうって倒れた大道寺に、足をひきずりながら太川が歩み寄り、電話を取り上げた。

「ざまーみろ!」

 太川が笑うと、驚いたことに北条六勇士の他のメンバーたちも拍手をした。

 北条側のキックインで、試合が再開した。山中は、そのボールを仁にパスしてよこした。

「よくやってくれた。ろくにサッカーもできないくせに偉そうだったから、むかついてたんだ」

 山中が笑う。

 しかし、仁は素直に喜ぶことはできなかった。こんなところでフェアプレーの真似事をされたところで、敵が審判を買収して試合を有利にしていることに変わりはない。

 一瞬、大道寺にやったように、山中にもボールをぶつけてノックアウトしてやろうか、という考えが仁の頭をよぎった。

 しかし、試合の中でそれをやってしまったら、ラフプレーをしかけてくる敵と同じになってしまう。そう思って、仁は踏みとどまった。

 山道と交代して、礼美がコートに入る。これで、八賢士はベストメンバーである。が、大塚は片足をひきずっていて、思うように動けていない。仁も、かなり状態が悪い。さすがに座り込むわけにはいかないので、ゴールポストにつかまって体をどうにか支えていた。

 敵が近づいてきたらゴールポストから離れて、シュートを防ぐ。

 しかし、荒木が体こと突っ込んできて、仁は荒木ともつれあって倒れる。息が詰まって、動けなくなった。

 審判が笛を吹いて、ペナルティマークを指した。

「PK?」

「今のどこがファウルなんじゃ!」

「攻撃側のファールでしょ!」

 味方が口々に非難の声を上げたが、判定は覆らなかった。

 荒木がボールをセットする。仁は、まだ立てなかった。体に力が入らない。どうにか立ち上がったが、それだけで息が切れた。

 準備もなにもできていないのに、審判が笛を吹いた。

 身構えることもできず、ふらつく足で立っていると、荒木が右に蹴るのが見えた。仁は跳んだ。

 ボールがスローモーションで飛んでくるように見えた。ボールにしがみつくようにして止めると、そのまま体を支えきれずに倒れた。

 死んでも放すまい、と抱え込んだボールが、倒れた拍子に腹を圧迫して、また息が詰まる。それでも、ボールは放さなかった。

「こらぁっ! 荒木のあほんだらぁっ! そいつはもう虫の息だ。抱えてるボールを蹴って奪え! 最悪でも、もう一本PKを取れる!」

 ベンチから怒鳴ったのは、大道寺である。ボールをぶつけられた顔の右半分を、氷で冷やしている。

 その大道寺の声を聞いて、ゲンさんが駆け戻ってきて荒木と仁の間に体を割り込ませる。が、そもそも荒木には大道寺の言いなりになってラフプレーをする気がなかったようだ。彼はしばらく仁を見下ろしていたが、首を振りながら立ち去った。

「ナイスプレーじゃった、入江くん。立てるか?」

 ゲンさんに支えられてどうにか立ったが、すぐに膝が折れてしまう。どうにもならなかった。

 礼美が駆け寄ってきて、ゲンさんの反対から仁の体を支えた。礼美の張りのある胸が仁のヒジに押し付けられている、という感覚があったが、それ以上は何も感じなかった。

「タイムアウト!」

 どこかで聞いたことのある女の声がベンチから聞こえてきた。その声の主の顔が、仁の頭のなかでゆっくりと像を結んだ。

 瑠奈。

「なんでおまえがここにいるんだ」

「スマホのGPSよ。ジンちゃんの居場所くらい、調べるのなんて簡単なんだから」

 瑠奈が胸を張って顎をそらし、満面の笑みを浮かべた。

「おまえはストーカーか」

「べーっ、保護者ですーっ」

 瑠奈はあかんべぇをしてから、肩にかけていたスポーツバッグからビンを取り出した。

「ほら。レモンのはちみつ漬け、持ってきたよ」

 ビンから出した薄切りのレモンを、瑠奈は仁の目の前でひらひらと振ってみせた。

「くれ」

 口を開けると、瑠奈がそこにレモンを押し込んできた。

 心地よい酸味と強い甘味が、口の中いっぱいに広がる。目が覚めるような味だった。

「まったく、こんなになるまで戦って。バカだよ、仁ちゃんは」

「大切な、チームメイトなんだ。短い間だけど、ずっと一緒に練習してきた。みんな、この試合に賭けてる」

 仁は改めて仲間の顔を見回した。

 目のまわりの青アザが痛々しいデブ、山道忠志。第三十二代・犬山道節。

 足を痛めて座ったままのガリ、太川義則。第二十七代・犬川荘助。

 泣きはらしてメイクがぐずぐずのギャル、大田文絵。第二十九代・犬田小文吾。

 足を引きずりながらも果敢にプレーするメタボオヤジ、大塚隆。第三十代・犬塚信乃。

 メガネを外してプレーする顔がりりしい坂入智恵美。第三十二代・犬坂毛野。

 悪臭を漂わせながらも華麗なプレーを見せるゲンさん。第三十五代・犬飼現八。

 何をやっていても完璧なまでに美しい岡村(南)礼美。第二十七代・犬村大角。

 そして、第二十八代・犬江親兵衛である入江仁を含めた八人が、運命のいたずらで結ばれた仁義八行の宝珠を持つ里見八賢士なのである。

 時価一億ドルという噂の隠し金が目当ての者もいるかもしれない。しかし、敵のように卑劣な真似をしてまで勝とうという者はいない。どれほど卑怯な連中が相手でも、正々堂々とした戦いをしようとしている仲間たちが、仁には誇らしい。

 その仁の思いを読み取ったのか、瑠奈はため息まじりにつぶやいた。

「しょうがないなぁ」

 瑠奈は他のメンバーにもレモンのはちみつ漬けを配り始める。礼美のところまで行ってはじめて、瑠奈は驚いた表情を見せた。

「あ、南礼美」

 愛想笑いを見せた礼美の顔をしばらく見たあと、瑠奈は仁を振り返ってにらみつけた。

「ジンちゃん! 最近レミたんに夢中だったのは、これが理由か!」

「あら、仕方がないわよ。あたしに夢中にならない男なんて、いるわけないんだから」

 礼美が言うと、瑠奈は差し出しかけたレモンをひっこめた。

「なんかむかつく。レモンあげない」

「いらないわ、そんなレモン。かわりに仁くんをいただくから」

「きーっ」

 瑠奈は地団駄を踏んで、仁のところに戻ってくると、仁の口にレモンを押し込む。

「ジンちゃん、あんな女に負けちゃだめだからね!」

「礼美さんは味方だし」

「うるさい」

 瑠奈はぷうっと頬をふくらませて、さらに仁の口にレモンを押し込んできた。

「よし、みんな行くぞ。おそらく、審判は私たちが普通にシュートを決めても認めてくれないだろう。となると、後半をしのぎきってPK戦で勝つしか道はない。キーパーの替えはいない。入江くん、頼むぞ。あとは、ボールをいかにキープして奪われないようにするか、ということに集中する。いいな」

 大塚が指示を出した。全員がそろって気合の声を上げる。

 試合が再開した。

 打ち合わせどおり、ボールを回して時間を費やした。中心はゲンさんで、巧みに智恵美、大塚、礼美にボールを渡して動き回る。

 しかし、後半の残り時間が少なくなってきたところで、まず大塚が狙われた。ボールとは関係のないところでチャージを受けて、倒れる。しかも、倒れた大塚に、さらに敵ディフェンダーが蹴りを入れていた。

 ひどい。

 あまりのラフプレーに驚いて動きを止めてしまった味方の隙をついて、敵が攻め寄せてきた。前衛はもちろん、山中と荒木である。

 山中がシュート体勢に入る。

 仁はしばらく休んだことで体力が回復していて、素早く動くことができた。仁が山中の前に跳び出してボールを止めようとすると、山中は横にパスを出した。

 しまった——。

 体が動くぶん、辛抱がきかなかった。早く動き出しすぎて、山中に読まれたのである。

 山中の絶妙なパスが、ゲンさんを振り切った荒木に通る。仁はとっさに体をひねると、荒木の前に身を投げ出した。

 ごりっ。

 仁の体の奥で、なにかがこわれる音がした。

 荒木のシュートには、辛うじて左手が触れた。それでもボールは転々とゴールに向かって転がる。すんでのところを、礼美が風のように駆け戻ってきて、ボールをクリアした。

 そこで、後半終了の笛が吹かれた。

 PK戦突入が決まった。

 しかし、大塚と仁が、倒れたまま動けない。大塚は頭を蹴られて意識を失っており、PK戦への参加は無理なようだった。仁は意識はあるものの、息をするのもつらく、ゴールを守ることはおろか、立ち上がることさえ問題外に思えた。

「仕方ない、キーパーはわしがやろう。交代で太川くんにキッカーを……」

 そう話すゲンさんの声を聞いて、仁は歯を食いしばって立ち上がる。

「いやだ」

「バカもん、無理をしてはいかん。おそらく肋骨が折れとる。下手に動いて内臓に刺さったら死ぬぞ」

「ここでピッチの外に出るくらいなら、その前に死んだほうがマシだ」

「やらしてあげなさいよ。彼ほど頼りになるキーパーは、ほかにいないわ」

 礼美が言うと、智恵美がこくりといて仁に近づいてきた。

「あなたに賭けます。がんばってください」

 そう言うと、智恵美は素早く仁の左頬にキスをした。そのまま、顔を真っ赤にして離れていく。それを見て、礼美も近づいてきた。

「智恵美ちゃん、抜け駆けはずるい!」

 礼美は仁の右頬にキスをする。その次には文絵がやってきて額にキスをしていった。

「モテるのぉ、入江くん。わしのチューもいるか?」

「いらねーよ」

 仁が即答すると、ゲンさんは笑った。

「それだけ元気なら、よかろう。まかせるとしよう」

「おい、瑠奈! レモンをくれ!」

 大声を出すと脳天にまで響くような痛みが走る。しかし、瑠奈の顔を近くで見たかった。

 瑠奈が仏頂面で仁に近づいてくると、レモンを立て続けに二枚、仁の口に押し込む。口の中に広がった甘酸っぱさをかみ締めながら、仁は瑠奈に笑いかけた。

「あー、おまえのレモンは効くなぁ」

「おモテになってよろしゅうございますね」

 瑠奈の声にはトゲがある。

「なにむくれてんだよ。おまえは、キスしてくれないのか?」

「やだよ。もう、顔のあちこちにキスされてるでしょ。他の女の人にキスされた顔になんか、キスしたくない」

「……じゃあ、ここに」

 仁は、自分の唇を指さした。

「バカ! 何言ってんのよ。ヘンタイ!」

 瑠奈の頬が赤く染まる。

「頼むよ。それがあれば、俺はまだ戦える」

「……ばか……」

 瑠奈の唇が、仁の唇にゆっくり押し当てられた。やわらかくて、弾力のある唇だった。

 仁は瑠奈の頭を一度しっかりと抱き寄せてから、ゆっくり体を離した。

「よし、行こうぜ!」

 PK戦が始まった。

 先攻は里見八賢士。PK戦は三人ずつで行われる。味方の一番手は、ゲンさんだった。

 ゲンさんはゴール右に蹴ったが、敵のキーパーがそれを完全に読んでいて、止めた。ゲンさんはうなだれたが、それをなぐさめて仁が守りにつく。

 敵の一人目は、荒木だった。試合中に一本、PKを止めている。イメージは良かった。

 ゆっくりと荒木が助走をはじめる。

 来る。右だ。

 仁が反応よく跳んだ。しかし、それを上回る勢いのボールが、ゴールの右上隅に突き刺さった。読みが当たっていたのに、ボールに触れることすらできなかった。痛みをこらえて立ち上がりながら、仁はくやしくて唇をかんだ。

 〇対一。次で取り戻さないと厳しくなる。

 味方の二番手は、智恵美だった。

 智恵美はゆったりしたモーションから、ふわりと蹴った。ボールは完全にキーパーの逆を突いた。が、わずかな差でゴールポストに当たり、ゴールには入らなかった。智恵美は消えてしまいそうなほど縮こまって、仲間に何度も頭を下げていた。

 敵の二番手は、大塚の頭を蹴った敵のディフェンダーである。これを仁が止めないと、負けが決まる。何が何でも阻止しなければいけなかった。

 仁は歯をくいしばって敵をにらみつけた。

 左脇腹が、拍動にあわせて痛む。ゴールを守るために両手を広げると、それだけで激痛が走った。

「こい!」

 その痛みを無視して仁は声を出す。

 蹴る。左。

 ボールの勢いもコースも甘かった。仁は余裕を持ってボールを止めた。

 すぐには立てなかったが、息を整えてから左腕を固定して脇腹をかばうようにして、右手でゴールポストをつかみ、どうにか立ち上がる。みんなの顔が見える。みんなのためにがんばらなければ。そう思って、どうにか体を動かすことができた。

 〇対一のまま、三人目。決めなければ負ける。大事な場面でのキッカーは、礼美だった。礼美との練習で何度もシュートを止めていた仁としては心配だったが、本番での勝負強さに期待するしかなかった。

 礼美は、敵キーパーを見すえたまま、助走をはじめた。一瞬早くキーパーが動く。礼美はそれを待っていたかのように、地面を転がるゆるいボールをキーパーの逆に蹴った。

 俗にコロコロPKと呼ばれる、人をくったPKである。礼美はそれを完全に決めた。

 味方から歓喜の声が上がる。

 同点。

 敵の最終キッカーは、山中である。

 決められたら負ける、とは思わなかった。止めれば同点に追いつける。そうすれば、サドンデスの延長に入る。そう考えて、気持ちを奮い立たせた。

 山中が助走を開始する。

 仁はフェイントをかけたが、山中が惑わされた様子はなかった。最後の瞬間まで蹴るコースが読めない。山中の足の軌道は、右でも左でもなく、真っ直ぐ蹴るときのものだった。

 真ん中!

 体を投げ出そうとしたところ踏みとどまり、両手を頭上に突き出した。鋭いボールが手に当たり、クロスバーに当たり、仁の目の前に落ちてきた。そのボールを押さえ込む。

 止めた。

 山中はくやしそうに頭をかきむしっている。

 仁は浅い呼吸を繰り返しながら、そのまま横になった。

 両手を頭上に伸ばしたときと、落ちてきたボールを押さえたとき。二度とも、ひどい痛みが走った。もう痛いのは本当にイヤで、このまま眠ってしまいたかった。

「ジンちゃん、起きて! 試合は最後までやらなきゃ!」

 瑠奈の声が耳に届いて、仁はゆっくりと体を起こした。

 瑠奈が見てくれている。恥ずかしい戦いはできない。そう必死で自分に言い聞かせた。

 サドンデスの延長PK戦である。大塚が倒れたままなので、仁が四人目のキッカーをやらなければいけなかった。

 ふらつく足取りでボールをセットしたが、なかなか目の焦点をあわせることができない。ぼんやりとした意識の中で、自分がキーパーだったらどんなことをされるとイヤか、ただそれだけを考えていた。

 迷うことが、一番イヤだった。

 仁は、ゆっくりと右手を上げて、ゴールの左側を指す。

「そっちに蹴る」

 予告PK。

 相手の表情ははっきりと見えないが、困惑しているはずだった。仁は助走を始める。キーパーが立ち位置を半歩動かして、仁が予告した側を狭くした。

 予告した側を狭くすることで、逆サイドに蹴らせる。そこを止める。

 そんな相手キーパーの心が読めて、仁は迷わず足を振りぬいた。

 予告通りの狭い側に、ボールが決まった。

 二対一。

 次を止めれば、勝ちである。しかし、ボールを蹴った直後に仁は足をもつれさせて倒れた。倒れた衝撃で、息もできない。

 もうダメだ。

 そう思う反面、腹の奥底から湧き上がってくる気持ちもあった。

 最後までやり通す。

 正々堂々と戦う。

 やれる。

 そう。気持ちの問題だった。無理だと思ったら、無理になる。できると思えば、できる。

 最後の力を振り絞って、立ち上がった。自分には仲間がいる。交代させずプレーをさせてくれた仲間たちの信頼にこたえるためにも、やり通さなければいけない。八賢士の仲間たちと瑠奈の存在が、仁の背中を押してくれた。

 仁は、ゴールの前に立った。

 両腕を広げて、敵の四人目のキッカーをにらみつける。太川にラフプレーを仕かけて足にケガをさせた男だ。

 気持ちが、さらに昂まった。

「どこにでも蹴ってこい! ぜんぶ止めてやる!」

 腹の底から仁が声出すと、敵はびくりと肩を震わせた。

 助走。蹴る。

 ボールはゴールマウスから大きく左に外れた。仁に気おされてキックミスをした敵がうずくまり、里見方は歓声を上げる。

 ゴールを守り続けた仁は一歩も動かず、両腕を広げて立ち、目を大きく見開いたまま、気を失っていた。


 こうして、六百年近く続いた戦いの幕は降りた。後世に『東陽合戦』と語り伝えられる里見対北条の最終決戦の結果は、一対一、PK戦二対一、里見八賢士の勝利であった。

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