第33話

〈東学〉

 ……険悪だ、会話が起こらない。

「「……」」

 俺は先ほど、看護師の方々から変な目でじろじろと見られながらも退院し、タクシーで帰宅している途中だった。

 別に、一応は俺も出席停止期間中であり、やはり過度な運動は避けたかったから、というわけではない。

「……」

俺は窓に映る父をちらりと見遣る。当人は全くの無表情で、ただただ腕を組んで微動だにしない。車の振動やカーブなどでの遠心力は確実に働いているはずなのに、父はまるでそんな物理法則から切り離されたかのように一人、ただただ不動。言葉もないのに、何故か俺を威圧する。

 ちなみにこの父親、実の息子が倒れたというのに見舞いに来ることはなかった。まぁインフルエンザで倒れられても呆れるだけだが。それにしても退院した俺を見て一言、『テスト勉強はしているんだろうな?』ときたものだ。これだから俺はこんな性格に歪んでしまったのではないか?

「……ここでいい、止めてくれ」

 と、沈黙が止んだ。沈黙故に通ったその声は、少しもこの場の空気を和ませようとして放たれたものではない。むしろ逆に気まずくなるほどだ。

 タクシーは道路脇へ停車し、運転手が料金を提示する。数秒の後に福澤さんがお見えになり、更に数秒の後、今度は樋口さんと野口さんが数体召喚された。平等院鳳凰堂や稲は出てこない、キリの良い数字だったのだろう。

 タクシーが去ると、父は何も言わずに歩き始める。ちっともこちらを気遣うそぶりはなく、その早足においていかれそうになる。

 そして俺たちは家の玄関へと着き、父は鍵を開けた。だが父はドアを開けずに、

「……仕事へ行ってくる、勉強をしていろ」

と言葉を残して、また父は元来た道を行く。方向からして駅にでも向かうのだろうか。

 俺はドアを開け、何故だか懐かしく感じられる家へと入る。変わらない、何ともシンプルな家だ。

 部屋へ行くと勉強道具が一式、まるまる投げ出されたままとなっていた。一昨日に病院へ行こうと決意して、その時に片付けを怠ったらしい。

 そして、父の言ったことに従うようで何だか悔しいが、俺は勉強机へと向かう。昨日はほぼ寝ていたので、眠気は全くない。体温も平熱だ。出席停止期間が過ぎたら即テストなので、きちんと励まなくては。

 そう、作戦にはこれがとても重要なことなのだ。

 俺はテストで十位台に入らなくてはならない。十位以内ではなく、十位台だ。

 勿論、それがどういうことを意味しているのかは分かっている。退部だ。

 窮地に陥った俺に対して奏太がどんな行動を取るか、それが今回の作戦のテーマ、肝となる。

 神保さん曰く、『それであの子がどんな手を使ってでもあなたの退部を阻止しようとすれば、あなたの勝ち。素直にあなたを諦めて別のパートナーを見つけても、あなたの勝ち』だそうだ。『彼が颯爽と現れてあなたの退部を取り消せば、あなたは本物の友情をそこに見出せるはず。『人間』に希望が持つことが出来るわ。逆に彼があなたを見捨てても、それは彼があなたとは違う人種だったと、裏切られて傷つく前に気付かせてくれる材料となる。普通の『人間』になるためには、心から信じられて分かり合える、そんな都合の良い存在が必要なの。自分とは合わない非理解者なんて、人を信じることを学んだ後にでも会えばいいの。あなたはまだ生まれたばかりの赤子。甘えられる相手を見つけなさい』とのことだった。ちなみに俺はその台詞を神保さんに抱きしめられながら聞いたのだが、あれは『甘え』としてはノーカウントだったらしい。

 インフルエンザは全快したとみて大丈夫だろう、すらすらと内容が頭に入っていく。自分の順位を調整するなんてある意味一位を取ることよりも難しいはずで、俺には一層の努力が求められるのだ。更に励まねば。

 ふと、休憩の間に小説のことを思い出した。

 部活を休止する時点で既に、俺は奏太に作業が追いついてしまっていたのだが、現在はどうなっているのだろう。

 昨日舞歌さんから神保さんの携帯に送られてきた写真に、奏太は病院の扱う衣服を纏って部室にいるという、とても不可思議な状況で映っていた。それを見て、神保さんと一緒に困惑したのを俺はよく覚えている。神保さんと知り合いの看護師は、脚を怪我したとある患者が病院を抜け出したとも言っていたし、『それがコイツで間違いないわね』という結論に達したが、果たして奏太はまだ病院にいるのだろうか。

 ということはやはり奏太もテストを受けていないということなので、休み明けに二人揃ってテストを受けるという可能性もある。正直、俺はそのテストで奏太を騙そうとして、そして試そうとしているので、一緒にテストを受けるというものは気まずい。どうにか奏太の退院日と俺の出席停止期間の明ける日にちがずれることを願うばかりである。

 ……それにしても、太陽が照りつけるこの午前に家の中で一人勉強に励むというものは、やはり違和感を覚える。何が言いたいかというとつまらない。

「だぁー……」

 一年の内、最も紫外線を多く含むといわれるこの四月から五月にかけての太陽光線は、まるで悪魔の囁きのように俺を外へ誘おうとする。太陽の光なのだから天使の囁きとも解釈して良さそうなものだが、俺にとっての天使は神保さんなのでこの囁きはあくまでも悪魔だ。悪魔だけに。

 ……何故、俺は神保さんのことが好きなのか。これまでにさんざん悩んできたわけだが、今なら何となく分かる。

 神保さんが、いつだって正直だからだ。

 嘘をつくとかつかないとか、そういう話ではない。あの人は自分の気持ちや思いに誤魔化しを認めない。嫌なものはきっぱりと『嫌』の一言で切り捨てるし、舞歌さんに何かあったら、それこそ狂ったように狂って狂って狂いまくる。自分の気持ちに嘘をつかないというやつだ。あの人は思いのままに生きている。

 だからこそ、俺は神保さんに心から甘えられたのだろう。あの人相手なら、嘘をつかれて裏切られるなんてことはない。嘘をつかれる前に突き放されるだけだから、嘘をつかれる前に拒絶されるだけだから、傷はそれだけで済む。

 あぁ、やはり俺は最低の『人間』だ。

 逃げや甘えの上に成り立っている、何故俺はそんなことに気がつかなかった。いや、気がつかなかったからこうして最低となっていて、だから神保さんは俺を生まれたての赤子と表現したのか。

 まだ俺は、まともに人生とさえ向き合っちゃいなかったのだ。

 脱却しよう。

 素直にそう思えた。

 普通の『人間』になれたら、俺はどう変わるのだろう。今までのように、神保さんのことを好きでいられるだろうか。今とは違うように、奏太を大切に想えるだろうか。

 励まねば。

 俺は再び、勉強机へと向かう。

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