第13話

〈風見奏太〉


 足りない! と、舞歌さんは受話器に口を添えたまま、人目も憚らずに叫んだ。


 相手は出版社だろう、流石の舞歌さんも敬語を用いて応対している。


 舞歌さんの家までの帰り道。幸いにして辺りに人はいないが、近くに民家があることに変わりはない。俺は文句が飛んでこないかドキドキと周囲を確認しながら、失礼とは思いつつ舞歌さんの携帯に耳をそばだてる。


「え、いえ……何でもないです。すみませんいきなり……はい、はい。失礼します」


 舞歌さんは通話を終え、ゆっくりとした動作で終了ボタンを押す。そのままたっぷりと落ち込んだように静止を開始。


 内容こそ聞き取れなかったものの、この舞歌さんを見る限り、何か相当に不穏な空気を感じる。足りない? 何が?


「……風見君」


と、たっぷり十秒以上も固まっていた舞歌さんが、何かを決心したかのように息を吐いて俺の名前を呼んだ。


 マズい。


 瞬時に俺は察した。これはあれだ。前のように、何でも一人で解決しようとする舞歌さんだ、と。ここで彼女は俺を突き放して、一人でどこかへ行ってしまう気がした。


 だがしかし、俺はそんなことさせない。先日のように、俺は舞歌さんを一人にはさせない。どうあっても、嫌がられても、悲しまれても、たとえ嫌われようと、俺は舞歌さんを救ってみせる。それは俺にはおこがましいかもしれない。だったらたとえ救えずとも、その痛みを分かち合うぐらいのことは俺にだって出来るはずだ。


 と思い、いざ口を開けようとしたところで、舞歌さんが一足先にこちらに振り返り、


「私のお願いを聞いて下さい!」


「……へ?」


予想外の言葉が飛んできた。


「小説の収入が思ってたより少なくて、このままだと返済期限に間に合わないの! そしたらまたあいつに付きまとわれるかもしれないし……お願い、一緒にバイトか何かで返済用のお金を稼いで欲しいの!」


そう言って舞歌さんは体を直角にまで折り曲げる。その勢いによって崩れる髪型が、舞歌さんの必死さを表していた。


「ちなみに、金額は?」


「…十万とちょっと」


「返済期限は?」


「あと十日」


……成程、二人ならどうにかなる金額と期間だ。返せないことはない。


「分かりました。知り合いに携わっている人がいるので、明日にでもどこか働けるところを捜しておきます。…あと早く頭を上げて下さい、もういいですから」


 俺に断る理由なんてなかった。むしろ、俺が舞歌さんの力になれることが嬉しくて、感動すらしていた。


 それに何より、未だにびっくりしているのだが、舞歌さんが即決で俺を頼ってくれた。その事実が信頼として俺と舞歌さんとの距離を確かに縮め、今ならどんな困難であれ軽く鼻であしらえるほど、俺の脳は今ホルモンをだくだくと流している。


「……舞歌さん?」


俺の話を聞いていなかったということはないだろうが、未だに頭を上げない舞歌さん。


 すると、不意に舞歌さんが小さくしゃくり上げた。そして、俺が驚いてどう反応すれば良いのか思案する間もなく、舞歌さんはその場にしゃがみ込んでしまった。


「……ゴメンね。風見君が悪いわけじゃないんだけど……ちょっと待ってて」


顔を覆うように組まれた腕によってくぐもった声。その後に続く、押し殺されたすすり泣き。俺は果たしてどうすれば良かったのだろう、考えが交錯して、動けなかった。


「……家族以外の人前で泣いてる姿を見せるなんて……この前が初めてだったのに。どうしてかな? 風見君の前だと、胸が痛くなってどうしようもならないの」


返事のしようがなかった。いや、言葉が全くといっていいほど出てこなかった。


「……もう大丈夫。じゃあ、その人によろしくお願いしますって言っておいて。今日はもういいや。あと1キロもないし、じゃね。ありがと」


やがて舞歌さんはゆっくりと立ち上がり、落ち着いた声で一人、家へと歩いて行った。俺は一応用心をして、家の敷地に入るまでは辺りを見張っていたが、怪しい人影は見当たらない。


 それを確認し、体を反転させる。俺の家へと帰るのだ。


 そして歩きながら考える。あの時見た舞歌さんの涙は一体、あの時聞いた舞歌さんの言葉は一体……。


 その意味を見つけ出そうとして、俺は考える。





 だけれども、答えは見つからなかった。





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