第2話
玄関で奏太が一人、携帯をいじっていた。こちらに気がつくと、
「早かったな。先生機嫌でも悪かったのか?」
「いや、今日は出張らしい。活動報告を書くだけで済んだ」
「へぇ、ラッキーじゃん」
「まぁな」
校門から道路に出て横並びに歩く。まだ帰りの遅い運動部の姿がちらほらと見えた。
「あー、あと少しで第一章終わったのになぁ。もうちょい進めたかったな」と奏太。
「悪い、まだ慣れてなくて」
「何言ってんだよ。別に作業スピードの話じゃなくて……ほら、気持ち的にキリの良い所で終わらせたかったってこと。それに、お前がいなきゃ俺は小説書けねぇし……文句なんか言える立場じゃねぇよ」
俺と奏太は、共同で小説を書いている。まず初めに奏太が大まかな設定や流れを考えて、俺がそれを文章として完成させる。
何故このようなことになっているかというと、一ヶ月前、俺と奏太が二年生になった四月にまで遡る。
奏太は一年生の時から文芸部に所属していたらしいが、中々思うように考えを文章で表現することが出来なかったという。キャラクター造形やストーリー展開こそ舞歌さんや顧問の先生からは絶賛されていたそうだが、そのことについて、奏太は『俺には文才がない』という結論に至った。そしてその解決策として、奏太は小学校からの付き合いであり、常にテストで五位以内をキープしている俺に頭を下げた。
勿論、いちいち成績やらについて学校に電話を入れてくるような親だ。俺は部活動なんて今までやらせてもらえなかった。部活に入りたいなんて言っても、一言『駄目だ』とばっさり斬られて終わるだけだから……という旨を俺はやんわりと奏太に伝え、断った。
だが奏太は諦めなかった。奏太はその日のうちに父に部活動を許可させるよう、我が家にまで乗り込み、とうとう一週間をかけて父を口説いてしまった。
そして俺はテストで十位以内に入れないと即退部という条件付きで、文芸部に入ることになった。
とはいえ、テストの点数と文章の上手さは必ずしも一致しない。まずは読める小説作りということで、実力試しも兼ねて小説賞応募用の処女作を執筆中というわけだ。
「……結局、二人そろっての一人前なんだって。俺は良い設定を考えることが出来ない。でも人並み以上には良い文章を書けるって自信がある。逆に奏太には文才がない。でも誰もが思いつかないような話を作れる。一万年も前の男女関係みたいなもんだろ。男は子供を育てられなかったし、女は狩りが出来なかった。それを考えてみれば俺たちの役割分担だってある意味理に適ってるはずさ……まぁ、俺たちが一人前かどうかはおいといて」
「こんなこと舞歌さんに言ったら大笑いどころじゃないけどな。あの人、来月にまた本出すらしいぜ」
「うわぁ……」
舞歌さんは一人前どころか二人そろっても果たして半人前に届くかどうかというところの俺たちとは違い、もう二年も前に既にデビューしている。そしてその後も継続的に本を出せるほどの人気もあり、同じ文芸部室にいることが不思議なくらいに憧れの存在だ。
すると、奏太が短い溜息をついた。
「可愛いよなぁ、舞歌さん。卒業式の日に駄目元で告白してみよっかなぁ」
瞬間、風邪でも引いたかのように全身が異常な熱を放つ。
「な、奏太、お前まさか舞歌さんのこと……!」
予期せぬ衝撃に思春期の心臓が猛り狂う。今にもはち切れそうだ。
「あれ、言ってなかったっけ?」
しかし奏太は俺の衝撃など余所にけろっとしている。そんな……てっきり、文芸部は男女の数が整っていながらも、(一部を除いて)恋愛方面には絶対に発展しないと思っていたのに……いや、しかしよくよく考えてみると三年生二人がイケない空気を醸し出す時に、いつも話に割って入って事をうやむやにする役目は奏太が負っていた……もしやあれは神保さんへの嫉妬? そういえば神保さんは、奏太に対して少し態度がキツい気がする。いや、態度がキツいというよりは単純に口をきいていない。あれはいずれ恋のライバルになるであろう奏太ゆえ、嫌っているということなのか?
「……俺、実は元々舞歌さん目的で文芸部に入ったんだ」
少し照れくさそうな口調だった。
「一年の頃、ビラを片手にニコッて『よろしくお願いしま~す』だぜ? あれには誰だって心が動くさ、一目惚れだ」
さも幸せそうに奏太は語る。運命だの青春だのと、誰でも一度は経験する、天国は実在すると錯覚してしまうほどの素晴らしさだのと、その言葉が途切れることはない。…確認しておくが、これは只の高校生の片思いだ。相思相愛でもないのに、こうものろけ話のように聞こえてしまうのは何故なのだろう?
しかし俺も奏太も立派な高校男子、こういう愛だの恋だのいう話は三度の飯より好きなわけで、たとえ美化された妄想が入ろうとも、こういうものは充分に面白い。仕方ない、ここは俺も胸を躍らせながら奏太の一人語りに聞き入るとしよう。
「で、そういうお前は実は神保さんのこと好きだろ?」
「……え?」
「いや、別に否定とか誤魔化しはいいから。見てれば分かる」
……何を言っている? 今は奏太が如何に気持ち悪く青春を謳歌しているかの話じゃなかったのか? 全く、そんなことあるわけないだろうに。
「な、何言ってんだよ、んなわけ」
……緊張を抑えられない。声帯が無意味に震え、舌が怯えた動物のように暴れ回る。
「お前、俺が設定考えてる時、いっつも神保さんのこと見てんじゃん。熱~い視線でさ」
顔が火照る。その熱が全身に広がり体を温め、それを冷やそうとしたのか汗腺から汗が出る。そんな目まぐるしい体の変化とは対照的に、言葉は中々出てこない。
「嘘だ……じゃ、じゃあ神保さんも気付」
「気付いてるだろうなぁ。あの人、好意には敏感だから。俺が舞歌さんに近づこうとすると、ものっすんげぇガン飛ばしてくるし」
「い……いつから?」
「……実を言うと、最初から。初めてお前を文芸部に誘った時、部室に案内したろ? 最初は嫌々ついてきたくせに、入った途端やけに静かになったと思ったら態度も何だかぎこちなかったし、こりゃ何かあるなって」
確かにあの時は今と同じように……いや、今以上に顔が恐ろしい程熱くなってくらくらして何も考えられなかったが、しかしそんな……
「そしたら神保さんの自己紹介の時だけすんごい俯いて超照れてんだから。これはもう確定だなって」
……そんなに俺は照れていたのか。俺は人より感情を面に出さないタイプだと勝手に自己分析していたのだが、その認識は少々改めないといけないかもしれない。いや、そんな俺をあそこまで動揺させるほどの出来事だったという解釈の方が適当だろう。
「……そうか、そんな周知の事実だったのか。『一人心に秘めているささやかな気持ち』って感じだと思ってたのに」
ましてや本人にまで気付かれているなんて、どれだけ見透かされた青春なんだ。俺なんか、いつも隣で設定考えてる奴の想い人すら今日まで気付かなかったというのに。
「まぁ、舞歌さんはああいう人だからちょっと分からんが、おそらく先生も気付いていると思うぜ。でもま減るもんじゃなし、気にすんなよ」
「……その減らなければ問題ないみたいな風潮、一体何なんだろうな?」
「さぁ?」
周囲に目をやると、もう道程の約三分の二まで消化したようだ。大通りから住宅地の入り組んだ道へと車幅が狭まっている。それと同じように歩道の幅も狭くなるのだが、そこは田舎道。車なぞほぼ通ることはないので、俺たちは堂々と車道の真ん中を歩く。
「ちなみに聞くが、奏太的には舞歌さんを射止める勝算あるのか? その……神保さんを相手に」
先ほどのこともあってか変に意識してしまって、神保さんの名前を出すことが躊躇われた。結局口に出しても何故だかいつも通りのイントネーションが出来ずに、変に悲しくなってしまう。
「さっきの話聞いてなかったのか? 『卒業式の日に駄目元で告白』のどこが勝算ありそうに聞こえるっつぅんだお前の耳は? ったくいつまで神保さんのことで尾を引いてんだよお前らしくねぇ」
奏太は自嘲するように諦めの混じった声で言った。
しまった、そうだった。元々はその一言が原因で色々あったのではないか。
我ながら中々の失敗だ。奏太に無神経なことを聞いて惨めな思いをさせてしまった自分を嫌悪する。そしてそんな奏太にも心配されてしまった自分を更に嫌悪する。あああ。
「いいんだよ、別に」
と、不意に奏太が妙に達観したような笑みを浮かべた。
「別に俺は舞歌さんと付き合いたいとか、結婚したいとかそういう夢は持ってねぇし。取りあえず、今だけでも俺は舞歌さんと同じ部屋で青春して、舞歌さんの笑顔が見れればそれでいい……第一、俺なんかじゃ舞歌さんとはどう足掻いたって釣り合わねぇし」
……。
奏太は歯を見せて笑った。その笑顔は、お前一緒に小説書いてるくせに“ら抜き言葉”使ってんじゃねぇよ、とか、ロマンチストが! ここにロマンチストがいるぞ! とか、そういったツッコミを飲み込んでしまうような、そんな空気を孕んでいた。他人が迂闊に入り込んではいけない心の奥底を、俺はその笑顔に見た気がした。
それはとても悲しそうで、息苦しそうで、俺はそんな奏太を、どうにかして救ってあげたいと思った。
けれど、
「何だよ、結局文芸部に入ったのは舞歌さん目的なのかよ」
俺に出来ることといえば、こんな風に軽口をたたくことぐらいだった。いくらテストの成績が良くとも、今隣を歩く人の心の重りさえ軽くすることが出来ない。いくら長い時間こうして隣にいても、パートナーの想いさえ分かち合うことが出来ない。
中学校で部活動が禁じられていて、人付き合いが希薄だったからだろうか?
元々、奏太とは心から通じ合えない運命なのだろうか?
いや違う、それは全て言い訳だ。俺はただ、奏太の奥底にまで踏み込むことが怖い。
『部活仲間』から『親友』という立場に奏太を位置づけることが怖い。
奏太を『親友』と認める勇気がない、それだけのこと。
「そりゃまぁ最初はそうだったけどさ、今は違うぜ? 文芸部に入ってこんなに楽しいのは初めてだ。やっぱお前誘って良かったって心から思ってるし」
さっき見せたあの笑顔はもうない。この何度も振り回された迅速な切り替えも、ありがたい言葉も、今この時は嬉しい。
けど、数秒後にはその嬉しさも疑念へと変わる。
コイツハ、ホントウニソンナコトヲオモッテイルノカ?
一度疑ってしまえばそれは止まらない。
疑って、疑って、疑って。結局は実らない疲れと、穢れた自分だけが残る。
俺は怖い。
他人に心を許すのが。そして、心を許した人に裏切られるのが。
いつしか信じることを止め、全てを疑ってしまいそうで。
俺は怖い。
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