第16話

〈東学〉


 俺が部活休止の報を告げると、父はそっけない態度で『そうか』とだけ言い、テストについては何も言及をしなかった。


 それにしても、暇だ。


 以前は部活などに時間を割くことはなかったため、他に色々と何かをしていたような気がするのだが……いかんせん思い出せない。勉強にしても、あの日聞いた奏太の言葉が心の中で木霊して、身が入らない。十位以内に入れないと、部活を退部しなければいけなくなるといった危機感も、あの日以来段々と薄れているように感じる。


 何かについて頭を動かしたくなり、俺はゆったりとした動作でテレビをつけた。数秒の後、テレビは人の話し声と共に、横に広い、髭を生やした男性を画面に映す。


 どうやら察するにこの男性は、人間関係について語っているようだった。専門家か何かだろうか?


『……やっぱり、人というのはどうしても不安定なんですね。その人の心理状態によって、例えば同じ言葉をかけても反応は変わってくる。冗談はその典型ですね。聞き手に冗談を楽しめる余裕があるのとないのでは、随分違う。ですから、私はやはり言葉をかける側、つまり話し手にはその人の心を酌むという、“技術”をもつ必要があるんだと思いますよ』


ふむ。


『かといって、聞き手は何も悪くないというわけでもないんですね。そんな、聞き手の気分によって話がいちいち引っかき回されては世の中成り立っていきません。何度も言いますが、コミュニケーションに正しいも間違いも絶対ないのです。折り合いなんですよ、折り合い。妥協といいますか、それは勿論皆さん楽しい会話が一番ですけども、世の中には楽しくない会話だって必要なんです。それと上手く付き合えた人が、世渡り上手ってことなんでしょうね』


ふむふむ。


『コミュニケーション能力の高い人っていうのは、そこのところが中々に上手い。きちんと相手の心を見て、どこまで踏み込んで良いものなのかを察知できる。言い換えれば、空気の読める人って感じですかね?』


 成程、俺の頭の中で舞歌さんの顔が浮かぶ。何も考えていないようで、実は色々と場の空気を考えてくれている。のかもしれない。


『そこで代表的なのが、私たち日本人です。“和”を何より大事にする精神が、弥生、いや、縄文の時代から私たちに受け継がれているはず。あまりしゃべらないことが美徳とされてきたのも、しゃべることが原因で和を乱すことに繋がってはいけない、そういうところから派生したのでしょう。空気を読むことに関して、日本人は生まれながらにかなりの才能をもっているのです』


……この人は生物学者なのだろうか? それとも歴史学者? 遺伝学者かもしれない、それとも脳科学者? そんなことを断言して良いのだろうか?


『ですから私たち日本人は、元々のコミュニケーション能力は高いはずなんです。しかし、文字でのやりとりの増加によって、人は人との距離を量りにくくなったわけなんですね。何せ文字だけではその人の心を完全には酌めないわけです。三次元での対話と二次元との対話で微妙な齟齬が生じ、結果それが決定的に対人関係の破壊を引き起こしてしまうなんてことが、今の世の中じゃあ別に珍しくないじゃありませんか』


 と、ここで画面が、隣でうんうんと頷いていたアナウンサーらしき人物へと切り替わる。


『では、インターネットの影響で私たちから失われていった“空気を読む力”とは、どのようにすれば再び身につけることが出来るのでしょうか。VTRをご覧下さい』


 ナレーションが今までの長ったらしい話を要約し、イラストを使って簡単に説明を始める。成程、若者言葉についての番組だったのか。


 今始まろうとしていた説明を注意深く聞こうとしたところで、家の中で二つの電子音が響いた。ピンポーンという、来客の合図である。


 この番組は俺にとってかなり興味深い内容だったのだが、仕方ない。こういった無私の働きが人間を大きくするのだろうと自分を慰めながら、テレビを消す。


「はい、今行きます!」


外にも聞こえるよう大きめの声で応える。玄関へと小走りに移動し、のぞき穴から来客者を確認する。


 レンズ越しに見えたのは、青年だった。眼鏡をかけ、柔和な雰囲気を与えるその笑顔に、俺はあっさりと警戒を解いてしまった。棒人間のように細長い体も、警戒を解かせた大きな一因となろう。


 ガチャリとドアを開けると、青年は人当たりの良さそうな笑顔で挨拶をした。


「すみません、僕は大学で心理学の勉強をしている者です。今の若い人たちの交友関係とかを知りたくて、この辺りを聞いて回っているんだけど……もし良かったら、少し話に付き合ってもらえないかな?」


青年は、まるで聞く人を落ち着かせるような、どこか安心させる声で言った。


「えぇ、少しだけなら構いません。どうぞ」


ならばこちらも真摯に紳士的に応じようと、俺はできる限り精一杯の笑顔を返した。……付近に鏡がなくて良かった。


 先ほどのテレビでもあったように、最近はそういった話がよくされるものなのだろうか? 俺は基本、奏太以外にそういった話をする相手がいないため、よく分からない。


 青年を居間に通し、お茶とお菓子を少々用意する。やはり温かいお茶には昔ながらに堅い煎餅だろうと考えたが、そんなもの家にはなかった。衝撃に惑わされながらも、渋々洋風の甘いお菓子を取り出す。


「そう身構えなくて大丈夫ですよ。出来れば雑談だと思っていただいてくれた方が、こちらとしても本音を聞き出しやすいですし」


針金のような体を針金のように折り曲げて、青年はこちらを気遣うような台詞を放つ。


 ……本音を聞き出しやすい、ときたか。中々に突っ込んで話す人のようだ。だが、俺としてはズケズケと話してくれた方がやりやすいのかもしれない。二度と会わない仲であるのならば、心に踏み込まれてもそれ以上の力で拒絶するだけで済む。


 青年はお茶を啜る。その場慣れしているかのような挙動が、彼の大人しく、大人らしい風格を確かに表していた。


「では自己紹介は省いて、手っ取り早くいくとしましょう。携帯電話は持っていますか?」


「いえ、親が反対していまして。恐らく私の通う学校でも、かなり珍しい方ですね。携帯を持っていないというのは」


誰かとこうした会話をするのは久しいため、俺の声に少し、緊張と焦りが感じられる。傍から見れば、もごもごと何を言っているのか分からない男子高校生が一人と、にこにこと微笑んでいる男子大学生が一人。一体何をしているのか、全く分からないのではなかろうか。


 だがおそらく、今のは本題ではない。単なる話を切り出すための話題だろう。それと加えて、俺の緊張を段々とほどいていくという側面もありそうだ。俺としては、この青年は随分と話慣れしている、といった印象を受ける。


「へぇ、それはまた厳しい親御さんなのかな? じゃあ他にもゲームを買ってもらえなかったとか、そういう制限もあったんじゃない?」


全くに、人懐っこそうな笑顔だ。妙に大人びている。大学生というものは、やはり高校生とはまた何か違うのだろうか。


「えぇ。つい最近まで、部活動を禁じられていました。そんな暇があるのならば勉強しろ、とのことです」


「それはまた……ん、つい最近?」


「幼なじみが一週間かけて、父の首を見事縦に振らせたんです。条件付きではありますが、今はきちんと励むことが出来ていますよ」


と言ったが、俺は嘘をついた。


 現在、我が文芸部は活動休止中である。


 嘘とはどんなに悲惨な結果を招くか。そんなことを幼少期より何度も言い聞かされ生きてきた俺ではあるが、誰だって言いたくないことはある。元よりこの青年が欲しているものとは全くの無縁だ。語らずとも良いであろう。


 と俺は自分に言い訳を聞かせ、平静を保つ。


「それはいい友達を持ったね。そうそう、そうなんだよ。僕はそういった友達との関係性について色々と知りたいんだ。んーとだね、ここからは結構キツい質問をするかもしれないから、言いたくないのならばきちんとそう言ってね」


青年は“友達”を強調してやけに食い付いてきた。よほど真面目に取り組んでいるのであろうと、俺の青年に対しての好感度が上がる。


 俺は、友達といった言葉に頬が引き攣るのを何とか抑えながらも、『はい』と笑顔で答えた。作ったような笑顔というべきか、今度は何だか鏡を見てみたいと思えるような、そんな感じの笑みに見えたことだろう。


「まずは……そうだね、君の友達はどんな人柄かな?」


「……自分に真っ直ぐなヤツですね。口には出さなくても、色々と考えて強かに行動するタイプです。そのため感情が読みづらいのですけれど」


「聞いていると性格が運動部っぽいイメージだけど、何の部活に入っているの? あぁ、これは個人情報とかそういうのが面倒だから、話していいものかは君が判断した上で教えてくれ」


「運動部ではないです。ただ空手をやっていた経験があって、そういうところの武士道とかが、今でもまだ残っているのかもしれませんね」


「成程成程。ということは正義感が強いとかかな? 頼れるタイプ?」


「……そうですね。基本のんびりとした奴ですけど……きっと、心から助けを求めたら、真っ先に駆けつけてくれると思いますよ……」


 ……話していて、俺は思う。


 俺は、奏太のことを知っている。こうして話す内容以外にも、頭の中では絶えず奏太の顔が、様々な場面から写真で切り取られたかのように次々と浮かぶ。


 では何故、俺は最後の一歩を踏み出せない?


 青年の言う通りに、俺は奏太を頼ることが出来ない?


 淡々と質問に答えるうちに、俺の頭の中で、部活をしばらく休むと言った奏太の姿が、一際くっきりと浮かんだ。


 あの時の必死そうな奏太が、俺を嘲笑うかのようにして裏切る姿を想像できるか?


 精々、奏太が裏切れることがあるとすれば、俺の高すぎる期待ぐらいのものだ。


 ……。


 期待?


 何だ、簡単なことじゃないか。


 完璧な人間なんていない。完璧な人間は完璧な時点で、もうその存在は人の道を大きく外れている。


 だから人は、人の美点も欠点もその全てを愛することで、自分を補う。長所も、短所も、愛した人と擦り合わせ、組み合わせ、噛み合わせ、そうすることで“普通”を見つける。


 そうなのだ。


 この世は完璧を求めてなどいない。


 なのに、人はそれを求めてしまう。


 それは自分にかもしれない、それとも他人にかもしれない、或いはそのどちらもに求めているのかもしれない。


 そして、


 俺がその、典型なのだ。


 あぁ、そうだ。


 俺は、他人に全てを求めたのだ。


 故に、裏切られることによって人の不完全さを目の当たりにすることが怖くて、


 人の欠点を見たくなくて、拒んで、


 今の俺があるのだ。





 完璧主義。





 そんな言葉が俺に当てはまるとは、思ってもみなかった。






「じゃあ、この辺りで今日は失礼するよ。あ、別に明日も来るとかそういうわけじゃあないからね?」


 いつの間にか、青年の調査は終わっていた。


 三十分ほどだろうか。色々と細かく聞かれたようだが、俺は全く覚えていない。心ここにあらずとは、こういうことを指すのかもしれない。


 青年を見送り、俺は自分のベッドへとダイブする。


 いずれ両親が仕事から帰ってきて、夕食になるだろう。それまでの数時間、夜になっていざ寝る時に眠気が襲って来ずとも、構わなかった。


 とにかく今は、何も考えたくない。





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