第22話
〈東学〉
…さて、選択肢は二つ。
一、一夜漬け。
二、諦めてNo勉強。
そして俺は、『選択肢一・五、ほどほどの勉強』を選択した。
理由は、体調が関係している。
この症状、おそらく流行遅れのインフルエンザと診て間違いない。一般の風邪とは違う殺人級の高熱、それと身体の泣きたくなるような鈍くも確実に体力を奪う痛み。
一瞬心因性のものかと冷や汗が出たが、さすがにそれはないだろう。
幸いかどうかは別として、親にはバレていない。ので、俺には演技が求められる。これで十位以内を逃しても、病気を理由に退部を免れるなんてことは望まない方がいい。そういう親なのだ。
全く、勉強に耐熱に、そして演技とは何だこの不幸の集合体は。
だがまぁしかし全ては俺が悪いという結論に行き着くのだが、もうどうすれば良いのか。
「~~~っ!」
ダメだ、頭が痛い。集中出来ずに、今にも意識が落ちそうだ。
知識は、一週間ほど前にもう全て頭に詰め込んである。問題はその知識をいかに素早く取り出して答えを導けるかにあるのだが、果たして当日に上手く頭が機能するのかといった不安が渦を巻く。
いっそ今からでも病院へ行き、出席停止となってテストの期日を引き延ばすか。そうだ、それがいい。
思い立ったが吉日、早速夜間に開いている病院を捜して、一人そこへと向かう。親に車で送って欲しかったのだが、反抗期かどうも声をかけることが躊躇われたので止めておいた。
自転車を取り出し、まだ寒い星空の中ペダルをゆっくりと漕ぐ。寒いのは熱がある所為かもしれないが、とにかく体に過度な負担はなるべくかけぬよう、等速直線運動を心がける。僅かな段差で頭が揺れるだけであっても、そのまま崩れ落ちそうになるのだ。
「ーーー、~~」
ふと、耳に何やら不穏な声音が入る。どこかで聞き覚えのある、かといってその人のイメージとは全くかけ離れた、混乱を招く声色。
朦朧としていた俺は、何だか気になってゆっくりと自転車の向きを変える。そして進んだ先には、何とも知り合いしかいなかった。
風見奏太。倒れていたのか、今まさに起き上がる所だった。
舞歌瑠衣。肩を抱いて、彼女の目の前にいる男性に怯えている。
そしてその男性こそが、今日の何時間か前に別れたばかりの、青年だった。
「……?」
状況が飲み込めない。いきなりの展開についていけない所為であるが、それ以前に頭が働かないのだ。
「彼の友人からも色々と情報を聞き出したが、ーーーーーー。ーーー、ーー」
だが不意に、青年が放った台詞の一部部分が耳に残った。残ってしまった。
彼の友人? 情報?
一気に青ざめる思いがした。
おそらく青年は何らかの悪巧みを働いていて、俺はそれにまんまと利用されたのだ。大学での云々という話も今では本当かどうかさえ疑わしい。
今の青年を見れば分かる。あの柔和な笑みも、落ち着き払ったその声も、全てが俺を欺くための演技に過ぎなかったのだ。
衝撃で言葉が出ない。真っ白な思考と真っ黒な頭痛が、頭の中でゆっくりと混ざっていく気持ち悪い感触。混じり合い、ねっとりとした灰色の粘液が脳を侵食して頭から溶け出してきそうになる。
ここで奏太が倒れているのも、ここで舞歌さんが悲痛な表情で震えているのも、全ては俺の所為なのか?
奏太が立ち上がって、青年を力の限り強くぶん殴る。
その光景すらも、今の俺にはひどく現実味のない、ただの劇に見えてしまう。
ただただ、全ての元凶はこの俺なのだということが憎い、悔しい。
「……っ」
いつの間にか事態は収束していた。奏太と青年は共にその場で倒れている。舞歌さんは大声で奏太の名前を叫びながら、大粒の涙を流している。舞歌さんが呼んだのだろう、サイレンが夜の町を騒がしくしていた。
ふと、俺は舞歌さんに揺さぶられている奏太の手元に、何かが転がっているのを発見した。スタンガンよりは幾分小さいが、何らかの電子機器だろうか。
黒いその機器はやって来た救急隊員に蹴飛ばされ、道路の端に転がる。
拾うと、それはいわゆるボイスレコーダーというものだった。盛大に蹴飛ばされた所為で各所の塗装が剥げてはいたが、役割はまだ充分に果たせそうだ。
そして、俺はその中身を聞くことによって、事の真相を知った。
舞歌さんがストーカー被害に遭っていたこと。あの青年がストーカーだということ。それを知った奏太がボディーガードを請け負ったこと。
他にもまだ色々と付け足すべき事実があるのだろう。けれどこれだけでもう、奏太が恋にうつつを抜かして部活を休んでいたわけではないということがはっきりと証明された。
俺は奏太が部活を休んだ理由について、何も知らなかった。一人蚊帳の外でのほほんと暮らし、あまつさえ奏太のことを腑抜けになったのかと疑ったりもした。
……俺は、本当に何という奴なんだ。
「すみません、少しいいですか?」
「はい?」
動き回る救急隊員を引き留め、ボイスレコーダーを渡す。
「これ、彼の私物のようなので、渡して頂けるとありがたいです」
「あぁ、分かりました。ありがとうございます」
隊員はそう言ってボイスレコーダーを受け取り、救急車の中にそれを置いて、また忙しそうに動きを再開した。
頭が痛い。平衡感覚が失われて景色が回転する。サドルを掴むために上げた腕が、肩が、肘が、手首までがその行為を拒否するかのように悲鳴を上げる。
俺は元来た道を引き返す。もう、病院へ行く気など起きなかった。
精神面、体力面。
双方最悪のコンディションで、明日俺はテストに臨む。
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