第3話

 翌日。


「さぁー今日も元気に! 部活動開始!」


「「「お願いします」」」


部長である舞歌さんの声が部室内……いや、このフロア中に響いた。他の部活動にとっては明らかに迷惑なのだろうが、毎度のことなので誰も文句を言いに来たりはしない。むしろ、舞歌さんの号令はいつも定時ピッタリなので、それを合図に活動を開始する部活もあるんだとか。(聞いた話だが、過去に先生を味方につけて抗議に来た部長もいたらしいのだが、その後彼(彼女)には次々と不幸が訪れたらしい。彼(彼女)は犯人をある三年生と確信しているそうだが、証拠不十分でその三年生はお咎め無しだそうな。一体誰だろう?)


 ちなみに部活終了の号令は、舞歌さんが執筆に熱中して時間を忘れることがあるため、かなりばらばらである。


 俺と舞歌さんは自前のノートパソコンを起動する。奏太はA4のプリントを取り出し、そのうちの一枚をこちらに寄越す。俺はその紙に書かれた流れと指示に従って文章を書き始め、奏太はその続きの部分の執筆に取りかかる。


 けれど、舞歌さんはそんなものなしにとにかく指を動かしまくる。まるでピアニストのように、どこまでも綺麗に、どこまでも華麗に、どこまでも流麗に。夕日が照らす埃くさいこの文芸部の部室だって、彼女の前ではたちまちコンサートホールに変わってしまう。この世の全てが彼女を祝福するかのように。舞歌さんの周りはいつだって輝いている、そして華やいでいる。きっと彼女には、悩みなんて一切ないのかもしれない。


 見れば、奏太は舞歌さんに見とれていた。呆れる反面、ふとだらしないその笑顔に、昨日の奏太が脳裏をよぎる。


 あれからおよそ二十時間以上経ったというのに、俺はまだ気にしているのか。あんなどこにでもある会話を。これも思春期の青春にはつきものなのかと溜息をつくが、それでも俺の気が晴れることはない。


 奏太は言った。『俺は舞歌さんの笑顔が見られればそれでいい』と。でもそれは諦めた末の言葉なんじゃないか? お前はそれだけで本当に満足できるのか?


 俺がそういった色恋沙汰に憧れているからかもしれないが、出来ることなら奏太も只の『部活の先輩と後輩』という以上の関係に、進めることなら進みたい……んだと思う。


 しかし、俺にはその気持ちを断定することも、その気持ちを後押しすることも多分出来ない。そんなに奏太に寄り添ってしまったら、裏切られた時の傷はより大きくなるから。俺は未だに奏太を心から信じることが出来ない、たとえそれが十年もの付き合いだとしても。


 そんなことを鬱々と考えながら、俺は神保さんへと視線を動かす。


 部活動に励む俺、奏太、舞歌さんとは対照的に、神保さんは一人静かに文庫本のページを捲る。優雅なその動きは、まるで森の奥深くにひっそりと存在する泉のように清らかなイメージを連想させる。窓からやって来る柔らかな風が神保さんの整った長髪を撫でる。その姿はまさに文学作品の一ページを切り取ったかのようで、俺は心臓を高鳴らせながらただ彼女を見つめるしかなかった。


 奏太の言うとおり、確かに俺は神保さんのことを……好き、なんだと思う。舞歌さんとは対照的な『静』の美しさ。細められたその黒い瞳は、どこまでも鋭利に俺の心臓を突き刺す。生まれてこの方、こんなにまで他人に心を奪われたことがあっただろうか?


 けど、これは本当に恋愛感情なのだろうかと、心のどこかで俺に問いかけようとしている俺がいる。


 俺は、十年も一緒にいる奏太すら全面には信じられない最低の人間だ。


 だけど、いつの間にか俺は神保さんを心の拠り所にしている。神保さんなら大丈夫だと信じ切っている。神保さんに依存している。


 それが『好きになる』ということなのだろうか?


 よく、人を好きになるのに理由なんてないと聞くけれど、理由もなく人を好きになるなんてそっちの方が俺には気持ち悪い。


 分からない。分からない分からない分か……?


「?」


額に小さな衝撃が走る。驚いて辺りを見回すと、机に小さな消しゴムが一つ。


 拾うと、この消しゴムには見覚えがあった。これは奏太のものだ。


 視線を奏太に移す。すると奏太は呆れた様子で、やれやれとこちらに丸めた小さな紙を飛ばした。受け取って丸められた紙を広げると、


『バレバレ』


と簡素に文字が四つ並べられていた。


 顔が燃える。ついつい無意識のうちに見つめる時間が長くなってしまったようだ。ああもう、俺は何考えてるか分からないと周囲から思われていると思ってたのに。思ってたのに!


 平静を装い、パソコンへと再度向き合う。がしかし、顔の燃焼は一向に治まらない。変な緊張により目の前がくらくらとして、奏太の書いた紙に焦点が定まらない。


 俺はこんなにメンタルが弱かったのか。

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