第一章 その三 レーア居残りを免れる

 そして、眠くなる事請け合いの化学の授業。場所を移動して、実験室。レーアはクラスメートのタイタスに代返を依頼し、先生の死角に入ると、堂々と眠り始めた。今朝、寝起きが特に悪かったので、気合いを入れて眠るつもりだ。

 しかし、彼女は甘かった。

「レーア・ダスガーバン!」

 化学の先生は、心得たもので、レーアが居眠りをするのを見抜いていた。彼はレーアがうとうとし始めた頃を見計らって、耳元で怒鳴った。

「キャッ!」

 思わず叫び声をあげ、レーアは飛び起きた。

「レーア、授業中にそこまで堂々と居眠りをするなんて、一体どういうつもりだ? 授業を何だと思っている?」

 化学の先生は、怒り心頭に発していた。レーアはヤバいと思い、

「申し訳ありません、先生」

と神妙な顔をしてみせる。

「授業態度が悪いと、進級に影響するので、もう少し気を引き締めなさい」

「はい」

 先生が背中を向けた途端に舌を出す。どうしようもない生徒である。

「これはクラス担任の先生に報告しますから、そのつもりで」

「えーっ!?」

 ヒス女史に報告? そんな事をされたら、居残りは倍になる。レーアはガクッと項垂れてしまった。

「だから言ったろ、代返なんかしても無駄だって」

 タイタスが小声で言った。レーアはその声も聞こえないくらい落ち込んでいた。


「あーあ。散々だわ」

 レーアはダラダラと歩きながら、教室に戻った。

「あれ、校庭が騒がしいぞ」

 ベランダに出た男子達が口々に言う。

「何?」

 レーアは興味を惹かれて駆け出す。

「もう復活かよ」

 タイタスが呆れる。

「あれ、警備隊の装甲車だぞ」

 その声にビクッとし、レーアはベランダに出た。

「何で装甲車なんかが?」

 パパに何かあったのかしら? それはある意味では正解だった。

「レーア、校長先生が呼んでるわよ」

 クラスメートのクラリア・ケスミーが呼びに来た。彼女は幼稚舎からの親友だ。地球最大の企業グループである、ケスミー財団のCEOの令嬢である。レーアとは違い、授業態度は真面目で、クラスのマドンナ的存在である。

「校長先生が?」

 思い当たる事がたくさんあり、レーアは目眩がしそうだった。

「ほら、早く!」

 クラリアが急かすので、レーアは仕方なく教室に戻った。

「レーア・ダスガーバン」

 校長は、何故か教室に警備隊の隊員と共にやって来ていた。

「はい、校長先生」

 レーアはその思ってもみない組み合わせの二人に驚きながらも返事をした。校長は隊員を見た。隊員はそれに頷き、レーアを見る。

「お嬢様、エスタルト総裁がお亡くなりになりました」

「えっ?」

 レーアは何と言われたのかわからなかった。隊員は繰り返した。

「エスタルト総裁がお亡くなりになりました。警備隊総軍司令官閣下のご命令で、お迎えにあがりました」

「伯父様が、お亡くなりになったの?」

 レーアは涙が頬を伝わるのを感じた。

「どうして?」

「突然の発作だそうです。とにかくすぐにお越し下さいとの事です」

「わかった。行きましょう」

レーアは涙を拭って言った。校長が声をかける。

「レーア、気を落とさぬようにね」

「はい」

 レーアは隊員と共に静かに教室を出て行った。

「エスタルト総裁がねえ……。お元気そうだったのに」

 タイタスも驚いていた。

「無理をなさっていたのね、きっと」

 クラリアが涙を拭いながら言う。


 レーアは、装甲車で連邦政府ビルに向かいながら、ショックを受けていた。

(例え冗談だとしても、伯父様が急病でなんて思ったりしたから……)

 彼女は、居残りを免れようと思いついた理由について、酷く後悔していた。

「伯父様、ごめんなさい……」

 レーアは両手で顔を覆って泣いた。


 ザンバースは落ち着き払った様子で、司令官室で窓から外を見ていた。

「お嬢様がお着きです」

 隊員の声に、彼はドアの方を見た。ドアが静かに開き、レーアが入って来た。彼女はすでに涙と鼻水で顔がグチャグチャになっていた。

「パパ!」

「レーア、来たか」

 ザンバースは、いかにも辛そうな顔になり、レーアを迎えた。

「伯父様が、伯父様が……」

 レーアは泣きじゃくりながらザンバースに抱きついて来た。

「わかっている。明日、葬儀を執り行う。しっかりしてくれよ、レーア」

「はい……」

 涙で目をまっ赤にして、レーアは父の顔を見上げた。

「……」

 ザンバースは、最愛の娘を騙している事に少しも罪悪感を覚えなかった。レーアはザンバースの胸で震えていた。

(レーア、私の兄は愚か者だったのだ。だから、死んだ。これからは私の時代だ。兄のようなバカな事はしない)

「パパは悲しくないの?」

 レーアは真っ直ぐな目でザンバースを見ている。ザンバースは作り笑いをして、

「いや。そんな事はないよ。只、未だに信じられないだけだ」

 この時から、この父娘(おやこ)は、戦う運命を背負っていたのである。

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