第17話

〈風見奏太〉


「お疲れ様でした。お世話になりましたありがとうございました!」


 とうとう今日で、舞歌さんに指定された金額が全て揃った。


 とにかくもう働くとは身を削るに等しく、テスト前でありながらも一切、家では勉強道具に触れることはなかった。元々学とは違って俺はあまり勉強はしない方だが、そんな短い勉強時間でさえ、忙し過ぎてとても確保出来たものではなかったのだ。


 俺は真っ直ぐ、舞歌さんのバイト先へと急ぐ。


 今日の朝舞歌さんから届いたメールは、『お疲れ様、今日までありがとう。バイトが終わったら私の所へ来て』という、簡素で人間味に欠けた内容だった。


 ……やはり、まだ何かあるのだろうか。一週間以上頭を悩ませたが、俺には結局分からなかった。


 舞歌さんにはいつも笑っていて欲しい。


 そんな願いが、望みが、こんなにも難しいだなんて知らなかった。






 舞歌さんは一人、店の前で俺を待っていてくれた。


 約一週間ぶりに見る舞歌さんは、どこか儚げだった。まるで神保さんから強さを引いてしまったかのような、今崩れてもおかしくない、透き通るガラス細工のようだった。


 舞歌さんはこちらに気がつくと、何かを誤魔化したような笑みというか、何とも表しがたい表情をつくって、俺の方へと駆け寄ってくる。


「どうぞ」


俺は何と言ったら良いのか分からず、挨拶も無しに茶封筒を差し出す。いきなりにお金の話とは、また嫌な始まり方だ。こういう時に、自分の幼さがくっきりと浮かび上がる。


「あぁ、うん。……その、ありがとね、色々と」


と言って舞歌さんはそれを受け取り、静寂が訪れる。周囲には機械の稼働音や車の走行音、駆動音が昨日までと同じように世の中を騒がしてはいるが、そんなことはお構いなしに、俺たちは何も切り出すことが出来なかった。


「……じゃあ、帰ろっか。また前みたいに、送ってくれる?」


時には場を強固に支配するこの空気を先にぶち破ったのは、舞歌さんだった。いつもよりも元気のないその一言が、いつも以上に大きく聞こえたのは、きっとこの沈黙の所為だ。


 返事をする間もなく、舞歌さんはもう家へと歩き出していた。俺は慌てて彼女の背を追う。


 あの時と変わらない、小さな背中。


 果たして俺は、舞歌さんを守れているのだろうか。


「……バイト、辛くなかった?」


そんな舞歌さんが俺に、心からいたわるかのような優しい声で聞く。舞歌さんの甘い声が俺の脳内で弾け、じわじわと胸が熱くなる。


「ごめんね、勝手に私の都合で。……テスト前なのに無理させちゃったよね」


「そんな、別に俺だって迷惑だったらとうに断ってるっすよ」


「でも、私が変に頭なんか下げなかったら……」


「……好きな人の力になれることが、辛かったりするんですか?」


俺の言葉を境に、互いにまた黙る。


 実際は、辛かった。嫌になって投げ出したかった。


 けどそれ以上に、舞歌さんの力になれることが、俺は嬉しかった。


 だからこの気持ちに、嘘はない。





 と、道路の真ん中で、まるで俺たちを待っていたかのように人が立っていた。


「……どうもどうも」


 青年だった。その人は柔らかな笑みを浮かべて、針金のように細長い体を、まるで操り人形が如く動かす。


 その人を見た途端、舞歌さんはまるでおぞましいものでも見たかのようにヒィッと短く悲鳴を上げ、両腕を抱えるようにして震えだした。


「おや、随分嫌われているようだね? まぁ仕方ないか」


対して青年の反応は落ち着き払っている。いや、むしろ震える舞歌さんを楽しんでいるかのようだ。


 俺は舞歌さんの前へと出て、その青年を睨み付ける。


「お前か……?」


その一言で伝わったらしい。青年は感嘆でもするようにホゥと息を吐くと、


「それにしても、全くいい用心棒だ。相当瑠衣に心酔しているようだね」


いつの間にか舞歌さんは俺の後ろに隠れるようにして、俺の袖を強く握っていた。こんなに怯えた舞歌さんは初めてだ。


「今日で金は揃った。これでお前と舞歌さんとの関係はなくなるわけだ。これからは遠慮なく警察機関に頼らせてもらうぜ」


言葉遣いを荒く、強く。自分を少しでも大きく見せようとする動物の本能に従うように、俺は青年と対峙する。


「んん、そうだね。じゃあまずはそれを頂こうか」


俺は舞歌さんに確認を取る。舞歌さんは怯えながらも意志の灯った目で頷き、俺に二人分のバイト代を渡す。


 俺を掴む舞歌さんの手を優しくほどき、俺は青年に一歩一歩近づく。


 彼は不気味だ。これで企みを諦めるとは思えない。その笑顔の裏を覗こうとしても感情が全く感じられないのだから、舞歌さんが恐れるのも無理はないのかもしれない。


 俺は青年に細心の注意を払いながら、舞歌さんの代わりにお金を払う。


「ほら、この場で確認しろ」


青年はそれを両手で恭しく受け取る。その仕草が更に俺の警戒を高める。


「ふぅむ、成程。確かに受け取った」


確認を終え、青年は安心したように大きく息を吐き出すと、





「じゃあ、もう君には用はない。失せろ」





青年は笑顔と共に、手のひらサイズの何か黒いもの、すなわちスタンガンを俺に向けた。


 そして俺は、地面へだらしなく崩れ落ちる。





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