第一章 その二 ザンバースとエスタルト
連続遅刻記録保持者であるレーア・ダスガーバンは、クラス担任のヒス女史の命令で、居残りが決定してしまった。何とか居残りを脱走しようと考えたレーアは、「伯父さんが急病で……」という言い訳を思いついたが、彼女の伯父であるエスタルト・ダスガーバンは地球連邦の総裁なので、そんな嘘はすぐにバレると気づき、諦めた。そして彼女は、そんな嘘を思いついた事を後で死ぬほど後悔する事になる。
「居残りなんて、したくないなあ」
ヒス女史が教室を出るなり、レーアは呟いた。それを聞いた隣の男子が、
「ホント仕方がないよな、レーアは。もう少し早く起きられないのか?」
呆れ顔で言った。
「婆やの起こし方が生温いのよ。もっと激しく起こしてくれないと、私無理なんだな」
人のせいにするのは良くない。男子は思った。
「とにかく、次の化学の授業は爆睡しますので、代返よろしくね、タイタス」
レーアはウィンクと投げキッスでその男子を籠絡しようとした。初対面の男子なら、間違いなくレーアの色香に迷っただろうが、彼女との付き合いが長い彼、タイタス・ガットは、全く動じない。
「またかよ」
動じはしないが、レーアの事は嫌いではないので、ついつい代返をしてしまう。
「ありがとー、タイタス。大好きよ」
「もういいよ」
彼はレーアのお色気作戦にうんざりしているようだ。
「何よ、つれないわね。ホントは嬉しいくせに」
「誰が!」
レーアはタイタスの頭を撫でて、席を立った。
「子供扱いするなよ」
レーアより身長が低い事を気にしているタイタスは、ムッとして席を立つ。
レーアの伯父エスタルトは資料の整理に追われていた。妻に先立たれ、子供もいない彼は、よくレーアにお土産を持って来て、レーアの父ザンバースと政治の話をしていた。レーアにとってエスタルトは、とても素敵な伯父様である。
「総裁閣下、総軍司令官がお見えです」
机の上にあるモニターに秘書が映って告げた。
「通してくれ」
エスタルトは壁の地球時計に目をやり、
「こんな時間に何の用だ?」
眉をひそめた。
「忙しそうだな、エスタルト」
ザンバースはドアを開くなり言った。エスタルトはザンバースを見上げて、
「どうしたのだ、ザンバース? 時間がかかる用事なら、後にしてくれ」
「いや、手間は取らせないよ。すぐにすむ」
ザンバースは机の前にあるソファにゆっくりと腰を下ろした。エスタルトは資料を置き、
「用件を聞こうか」
ザンバースはその声に応じて兄を見た。エスタルトは弟の表情が読み取れず、困惑した。
「実は、君に総裁を辞任して欲しいのだ」
「何だって?」
エスタルトは立ち上がった。
「冗談を言いに来たのなら、帰ってくれ。私は忙しいのだ」
ザンバースはそれには答えずに、
「秘書に席を外すように言ってくれないか」
兄を睨むような目で見た。エスタルトはモニターのマイクをオンにして、
「二人だけで話がしたい。しばらく席を外してくれ」
「わかりました」
エスタルトはザンバースを見た。
「さあ、冗談ではないなら、理由を聞こうか」
ザンバースはソファに身を沈めて、
「君は無能だ。愚かな連邦国民は、君を讃えているがね。私はそうは思わん」
「……」
エスタルトは何も言わずにザンバースを見ている。ザンバースは続けた。
「君が、我々の父であるアーベルを皇帝の座から引き摺り下ろして連邦制を施行して以来、軍隊というものが消滅した。君は連邦政府に軍隊は不要としたが、私はそれに反対し、一年後にようやく連邦警備隊という、ごくわずかに戦力を有する組織を認めさせた」
「軍隊などいらんのだ。人類が争い事に巻き込まれるのは、武器を持っているからなのだ。一つの国にまとまった地球には、軍事力は必要ない」
エスタルトは、またその話か、とうんざりし、反論した。もう何十年も繰り返して来た議論なのだ。
「その通りだ。しかし、旧帝国の失業軍人達とその遺族達が、常に君の命を脅かし続けて来たのも事実だな」
ザンバースはせせら笑うような顔で言い返す。エスタルトはカチンと来て、
「お前はそれを理由に、私に警備隊の創設を認めさせた!」
「そう。しかしそれは、君にとってもいい方法だったはずだ。だが、警備隊にも限界がある。帝国の混乱時代に各地に誕生した暗黒組織の力は、警備隊の力に数倍している。その事を国民に訴えてわからせようにも、彼等は無知過ぎる。軍事力即ち悪の公式が、頭の中に根付いているからだ」
ザンバースのその言葉に、エスタルトは椅子に戻り、穏やかに反論する。
「それでいいはずだ。暗黒組織の力が警備隊に優るのなら、警備隊を強化すればいい。軍隊にする必要などない」
ザンバースは更に反論する。
「彼等の力は、旧帝国軍の一個師団に相当するほどなのだ。いくら警備隊を強化したところで、太刀打ちできるものではない」
「敵わん相手なら、懐柔策を講じる方法もある」
エスタルトの提案に、ザンバースは彼を睨みつけた。
「今更そんな事が通用するものか。連邦制が施行されて、三十年が経つのだぞ。彼等の怒りが、そんな事で解けようはずがない」
「ではどうしろと言うのだ!?」
エスタルトはまた声を荒げた。ザンバースはソファから立ち上がり、
「だから、君に総裁を辞めてもらうのだ。君がやって来た事は、連邦に敵を作る事だけだ。そんなやり方では、連邦政府もいつか崩壊する。旧帝国のようにね」
と言うと、エスタルトに銃を向けた。エスタルトは弟のしている事に目を疑った。
「……」
「答えは二つ。総裁を辞任するか、ここで死ぬか、だ」
弟の言葉に、エスタルトは計り知れないショックを受けていた。
(ザンバース、お前は私達の父親にそっくりではないか……。またあの帝国の愚挙を繰り返そうと言うのか?)
エスタルトは毅然とした顔でザンバースを睨み返すと、
「答えはノーだ。私はお前の脅しには屈しない」
「残念だよ、エスタルト。私は脅しなどしない」
総裁室にプシュッという小さな銃声が響いた。
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