第15話

〈風見奏太〉


 振り返れば、これは人生で初のバイトということになる。まぁそれは舞歌さんも同じなようで、


「……ぅあああぁぁぁあああ……」


と、何か可愛らしい悲鳴を上げていた。あぁ、抱きしめてあげたい。


 とはいっても、さすがに同じ職場でいきなり二人もバイトを雇うというのはさすがに無理もある。勿論二人、それぞれ別の場所で働くことになった。


「……本当に大丈夫なんっすか、徹夜」


 俺たちには学校がある。そのため、夜しか働くことが出来ないのだ。もしもの場合は学校を休んででもバイトをするかもしれないが、それは最後の手段だ。


「色々と動いてれば眠くはならないだろうけど、あたしいつも十二時前には眠るようにしてるし……」


唇を歪ませて不安げな表情を作る舞歌さん。自信が無さそうだ。


 睡眠不足は美容の大敵。舞歌さんにはいつまでも美しく生きてもらいたいが、状況はそれを認めてはくれない。何とかしたいともどかしくなる。舞歌さんの瑞々しい肌を守るため、俺も頑張っていかなくては。


「じゃあ、こっちのバイトが終わったらすぐ迎えに行くっすから、一人で帰らないで下さい。いいっすね?」


と、俺はまるでそのことが当然だとでもいうように言った。見えない敵はいつやって来るか分からない。ならばいつだって舞歌さんの側で見張るのが正常な対応だろうと。


 ところが、それを聞いた舞歌さんは突如スイッチを切り替えたかのように表情を変えて、それを断った。


「……それはいいよ。帰るのだってもう日は昇ってるだろうし、何よりそれじゃあ風見君が学校に間に合わなくなっちゃうよ?」


「? いえ、それは走れば何とかなるっすよ?」


「それでもいいよ、もう風見君にはバイトを手伝ってもらってるだけで、感謝しきれないくらい感謝してるから」


「でも……」


「いいって」


台詞を遮られた。普段の舞歌さんのトーンとは違う、拒むような有無を言わさぬ口調。その声に戸惑いを覚えた俺は、昨日の舞歌さんを不意に思い出す。


『ゴメンね。風見君が悪いわけじゃないんだけど……』


……まだ、舞歌さんは何かを抱えているというのか。だとしたら……


「じゃあ、風見君も頑張って! さよなら!!」


しかし数瞬後にはいつもの調子に戻った舞歌さんは、俺が返事を返す間もなく、とっとと一人バイトの店へと走って行ってしまった。


 なびく髪に、はたはたと揺れるスカート。


 それは舞歌さんの心のように、掴んでは擦り抜けていく。






 勿論、初日のバイトで失敗をしない人はいない。何度注意を受けたことだろう。あれから、舞歌さんのことが気になって仕方がなかったというのも理由の一つだ。だが、それを言い訳にしていてはこの世は恋にうつつを抜かす無能どもの集団になってしまう。精進しかないのだ。


 バイトが終わり、それから舞歌さんの働く店へと行ってみたが、姿は見えなかった。どうやら本当に一人で帰ってしまったようだ。


 近くなったと思った距離が今、再び遠のいた。


 人の欲は止まらない。以前であるならば、このように離れた距離が当たり前だった。だがしかし、俺は一度近づくことを覚えてしまった。


 もっと近づきたい、舞歌さんの心を占める存在になりたい、舞歌さんにとっての特別な人となりたい。


 その思いは堆積し、蓄積され、身を焦がすほどに熱を持つ。


 あぁ、ストーカー行為を働く奴の気持ちが、今になって流れるようにあっさりと分かる。


 一方的な恋慕だろうと、未練だろうと、時として想いは何よりも強い力となる。


 きっと彼ら彼女らはそれに耐えられなかったのだ。


 けれど。


 俺は奴を許さない。


 どんなに想いが強かろうが、舞歌さんにあんな顔をさせたその罪は、重い。





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