閃光

「打ちました」

と実況される白球のように鮮烈で雄々しいものが

弘のもとに飛び込んで来ないかとずっと願っていた

弘は私とは血のつながりが微妙な弟みたいなもので

他人に「弟?」と訊かれるといつも

「おとうとー」とひらがなで答えていた

(みたいなもの)と後に付け加えながら

弘は黙っていた

塗り重ねた嘘が私たちには血縁に匹敵する絆になった

やがて黙っているときの横顔がそっくりだと言われた

共犯は心臓の鼓動すら同じにしてしまうものか 

何でも何かの代替物になるものだとそのとき実感した


弘は口数が少なくて 好き嫌いなく何でも食べはしたけど

美味しいのか不味いと思っているのかも傍目には分からず

よく見ると食卓の上の瀕死の蠅を箸の先で突いたりしてて

いつも関心の対象に向かって静かに白熱しているのだった

彼の集中の先端は銛のように 深々と対象に突き刺さり

やがて素潜りの漁師か何かのように全身を埋めてしまう

「打ちました」

というナイター中継の声だけが 

辛うじて彼を蠅から引き剥がすことが出来た

「野球好きなの?」

と訊いたら箸を咥えて頷いた 前髪が鼻に付くぐらいに


姉と弟を装って私たちは夕方に家を出た

売店に行って吟味しながらお揃いのキャップを買った

スタンドにいると私たちでも群衆になれた

私は誰を応援したらいいのか弘の横顔をみて判断した

有名な打者が打った後は皆揺れあがって歓声を上げた


こういう雄々しい轟は女たちが管理している

私たちが暮らす家には絶えてなかったから

私は日頃は叱られそうな騒音の一切を看過し

起こることの全てを弘の栄養にするつもりで

揃いの赤い帽子を盾に

伸びあがってこの轟に賛同した

弘の血に今日の日の激しい嵐が

一筋の細流となって脈々と続き

強い者が躍動する光景の印象が彼を

青年にするまで励まし続けることを願いつつ

私は自分の席にいながら勇敢であろうとし

選手を眺めながら精一杯獰猛であろうとして

この日を鷲掴みにするような気持ちで

弘の母親が包んでくれたアルミホイルの

おにぎりの包みを解いた


ホイルの表面には

「シャケ」

「梅干し」と書いてあって

私は梅干しが彼の好きな具だと知っていて

梅干しの方を弘の手に握らせた

「打ちました」

という中継の声はしなかったが

それに匹敵する一瞬の静寂と

どよめきが起こった

おにぎりの米をいくら解いても

シャケらしい物は見当たらず

弘は無言のままで

硬く握られた三角の辛い白米を貪っていた


スタンドのどこかに白球が落ちる気配と 

興奮する群衆の声

誰かがそれを捕らえ 晴れがましく立ち上がって

白球を誇らしげに見せる

夜空に消えたかのように見えた閃光は

観衆の手の中の光る一点となっている


私はああいう物が

弘のおにぎりの中心になくては

駄目だと思い

自分がどこかにまだ

「閃光」と書いてある包みを

持っていないか探した

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