第十一章 その三 迫り来る恐怖
月面支部の知事執務室には、後ろ手に手錠をかけられて椅子に座らされたアイシドス・エスタンと、警備隊員五人がいた。
「君達はクーデターを起こすつもりなのか? ザンバース君を殺すつもりなのか?」
エスタンの見当外れの言葉に、隊員の一人が大笑いをして、
「まだ何もわかっておいでではないようですね、知事。これは全て、総軍司令官のご命令です」
「何だって!?」
エスタンは混乱していた。
(ザンバース君が、こんな事を……? するとエスタルト総裁は……)
彼はそこまで考えて、身震いした。隊員の一人はそれに気づいて、
「やっとおわかりいただけたようですね。地球連邦の歴史は、もうすぐ幕を閉じるのですよ」
「幕を閉じる? 連邦そのものを破壊するつもりなのか?」
エスタンは声を荒げた。隊員はニヤリとして、
「その通りです。今の地球は、だらけ切った愚か者で埋め尽くされている。そういう虫けら以下の連中を叩き直すためには、連邦制などと言う妥協の産物では無理なのです。優れた人物を頂点とし、選りすぐりのスタッフによって、この地球を統治するのが、最善の策なのです」
得々として語る警備隊員を見て、エスタンは戦慄した。
(この連中は、洗脳されている。いや、陶酔していると言った方が正しいか。警備隊の組織そのものが、こんな状態なのか?)
「つまり、『赤い邪鬼』っていうのが、警備隊や他の秘密組織だっていう事なのね」
高校から帰宅したクラリアが、リビングルームのソファに座りながら言った。レーアは向かいのソファに胡座をかいて座り、
「そういう事なの。月面支部が占拠されるのは当然よ。助けに行った警備隊が、『赤い邪鬼』そのものなんだから」
と力説した。するとクラリアが顔を赤らめて、
「レーア、貴女、バスローブの下、何も着てないの?」
「えっ?」
レーアは、バスローブの裾が
「最近、特に酷いよ、レーア。いくら誰もいないからって、もう少し身だしなみはきちんとしてよね」
クラリアが呆れて注意した。レーアもさすがに恥ずかしかったのか、
「あはは、いくら親友でも、そこまでは見せたくないわね」
彼女は慌てて足を下ろし、裾を直した。
(そう言えば、ディバート達のアジトで、全部見られた事があったな)
嫌な事を思い出し、落ち込む。クラリアが、
「もっと気になるのは、ディバート・アルターとリーム・レンダースの引き渡しを要求している事よ。エスタン知事が彼等にとって重要な人物だとしたら、ディバート・アルターはどう出るのかしら?」
レーアはハッとして顔を上げた。
「二人は月には行かないよ。エスタン知事は連中にしてみれば最後の切り札だ。絶対に殺される事はないからね」
ミタルアムが帰って来て言った。レーアはギクッとして、バスローブの襟を直した。ミタルアムはニヤリとして、
「レーア君、あまり色っぽい格好で邸を歩かないで欲しいね。ウチには、若い使用人もたくさんいるから」
「は、はい」
レーアは真っ赤になって顔を下に向けた。クラリアはそれを見てクスッと笑い、
「共和主義者の方で、何か動きがあったの?」
ミタルアムはクラリアの隣に腰を下ろし、
「ああ。エスタン知事には申し訳ないが、今ディバートとリームが動くと、それこそザンバースの思惑通りになる。それだけは絶対に避けたいからね」
レーアはようやく顔を上げて、
「ディバート達の組織って、どれくらいなんですか?」
ミタルアムはレーアを見て、
「警備隊員は、現在地球連邦全体で七百万人いる。彼等もそれくらいいるよ」
「そんなに大きいんですか?」
レーアは驚愕していた。ミタルアムは微笑んで、
「それくらいの規模でなければ、とても太刀打ちできない。敵は巨大なのだからね」
「そうですね」
レーアは目を伏せてザンバースの事を考えた。
(どうしてこんな事になったのだろう?)
涙が出そうなくらい悲しくなった。
「しかし、皮肉なものだな」
ミタルアムが独り言のように呟く。クラリアが彼の顔を覗き込んで、
「何が?」
ミタルアムは娘を愛おしそうな顔で見て、
「ザンバースとレーア君の事だよ」
「えっ?」
レーアは自分の名前が出たので、顔を上げてミタルアムを見た。
「ザンバースもやはり、レーア君と同じように父親と戦った。そしてレーア君の祖父であるアーベルの父アーマンは、彼の父であるカイゼル・ダスガーバン国連事務総長を失脚させ、地球帝国を築いた。本当に歴史は繰り返すものなのだね」
ミタルアムの話に、レーアはドキドキして、
「今度は私が父を倒すっていう事ですか?」
ミタルアムはレーアを見て、
「結論から言えば、そうなるね。しかし、まだ君は若い。もちろん、ザンバースが帝国打倒に動いた時、まだ彼は十六歳だったが、あの時と今では状況が違い過ぎる。アーマンとアーベルの父子は性急過ぎだが、ザンバースは慎重そのものだ。同じような事にはならないだろう」
「そうですね」
レーアはザンバースの仕掛けた事の半分もわかっていない自分を知っているから、ミタルアムの話は納得が行く。
「地球の政治の歴史は、ここ百二十年くらい、君の一族が担って来た。非常に興味深い事だ」
「はい」
レーアは歴史の重圧をヒシヒシと感じていた。
ザンバースは、総裁執務室で書類に目を通していた。その中の一つに、翌年度の予算の概算要求の写しがあった。
「概算要求か……。これは使えるな」
隣の机でパソコンを操作していたマリリアが顔を上げる。
「どういう事ですの?」
彼女は立ち上がり、しなやかな動きでザンバースに近づいた。ザンバースは書類を机に置き、
「予算の実質的な枠は、大体決まっている。慣例として、そろそろ省庁レベルでの折衝が始まる頃だ。会議には、全ての省庁の長官達が出席する」
マリリアはフッと笑い、
「つまり、粛清のチャンス、という事ですね」
「そういう事だ。デーラに連絡しろ。爆弾の製造を急いでしろ、とな」
「はい、大帝」
マリリアはザンバースの首筋を撫で、自分の席に戻った。
ザンバースは遂に政府内部にもその魔手を伸ばそうとしていた。
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