第十一章 その一 ナスカート・ラシッド
月面支部は、地球連邦政府の特別州であり、他の州よりも強い権限を与えられている。そこには、夢を求めて移民した、帝国時代からの住民と、その子孫達がいる。しかし、悪辣な商社が、職員とグルになって月を食い物にしようとしている事も、事実である。
支部政府の知事は、連邦政府の総裁が指名し、月面支部の有権者の過半数の承認を経て、就任する。よって、総裁が交代する時が月面支部政府の知事の交代の時である。アイシドス・エスタンは、エスタルトと共に三十年間、連邦を支えて来た誠実な人物だ。
彼は、ザンバースから、警備隊の派遣のメールを受け取り、仰天していた。
「『赤い邪鬼』の一団がこの月面支部を……。まさか? 一体どういう事なんだ?」
エスタンは秘書に尋ねた。秘書も首を傾げて、
「私にはわかりかねます。どにかく、警備隊の乗ったシャトルの着陸許可をお出し下さい」
エスタンは納得しかねる顔をして、
「『赤い邪鬼』の存在そのものがよくわからんというのに、どうしてザンバース君は、警備隊を動員する気になったのだろう?」
人に好いエスタンには、ザンバースの企みなどわかろうはずがなかった。
警備隊の月面支部行きを知って驚いたのは、レーア達だけではなかった。ディバート達も、シャトールでそれを知り、慌てていた。
「旧帝国軍と警備隊の小競り合いは、このための布石だったのか?」
リームが腕組みをして言った。ディバートは、
「そのようだな。しかし、月面支部に警備隊を差し向けて、一体どうするつもりなのだろう?」
「ああ。それがどうもわからないな」
二人が深刻な顔で考え込んでいると、玄関のドアフォンが鳴った。
「着いたようだな」
リームが玄関に行く。
「開いているよ」
彼の呼びかけに答え、ドアを開いて一人の男が入って来た。服装から、パルチザンのようである。
「カミリアを連れて来たぜ、リーム、ディバート」
男はニヤリとして言った。ディバートも玄関に来て、
「早かったな、ナスカート」
ナスカートは右手を差し出して、二人と握手してから、
「さァ、カミリア、今更照れる事もないだろう? 入って来いよ」
と玄関の外にいるカミリア・ストナーに声をかけた。カミリアは気まずそうな顔で、
「久しぶりだね、ディバート、リーム」
と力なく微笑んだ。ディバートはカミリアの左腕に触れて、
「もういいのか?」
カミリアはディバートを見て、
「いつまでも悲しんでいられないからね。ザンバースが動き出したんだろ?」
「ああ。何を考えているのかわからないが、とにかく何かが起ころうとしているのは確かだ」
カミリアはちょっとだけ躊躇うような顔をしたが、
「それで、レーアはどうしたの?」
「ついさっき、ミタルアム・ケスミー氏から連絡があった。レーアはケスミー邸にいるそうだ」
リームが代わりに答えた。カミリアは目を伏せて、
「あれからいろいろあったみたいだけど、レーアも大変だね。あの
カミリアの意外な言葉に、ディバートは思わずリームと顔を見合わせてしまった。
「ザンバースの正体がみんなにわかった時、一番可哀想なのはレーアなんだものね」
するとナスカートが、
「さてと。長旅でクタクタだ。休ませてもらえるか?」
「そっちが仮眠室だ。ゆっくり休んでくれ」
リームがドアの一つを指し示した。
「了解。さ、カミリア」
ナスカートはカミリアを抱きかかえるようにして仮眠室に入って行き、すぐに出て来た。
「お前はいいのか?」
ナスカートは笑って、
「さすがに申し訳なくて、カミリアと一緒のベッドには休めないよ」
「……」
ディバートとリームが呆れた顔をナスカートに向ける。ナスカートは苦笑いして、
「俺は大丈夫さ。しかし、カミリアは精神的にかなり参っている。俺達のアジトでも、ほとんど毎晩のようにうなされていたらしい。トレッド達の事が彼女にとって、相当衝撃的だったんだな」
ディバートは声を落として、
「それはな……。カミリアは、トレッドの事を兄のように慕っていたし、トレッドもカミリアの境遇を知っているから、随分気遣っていたしな」
カミリアは家族を旧帝国軍の攻撃で喪っている。天涯孤独なのだ。その悲しみを埋めてくれていたのが、今は亡きトレッド・リステアだった。
「そう言えばさ、ザンバースの娘って、何て言ったっけ?」
ナスカートが話題を変えようと思ったのか、唐突に切り出した。ディバートが、
「レーアだよ」
「そうそう、レーア。なかなか可愛いらしいな、ディバート?」
「ああ。そうかもな。性格はあまり良くないけどな」
ディバートがムッとした顔で言ったので、ナスカートはニッとして、
「女は性格なんかあまり関係ないよ。惚れさせちまえば、こっちのものさ」
「そういうものかな?」
リームもニヤリとした。ナスカートは肩を竦めて、
「そういうものさ。とにかく、一度拝謁したいもんだねえ、レーアお嬢様にさ」
「会ってどうするんだ?」
ディバートが仏頂面で尋ねる。ナスカートは大笑いして、
「食事より女が好きな俺が会いたいって言ったら、答えは決まってるだろ? 俺の女にするのさ」
するとリームが嬉しそうにディバートを見て、
「おい、ライバル出現だな、ディバート?」
「何の事だよ!?」
ディバートはムカッとしてリームを睨みつけた。ナスカートはまた笑い出し、
「何だ、ディバート、お前の女嫌い、治ったのか?」
「うるさいよ、ナスカート」
ディバートは怒って奥の部屋に行ってしまった。ナスカートはリームと顔を見合わせた。
「ハックション!」
噂をされたせいではないのだろうが、クラリアの部屋でレーアは大きなくしゃみをした。
(風邪? シャワーを浴びて、裸でいたからかな?)
彼女は慌ててバスローブを羽織った。
(そう言えば、婆や達はどうしているかしら? 私がいなくなって、心配しているのだろうな)
彼女は窓から外を見た。
(クラリア、早く帰って来て。怖いわ、何か……)
レーアは身震いした。
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