終章②

 所変わって、錦守アキラは試合前にスタメン表を交換した控え室にいた。少し遅れて、彼の目の前に転送されてきた陽目葵が現れる。お供の『マネージャーカード』の姿は見えない。

 陽目は近くにいた錦守にペコリと軽く会釈をした。ふん、と不機嫌そうに顔を背ける錦守。

「……さっさと勝者の権利を行使しろ。知らぬわけではあるまい? 勝者は敗者からカードを一枚、もしくは現金を得ることができると」

「…………、」

 この時男は、ほぼ確実に『風神』を失うことを覚悟していた。もう一枚Sレアもいるが、それでも価値的に『風神』の方が明らかに上だからだ。戦力に偏りでもない限り、近衛一本は取らないだろう。

 錦守のぶっきらぼうな言葉に対してえー、と眉を顰める陽目。彼はやはり不満そうに言った。

「何か、感想戦みたいなのってないんですか? 将棋みたいな」

「馬鹿かお前は……! 誰が好き好んで、これ以降も敵となり得る奴にわざわざ弱点を教えるというのだ…………!?」

「いいじゃないですか別に。どうせいつかは気付くんでしょうし」

「それでもだ。……なら、俺から先に一つ聞こうか。お前はあの最後の――九頭竜坂の打席、どうして直球だと解っていた? どうしてあそこまで踏み込んで打てた?」

 これは答えづらい質問だと、我ながら思う。守備難や苦手なコースは練習を重ねれば対処可能だが、癖の類となると無意識による場合が多く、映像を見直しても遥かに見つけづらい。見つけたとしても、そこから新たな癖が生まれてしまうなんてこともある。

 陽目葵はおそらく、対『風神』を予測した打撃練習をかなり積んできていた。カーブも縦スライダーも、おおまかな軌道を事前に読んできたからこそ、序盤で見極めることができたのだろう。――唯一、シンキング・ファストボールだけは見逃していたようで安堵したが。

 自分でも嫌な性格をしている、と皮肉げに笑っていると、陽目は「なーんだ」と言わんばかりの軽い調子で、

「あ、癖とかそんなんじゃなくてですね、あの場面は直球しかないと五……いや、六割くらい絞って打ちました。投げてこない可能性もわりとあったんで、もしそうなったら終わってました」

 そんなことを言ってのけた。不思議と嘘を言っているようには見えなかった。

 あの勝負を決めた最後の一球。高めに伸びる最高のストレートだった。あれは変化球待ちで対応できるようなボンクラストレートでは断じてない。それを直球と読んで打ちにきたのは、単なる胆力の為せる業だったとでも言うのか。

 さらに訝しむような顔つきになった錦守を見て、陽目はなおも続ける。

「あの風の中、デメリットのあるカーブはまずありません。次に、シンキング・ファストボールもないと考えました」

「それは何故だ? 打ち取るなら、あれほど効果的なボールはないだろう?」

 これは半ば意地悪をする感覚で問いかけた。錦守もあの状況でシンキング・ファストボールを投げるつもりはさらさらなかったからである。

 それを見透かした風に、陽目は答えた。

「四球目に、自分は高めをファールフライにしました。完全にボールの下を叩く当たり損ねです。――――だったら、その誤差を自ら埋めるような『沈む(シンキング)直球』を投げてくるはずがないじゃないですか」

「……確かにそうだ。馬鹿なことを聞いたな、これは」

 あれは、甘い球を確実に捉えられる技量を持つ者だけに通用するボールだ。下手くそでも厳しいコースを突き過ぎるのも駄目。あくまで手を出させるのが目的なのである。

 シンキング・ファストボールは直球よりも威力に欠け、見切られた相手には使いづらくなってしまう。追い込んでいたが、どうしても投げる気にはなれなかったのだ。たとえ低めに投げようとも。

 ここまでは錦守の意図を的確に辿っている。次がサインを出した彼自身も曖昧にしか解っていない領域である。

「――なら、縦スライダーはどうして捨てられた? あれは決め球に最も適していると言っても過言ではない球種だろう。何故、あの場面でストレートを待つことができた?」

「…………、」

 おそらく陽目にも確たる自信はないのだろう。自分の考えを纏めているような沈黙が下りる。

 やがて少年は閉ざしていた口を再び動かして、

「貴方が、『風神』に対して絶大な信頼を宿していたように見えたから、です」

「何……?」

 最も重要な分岐点は、癖だとか配球を読んだだとか、そういう高度なものではなく――――ただの精神論。それに自分の命を預けるなど、胆力云々ではなくもはや変人のすることだ。

 そんな気が触れたような戯言を、しかし陽目葵は胸を張って言う。

「あの場面、最も効果的だったのは縦スライダーです。そうしておけば九割勝てる勝負でした。しかしそれは『風神』にとっての一番ではない。――『風神』にとってベストの結果は、自らを体現する暴風で、なおかつ威力を増した直球で三振を取ることですから」

 あの強烈な追い風の中、少年の言う通り最も威力を発揮するのは高めの直球だ。三、四キロ増した速球を高めのコースに投げ込めば三振を比較的取りやすくなり、加えてバットに当たってもフライになりやすいのだから。

 『風神』にしてみれば、高めのストレートこそ自分の力を誇示するに相応しい選択だった。

「……なるほどな。それは一見合理的に映るが――それを支えているのは信頼などという不安定な礎だ。そもそも、何故俺が『風神』に信を置いていると解る?」

「解りますよ」

 だって、と陽目は矢継ぎ早に続ける。

「――――貴方も自分と同じ、根底には『カードが大好き』っていうのがあるはずですから」

 馬鹿げている。そう一笑に付すこともできただろう。

 けれども、その言には力があった。言い返す言葉は思いつくが、それを間接的に塞ぐような――そんな意志が宿っていた。

 錦守にできたのは、精一杯の小馬鹿にした感想を返すだけであった。

「カードが好き、で生き延びることができる世界ではないぞ、ここはな」

「ですが、嫌いよりも好きであった方がプラスだとは思いませんか?」

「信頼しているとはまた別の話だろうよ。第一、そうだとしても何故お前に解る?」

「あの場面で直球を投げた。それ自体が答えだと思いますが」

「それは…………」

 言って、気付いた。彼の言葉に対し、次第に否定を発することができなくなっているということに。

 『昇格戦』で負けて以降、錦守アキラは選手たちに対して余計な期待を抱くことを捨てた。カードの性能で劣っていた時に、ものを言うのは己の実力だと気付いたからだった。

(カードはただの駒で、大事なのは自分の力量。……あの時のように、カードを失って塞ぎ込むようなことがないよう、選手に依存するのは卒業したはずだったのに――――)

 自分は、またも同じ過ちを繰り返していたのか。

 頭は弱い。心は弱い。――ああ、これではあの頃と何一つ変わっていないではないか、と。

(知らず知らずのうちに、『風神』という圧倒的な存在に寄りかかっていたことに、負けてようやく気付くとはな……)

 本当に愚かだったのは、自分だったのだと。彼は気付いた。

 陽目はまだ何か言いたそうにしていたが、錦守はそれを止めて本題に入るよう促す。

「さっさと報酬を持っていけ。カードを選ぶんだろう?」

「……ええ、まあ」

 彼は自分の手持ちカードを纏めてある専用のカードホルダーを相手に手渡す。これは敗者が勝者に必ず見せなければならない代物で、万が一強力なカードを隠し持っていても見つけられるようにとのことだった。

 それを閲覧している陽目は「雨傘選手って雨天時にステータスがランダムで二つ上がるのか」などと興味深そうな様子だ。ここからも彼のカード好きの性分が窺い知れる。

 十分程度じっくり堪能した陽目に、「もういいか」とややうんざりした風の錦守。ハッとなった少年はゴホン、と一つ咳払いを入れて、

「決めました、もとい最初から決まってました」

「……まあ、だろうな」

 十中八九『風神』を選ぶに違いない。陽目のチームには投手にSレアが一枚だけ在籍しているものの、価値も総合力も段違いだ。相手に敗れた時点で、彼女を失うことをとうに覚悟していたのだが、それでも胸にぽっかりと空洞が生まれた気分になる。なってしまう。

 すう、と陽目は勿体ぶるように息を吸って、要望を口にした。

「――――陽目葵は『近衛一本』を相手チームから奪います」

 そう、公式に宣言した。

 聞き違いか、と自らの耳を疑わずにはいられなかった。嘘か真か、それを確かとするために返却されたカードホルダーを漁り――やはり、『風神』の代わりに近衛一本が抜かれていた。

 それと陽目を見比べるように顔を上下させる錦守。男は慌てた風の口調になって、

「ど、どうしてだ! どうして、『風神』を奪わなかった!? 情けをかけたつもりか!?」

「そんなことは、」

「もしくは野手不足だからか!? だとしても、最悪『風神』を売りに出すかトレードして、Sレア野手を引いた方がよほど利益が出る! そんなことも計算できんほどお前は阿呆だったのか!?」

「ステイステイ。落ち着いてください」

 宥めるように両手を前に出す陽目は、少し不思議そうな顔を作って尋ねてきた。

「錦守さん、貴方は『風神』を奪われたいんですか?」

「……っ! そんなわけ、ないだろう。あれは、俺の今後を照らす光だったものだ。彼女を失えば今度こそ復帰の道は難しくなる。たとえ、近衛一本が手元に残ろうともだ」

「じゃあ良いじゃないですか。自分は目当ての選手が取れて、貴方は大事な選手を手元に残せる。ウィンウィンってやつですね」

「それが情けというのだ! 良いか、その奇天烈な脳みそに繋がる耳を風通し良くして聞け」

 結果的にラッキーなはずの立場の錦守が、馬鹿なくじを引いた敵に説教をするなどという、何とも奇妙な構図が出来上がっている。

「野球は投手って格言があるが、これはまさしく正論だ。点を取られなければ負けないのだから、当然だな。その点、お前のチームの九頭竜坂はエースとしてはやや不安が残る。性能面もそうだが、九回を完投できるだけの万全なスタミナがないからだ。今日は上手く配分できていたが、これからもそうだとは言えない」

 控えの投手が脆弱だと露呈されれば、以降の相手チームは粘り打ちでとにかく球数を放らせてくるだろうし、そうなれば七回投げきれるのが限界ということにもなりかねない。彼女と同等程度の実力者を補強しない限り、この問題は一生付き纏うのは明らかである。

「正直、九頭竜坂は適正こそ先発となっているが、本来はリリーフとして役に立つ投手だろう。あの強力なスキル――【昇り竜】は、連発すればおそらく三、四十球が限界のはず。それを混ぜて配球を組むとしたら、四イニングを確実にゼロで抑えられる実力がある。……つまり、『風神』を先発に据えて、残りを九頭竜坂が務める。この形ができれば、Eランクまでなら他を寄せ付けないことも可能だろうさ。それをお前は、みすみす逃すような真似をして……!」

 解せん、と怒りやら呆れやらが入り混じったような微妙な表情をしている錦守を見て、それが面白かったのか陽目は若干顔を崩した。

「遠慮しているとか、本当にそういうんじゃないんです。元からこの試合に勝てたら近衛一本を選ぼうと心に決めていたんですよ」

「だから、それはどうしてかと聞いて…………っ!」

 不意に少年の眼がどこか遠くに向けられたように感じた。自分の中で大切な約束を振り返るような、そんな眼差しをしていた。

 口を噤んだ錦守は、陽目の次の言葉を待つ。

「……約束したんですよ。近衛一本の前所有者と、いつかこの舞台で試合をしようと」

「…………それだけか? それだけのために、お前は価値の低い方を選ぶのか?」

「価値がどうとか、そんなものは当人たちにしか測れないものもある――そういうことじゃないですかね」

 刹那、彼の胸中に舞い降りたのは様々な感情が混濁し、未知なるものへと変貌を遂げた何かだった。

(自分はこんな男に――いや、こんな男だからこそ、負けたのか)

 大事な試合で二敗を喫した男は、今度こそ塞ぎ込む気概など湧かなかった。むしろやること為すことが多過ぎて、明日への渇望すら湧いてきている。

 報酬の受け渡しが完了し、再び転送が始まる。この球場に入る際にいた、『チーム戦』専用の『スタジアム』へと戻る。そうなれば陽目と接触する機会は『チーム戦』か、同盟を組もうとする場でしか実現しなくなる。その前に、彼は少年に宣戦布告を叩きつけてやることにした。

「――いいか。俺はまだ領土を全て失ったわけではない。いずれまた、お前にリベンジを果たして……そこで勝つ。せいぜい、その甘えを押し通せるくらいには、強くなっておくことだ」

 これが生来の性根なのか、それとも『風神』の威風堂々さに当てられたのかは定かではないが、敗北直後の忌々しさはとうに消え去っていた。

 陽目はこくり、と小さく頷き、心底楽しみにしているのだろうと解る笑みで、転送間近にこう言ってのけた。

「じゃあ、また一週間後攻めに行きますね」

「ごめんそれはちょっと準備整ってないだろうから勘弁してくれ」

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