第12話

〈東学〉


 奏太と舞歌さんが一緒に帰ることとなって数日。


 奏太の作業スピードが明らかに遅くなっている。


 それどころか内容が段々と粗雑になり、矛盾点も幾らか見受けられるようになっていった。今日だけでも、話の根幹に関わる部分についての相異点が数カ所。


 それと同じようにして、俺の奏太に対する信頼も下がっていく。





 結局は奏太も、ただの部活動よりも自分の恋を優先させてしまうのか。


 あの夜俺に言った言葉は全て嘘なのだろうか。





 分かっている。恋とは麻薬のようなものだ。それにかかれば、誰だって正常な判断力を失ってしまう。


 つい先日、俺が神保さんに対して口を滑らしてしまったように。


 分かっている、判っている、解っている。


 けど、心はそれを認めない。


 それは甘えだ、逃げだ、言い訳だと言って、決してそれを許さない。


 奏太にとってこの部活はその程度のものなのだと、心は勝手に決めつけて、悲観して。


 あぁ、俺はなんて醜いんだ。






 俺が神保さんに惑わされた日以来、共に残されたものとして、俺と神保さんは少し、仲が良くなった。


 とはいっても放課後に、『さようなら』と言い合うだけの仲なのだが、それでも俺にとっては大きな進歩だったといっていい。


 神保さんが、俺だけを意識してくれる。


 神保さんが、俺だけに意識を注いでくれる。


 その一時が、その瞬間が、まるで神に祝福されたかのように輝きを放ち、何気ない日常を彩ってくれる。…あ、俺仏教徒だった。


「では神保さん、さようなら」


『一緒に帰ろう!』と、舞歌さんが声をかけてくれないために、片付けも済ませず、本をいつまでも読み続けている孤独な先輩へと声をかける。今週は神保さんが当番なので、部室の鍵は神保さんの手元にある。


 最近、神保さんはどこか元気がなく、部活の参加も不定期になりつつある。ここは一人の男として慰めてあげたいものだが、そこまで踏み込んでしまって良いものかと尻込みしてしまう悲しい俺がいた。


 が、


「ねぇ、東君」


神保さんは俺の背に向けて声を飛ばした。途端、視界が揺れ動き、異様に歪み始めた。


 何だ? 貧血だろうか? いや、視界が歪むだけで三半規管に乱れはない。


「あなたは、人が好き?」


窓は閉めてある。が、自然と冷たい風が吹き抜けた気がした。夕日も沈み、薄暗い廊下からでは、部室にいる神保さんの表情は確認できない。


「私は嫌いよ、大っ嫌い」


強い言葉とは裏腹に、その声は驚くほどに冷静だ。


「そしてあなたは、私と同じ匂いがする」


「俺が……人を嫌いだと?」


ようやく口からこぼれた言葉は、まるで怯える小動物のように震えていた。


「えぇ。むしろ、怖いのでしょう?」


「……」


「ほら。最近のあなた、風見君の態度に戸惑っている。そしてそれが怖い。違う?」


淀みのない神保さんの言葉が、心に沈殿していく。


 と、ここで俺はここで気付く。あぁ、成程これは夢か。そうか、ならば仕方ない、と。


 それにしても中々にリアルな夢だ。まさか夢の中でまで神保さんと会えるとは。これも俺の想像力の賜物だろうか。 


……待てよ、これが夢の中なのであれば何をしても問題がないのでは? いやいや、それは駄目だ。そこを自制してこその人間であろうが。


「夢なんていって逃げないで頂戴。夢であれ、私とあなたがこう対話が出来ることなんて滅多にない経験よ?」


ならばどこからが夢だ? さっきの部活終了時点だろうか。そういえば、部活終了の号令を言った覚えがない。


「それにしても、夢の中でまで憧れの先輩と二人きりとは、全く自分のことながら頭の中はピンク色なのかな? そういえば脳みそって何色だっけ?」


神保さんの姿がぼやけ、人の形をしたシルエットが浮かび上がる。何だか俺と似ている気がする。というか俺そのものだ。物語とかだと、こいつに打ち勝つことで夢から覚醒するのだろうが…さて、どうしたものか。


「おっと、そういう自分と自分が戦うみたいなベタな展開は止めてくれよ。俺は俺だろうに、戦ってどちらかが倒れちゃあ、力が半分になっちゃうぜ?」


……そういうものなのだろうか? じゃあ、気軽に色々と自問自答しながら朝を待つとしようか。何から話す? それとも俺に何か忠告とかしてくれるのか?


「いや、別にそういうのはないんだがな。何故かは知らんが、俺はお前の精神状態が不安定になることによって生まれる幻想らしい。二重人格みたいなもんだ」


おいおい、随分色々と詳しいじゃん。どこの小説だよ?


「知らねぇよ。そりゃあ、お前が無意識下に望んでたからじゃあねぇの? こういう『自分との対話』みたいなものを」


 ふむ。確かに、俺はそういったものを夢見ていたかもしれない。自分自身との対話。それは、絶対に相手を裏切れない者同士の会話だということだ。相手は絶対に自分を裏切らない、心から信頼できる相手。そういった人物が現実世界にいないため、夢見る俺はこうして夢の中でそれを実現させているのかもしれない。


「まぁ何だ、愚痴りたいことでもあるのか? だったらドンと来い、俺はお前を裏切ったりしねぇぜ? なんたって、俺はお前なんだからな」


……あれ、俺ってこんなダサいどや顔なんてしてたっけ? と、シルエットながらも俺にそう思わせる俺。ありがとう、今度からお前を教訓として、もう二度とどや顔はしない。


 あと、お前。俺の精神状態が不安定だか知らんが、今の俺はテスト勉強で疲れているんだ。テストが終わったらまた付き合ってやるから、それまでは出てくるな。いいな?


「……とは言ってもよぉ、お前がそうやって悩みを抱えている間、多分俺ずっと夢ん中出てくると思うぜ? まずはお前のそのガラスのハートを、きっちりと防弾ガラスにグレードアップしてくれねぇとな。お、そろそろ起床時刻だ。んじゃあな、お勉めご苦労!」






 意識が急に鮮明となり、目を開けると、そこにはいつもの見慣れた天井が、カーテンから漏れ出る朝日をうっすらと反射していた。


 はて、何かとても愉快な体験をしたように感じるが、一体何ぞや?





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