第21話
〈風見奏太〉
意識の覚醒と共にやって来たのは、左脚に走る強烈な痛みだった。
痛みに耐えながらゆっくりと目を開ける。冷たく澄んだ空気が肌を刺す。
「んあ……」
辺りを見る限り、ここはどうやら病院のようだった。いつの間にか手当ても済まされている。
「ん……」
すると、上半身を起こした所為か、ふと側からなまめかしい吐息が耳に入る。
見れば、舞歌さんが俺の手を握って眠っていた。
「!? !!」
半分起きて半分寝ていた俺の頭は、途端照明のスイッチのように思考が切り替わるのを感じた。脳は完全に目覚め、心臓はフル稼働で俺の全身にエネルギーを送る。
綺麗な寝顔だ。美しい。この世から闇を全て取り去った先に残る絶対の純白。成程愛する人を天使にたとえる気持ちが、俺にも今なら分かる。
マイエンジェル。
「ん……?」
と、まさに天使の寝顔で俺の視線を釘付けにしている舞歌さんが、ゆっくりと目を開けた。俺の寝かされているベッドにおいていた頭を持ち上げ、片手で目をこすり、もう一方の片手で伸びをする。
そしてゆっくりと辺りを見回し、
「わっ! 風見君起きてたの!?」
いつも通りの、大きく元気な声で言った。半眼だった眠たそうな目が、突如として大きく見開かれる。
「えぇ。それで、あの後どうなったかを詳しく聞き」
「良かったぁー!!」
俺の台詞は途中で遮られ、代わりに舞歌さんの喜びの声が室内に響き渡った。それだけに留まらず、ほとんどタックル気味に天使が俺の胸元へと飛び込んできた。
「げはぁっ!」
いくら舞歌さんが軽くて小さくて柔らかかろうと、別にそれは人の中でだ。やはり本物の天使のように浮くことは出来ないのか、舞歌さんのタックルに俺は普通にダメージを受ける。
「う、うっ……ぇ、ぅあああ……」
だが舞歌さんはそんな俺の悲鳴にも気付かないのか、そのまま泣き崩れてしまった。
どうしようかと悩んでいると、騒ぎを聞きつけたのか、看護師が様子を見にやって来た。
だが、看護師は俺たちを見てニヤニヤと笑みを作り、
(少年、男を見せろよ!)
と、口の動きで俺だけにそう伝えて、去って行ってしまった。
「……」
……どうしようか。窓から差す光からして、どうやら今は朝のようだ。それも早朝。ハッキリいって舞歌さんの泣き声はかなり大きい。これでは迷惑になるのではないか?
「……ええと、取りあえず泣き止みましょう」
俺は、ただ舞歌さんの頭を撫でることしか出来なかった。だがまぁ、こうして自然に触れられること自体、数週間前の俺ならそれこそ記念日にでもしかねないビッグイベントなのだ。この幸せを噛み締めながら、ゆっくりと舞歌さんが泣き止むのを待つとしよう。
今傷口の上に舞歌さんが乗っている状態なのも、きっと気のせいだ。
……痛くなんかない。そうだ、決して痛くはないぞ。
落ち着きを取り戻した舞歌さんを椅子に座らせ、俺は事の詳細を舞歌さんから聞いた。
俺と青年は二人ともその場で倒れ、病院へ搬送。舞歌さんはその後警察に事の次第を話し、それが終わって俺の見舞いに来てくれて、そのまま眠ってしまったのだという。
「風見君は、何であの時動けたの? もろにスタンガンで『うわぁ』ってなってなかったっけ?」
「あれは、一応用心に越したことはないと思って金属繊維の服? みたいなものを用意してたんっす。それを着ているとスタンガンのダメージを受けないとか何とか……まさかそれに感謝するとは思ってなかったっすけど。……あれ、普通に服を避けて首筋にでも食らったら意味ないっすし」
親父が使えと放り投げてきた一品だ。よく知らんが、とりあえず奴の頭がイカレているということだけは分かる。こんな父親なんて一体を除いて見たことない。
「え? じゃ、じゃあじゃあじゃあ何ですぐ助けてくれなかったの!? ……私、怖くて」
舞歌さんの涙が再度溢れそうになるのを見て、慌てて俺は弁解する。
「あ、ほらこれですよ、これ!」
「……?」
「ボイスレコーダー」
そう言って、俺はベッドの脇に置かれたそれを手に取り、再生ボタンを押す。すると、そこから青年のまとわりつくような声がねっとりと聞こえてくる。
「これでストーカーの証拠が掴めると思って、忍ばせておいたんっす。あの後倒れちまったんで心配だったんすけど、医師の人が治療中にでも見つけてくれたんすかね」
これ以上は舞歌さんにとって精神的に負荷がかかるだろうと思い、ボイスレコーダーを停止させる。
数秒の、音なき二人だけの世界。
その静寂を破ったのは、以前と同じくやはり舞歌さんだった。
「……なんで、」
一度は乾いたはずの舞歌さんの目が、再び水分過多となる。
「何で、そんなことをしてくれるの? あたしのために」
「……『貴女だから』って理由じゃ、ダメっすか」
きっとそうだ。
「好きな人を守りたいっていう気持ちは、不純ですか?」
きっとこれは麻酔の所為だ。とても恥ずかしいことを言っているのに、全然顔が火照らないのも、ちっとも胸が高鳴らないのも。
「……ダメだよ」
いや、違う。そうやって逃げるな。
「あたしは……そんな大した人間じゃない」
舞歌さんが泣いている。それが大きな悲しみとなって、俺からそれ以外の感情を奪ってゆくのだ。
「あたしね、今まで人を極力頼らないようにしてきたの。……理由は、あたし一人の方が気楽だし効率もいいから。最初はそんな単純な理由だったんだ。けど、段々とその所為で周りからチヤホヤされて、いつの間にか『この子に任せておけば大丈夫だろう』って。気がついたらあたしは、あたしの弱さを見せられる相手を失っちゃったんだ」
舞歌さんは、俺に背を向ける形で顔を見せてくれない。
「それでね、嬉しかったんだよ。風見君が、自分のことを頼ってくれって言ってくれた時。自分を支えてくれる相手なんていたんだって、すごくビックリしちゃった。何て言うんだろ、『人という字は人と人とが~』ってやつ。まぁ、あの時はまるごと寄りかかっちゃったんだけどね。重かった?」
とんでもない、と俺は全力で否定する。我々思春期男子にはご褒美です。
「……でも、ね。お金が足りないって分かった時、あたしすぐ風見君に手伝って欲しいってお願いしなかった?」
陰りが、声に表れる。だが、舞歌さんに言い淀む気配はない。まるで堰を切った川のように、感情が言葉となって多量に流れ出る。
「あたしね、あの時思っちゃったんだ。『そうだ、この人に頼っちゃえばいいんだ』って。『この人を使っちゃえ』って。……自分が嫌になっちゃった」
俺には結局分からなかった、あの涙のわけ。確かに舞歌さんは俺の所為ではないと言った。あれは人に頼ることを覚えてしまった、舞歌さんによる自己嫌悪だったのだ。
「だからこれっきり、もう風見君を頼ることのないように距離をおこうと思ったのに……君はそんな壁を悠々とぶち破って来るんだもん……ずるいよ」
舞歌さんは勿論、天使なんかじゃなかった。
彼女も舞歌瑠衣という一人の人間で、ストーカーに恐怖もすれば人との関係に悩みも抱える。
分かっていた、はずなのに。
「人の原動力は、何よりも愛っすからね」
「……フフッ、格好つけてるつもり?」
「好きな女性の前で格好つけない男がいるとでも?」
「……そっか」
たわい無い会話。心地よくて、いつまでも浸っていたい。
でも、そんな時間ももうすぐ終わる。
さぁ、お別れの時間だ。
「…あの時の返事、まだだったよね?」
と、俺が何のことかと思い出す間に、舞歌さんはこちらに向き直る。
「思えば『好きです』としか言われてないし、『付き合ってくれ』じゃないから返事もどうすべきかよく分かんないけど……」
そこまで言われて、俺はようやく思い出した。
あの日、どさくさに紛れてはいたが、俺は確かに舞歌さんに告白をしていたのだ。
今になって布団をブワサァとしたくなるほどの照れが俺を襲う。そうでなくとも両手で顔を覆いたくて仕方ない。今、俺の顔はどんな色をしているのだろう。
でも、それでも俺は真っ直ぐと舞歌さんを見る。
それが、フラれる身としての最大の礼儀であると信じて。
「ゴメン。他に好きな人はいないけど、君とは付き合えない」
舞歌さんは笑顔でそう言って、
「さようなら」
そして俺もまた、笑顔で応えた。
さようなら、舞歌さん。
さようなら、俺の初恋。
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