第四章④
てっきり陽目葵には、Sレアを二枚は保有しているのだとばかり思っていた。
『風神』シルヴィア・アレクサンドラという、他の追随を許さぬ圧倒的なSレアを持っている上に、野手の中で高位に属する近衛一本を有していたのだから、当然相手もそれに対抗できる戦力を持っていると考えるのが普通である。
――しかし、それは違った。陽目はSレアこそ一枚は持っていたものの、お世辞にも優れた投手とは言えず、むしろ使い勝手が悪そうだなとさえ思った。加えて自分側に有利な球場設定だ。試合が開始する前からほぼ決着はついている――と。
(だとしたら、今のこの状況は何だというのだ?)
スコアにして三‐二。試合前想定していたスコアの影は見るまでもない。気を抜いたら一瞬で捲られる――それはあたかも、死地の一歩手前で斬り結んでいるような感覚だった。実際、それは的を射ていた。
この回は九番から始まる打順だ。三人で打ち取ることができれば、クリーンナップに回さなくて済む。――何より、四番の九頭竜坂に回すようなことがあれば、いよいよ勝負の行方は見えなくなってくる。『風神』は打席での借りやら今日二安打されていることへの借りやらで、もう一度勝負してみたいと考えているようだが、ここはチームを優先してもらうしかない。心なしか、近衛も平時より苛立った表情を見せている気がする。
選手たちに気を配っていると、突如アナウンスが鳴り響く。――選手交代を告げる合図だ。
『陽目ファイターズ、選手の交代をお知らせします。バッターカルロスに代わりまして、代打豹伯爵。バッターは、豹伯爵』
呼ばれ、出てきたのは半人半獣の選手だった。手袋なしのおかげで見える爪は鋭く、顔は人間のそれを母体として毛深く――相手を食い殺さんと睨む双眸が際立っていた。
(あれは『獣シリーズ』の……! 奴め、雨天候を想定していたな)
『獣シリーズ』は、文字通りライオンや象などの動物が選手となったものである。特徴として、基本ステータスは高いが理性は半分飛んでおり、特に肉食動物はマスターとの同調がほとんど意味を為さない。少し介入できたとしても、フルダイブできる人材はいたとしても一人のみだろう。
(そしてもう一つは、『獣シリーズ』は悪天候の影響を受けない。使い勝手の悪いカード故に、その使い手以外はすぐに売りに出す傾向があるが……、わざわざ控え枠の一つを潰してまで入れてくるとはな…………)
可能性の一つとして考慮していたのだろうが、『獣シリーズ』は総じて脅威になり得ない。今話題の獣使いのマスターがBランクにいるというが、そういう類いでなければまず問題なく打ち取れる。
それらは野球の知識を得ているものの、基本的に暴走しがちである。指示を無視して盗塁し出すし、ボール球も見境なくスイングする。
(長所も短所もはっきりしているところが、『獣シリーズ』の特徴だな。俺では上手く運用できそうにない、が……対戦した時のセオリーは、ボール球で三つ振らせることだったな)
その攻略法でたいがいケリがつく。理性が飛び、マスターの補助を受けられない『獣シリーズ』ならではの配球である。雨対策をしてきたことは称賛に値するやもだが、それならばこちらの雨傘のように『人間』を用意するべきだった。
『風神』はまず初球に内角高めに外れる直球を投げた。未だスタミナの衰えを見せず、それは的確に指示通りのコースを突く。
――が。それは想像に反して、ポーンとライト前へと飛んでいった。
これには打たれた『風神』も意外そうな顔をする。それは錦守とて同じであった。たとえ手を出してきてもファールだろうと目論んでいたのだから、当然と言える。何故、と原因を探っていると、ハッと気づく。
それから敵側ベンチにいる陽目に目をやって、
(あいつめ……、さては『コモンスキル』の一つ、【悪球打ち】を豹伯爵にインストールしていたな……! こっちがボール球で釣りにいくのはお見通しだった、いや、そもそもこれを見越しての代打だったのか)
『コモンスキル』とは、全選手に使用可能であるスキルカードのことである。その代わり、大して役に立たないものやデメリットの方が大きい代物だったりと、特定の場面でしか使えないというのが大半なのだが。
たとえば先の【悪球打ち】ならば、『ストライクゾーンを打てなくする代わりに、ボール球に対して一定の補正を対象にかける』というもので、ストライク球は一切打てなくなる上に、メリットのボール球打ちも確実ではないのである。ボールを振らせるタイプの投手に対してだったり、今回のように『獣シリーズ』に使用するのがベターだ。
(てっきり雨に強いから『獣シリーズ』を出したのだとばかり考えていたが……それを隠れ蓑にするとはな。……いいや、今回は俺が未熟だっただけか)
とはいえ、先ほどの手はもう使えないはずだ。『風神』はストライクゾーンで勝負するタイプの投手であり、次以降は確実に錦守も警戒するからである。
――状況変わって、無死一塁の場面。相手は当然出塁した豹伯爵に代走を出した。おそらく攻撃側は固くバントを選択してくるだろうが、それに対応して錦守陣営に取れる手段は二つある。
一つは『バントをさせずに二死走者なし、または一死一塁に持ち込む』ことだ。これだと定石通り攻めるなら内角高めに速球か、もしくは鋭く落ちるスライダーか。この二球種は比較的バントしづらく、失敗を誘うならこのどちらかだろう。あるいは内野が猛プッシュをかけて二塁封殺を狙う、などが対策として挙げられる。
もう一つはあえてバントをさせてワンアウトをもらう、というものだ。前者はややギャンブル要素が多く、裏をかかれてバスター――バントの構えから一転打ちに出ること――をされたら無死一、二塁の大ピンチを迎えてしまうのだ。しかしこの作戦なら堅実にアウトを一つ取れる、悪く言えば消極策である。
もしかすると、バントはせずにヒッティングを選んで最悪進塁打を狙ってくるかもしれないが、そうなれば『風神』の実力でねじ伏せるまでだ。
数分間の熟考後、錦守は決断を下す。
一番小動への初球は低めに落ちるスライダーでボール。二球目は、やや高めの直球を確実に打者がバントで三塁側に転がして二塁へ進塁させる。――錦守の判断は『バントをさせる』ことであった。
(これでいい。一打同点のピンチに見えるが、良いところへ飛ばさない限りそうそう帰っては来られないだろう。この試合、打たれた長打は四番の一本のみ。多少外野が前進守備をしたところで、その頭上を越えられる者はそれこそ四番しかいない)
加えて、錦守が最も恐れるのは同点ではなく、逆転――サヨナラ負けを喫することである。同点でこの回を終え、延長戦ともなればすでに限界気味の九頭竜坂は確実に崩れる。対して『風神』はまだ延長で二、三回投げられるだけのスタミナを残している。
一死二塁。確実に一打同点の場面を作りたいなら、またバントをさせるというのもなしではない。それが成功して回ってくるのは三番だ。二番がタイムリーを打つよりはまだ期待が持てる。だが、まず八割方そこで『陽目ファイターズ』の反撃は終わる。錦守はバントをまったく警戒することなく、外野をやや前進させた布陣で臨む。
初球ストライク、二球目ボールとなりカウントは一‐一。次の三球目――二番沫住は何とここでセーフティバントを敢行した。三塁側へ、ややプッシュしたような打球が転がる。
これを見た錦守はしめた、と口が緩む。
(バントにしては打球が強い。三塁へ投げられるか……? いや、迷うな。ここは確実に一塁へ投げてツーアウトに――――)
三塁手と同調して前へダッシュする彼の顔は、瞬く間に歪んでしまう。
沫住の転がした打球は、雨でぬかるんだグラウンドによってヨロヨロと停止し、通常のバント処理の位置より手前で止まってしまったのだ。本来ならキャッチャーが処理するであろう打球だが、サードが捕ると判断しホームベースから離れる足が出遅れたことと、二塁ランナーがその隙にホームを狙ってくるかもしれない懸念から、捕手は前へと出ることが許されない。
沫住は何の躊躇いもなく一塁へと疾走する。投手と打者との戦いから一転、守備と走者との戦いへと変わる。サード近衛は持ち前の守備力を披露するかのように、捕ってからが早い見事なフィールディングで一塁に送球する。
打者の足が一塁ベースを踏むのと、サードの送球がファーストに到達するのはほぼ同時であった。判定は――――
「――セーフ!」
一塁塁審の両手が大きく横へと広がる。駆け抜けた沫住は安堵の表情を、内野安打を許した近衛は苦い表情をしていた。
――いや、それよりも遥かに苦い顔をしていたのは、錦守アキラだった。
(またしてもやられた……っ! 一番の送りバントの時、打球処理の際にその周辺をスパイクで荒らしていた……。そこへ二番が狙い澄まして再び転がしたのか…………! 九番への代打といい、今のといい……本当に陽目葵は単なるルーキーなのか!?)
前回対戦者の大名寺蓮華と違って、彼は『スタジアム』でも無名に等しかった。彼女のように『スタジアム』のベストナイン――公式ではなく観客たちによるもの――に選ばれてもいないマスターの技量とは、どうしても思えなかった。まだ上位ランクの息子だという方が納得がいく。
まず間違いなく、彼の技量はすでにEランクマスターのそれに匹敵している。及ばないのはカードの性能だ。彼の実力に見合ったカードを与えれば、将来どれだけ上に行けるか楽しみな存在である。
(あの男の試合は、良くも悪くも人を惹きつける力がある……。世間的に見れば、俺はかませ犬であるべきなのかもしれん。だが、それでも! 俺もこんなところで挫けるわけにはいかないのだ!)
キッと心を入れ替えて、改めて状況を確認する。
一死一、三塁。外野フライでも併殺崩れでも一点の場面だ。そして打順は三番――この打者をダブルプレーにでも仕留めない限り、ほぼ確実に四番九頭竜坂へと回る。この際ここで切るのは諦めて、ひとまずこの打者で確実にツーアウトにすることが先決である。
(ゴロを打たせないのなら球種は縦スライダー……あるいはシンキング・ファストボールだ。相手の三番は巧打力もあるから、無理に手を出せば注文通りの内野ゴロに打ち取れる公算は高い、か)
――そんな定石通りの配球で勝てる相手なら、ここまで頭を悩ませていないか、と自然と湧いた案を否定する。定石とは即ち、相手もそれを熟知しているということ。どうも陽目葵は、腹の探り合いに関しては一枚上手と見える。隠し玉たるシンキング・ファストボールが見破られている以上、このピンチで安易に頼るのは危険だろう。
ならここは、と『風神』に対しサインを出す。彼女に再度スキルで『風』を使うように指示したのだ。見破られてからここまで封印してきたが、追い風であればまだこちらに有利に働く面が多い。それを有効活用させてもらおうとの企みだ。
その初球、三番オーヴィスの内角を一四七キロの速球が抉る。球威もコースも申し分ないそれは、たとえ『速い球が来る』と解っていても打つことを妨げる。
二球目、『風神』は追い風にもかかわらず緩いカーブを投じた。いつもより少し速いそれは、万一にもストライクの枠内に入らぬよう、はっきりと外れていると解るほどアウトコースに収まってボールの判定。三球目はそれを活かし、またもやインコースへと速球を放る。打者もこの配球を読んでいたらしく、ピクッとバットが反応し――――見逃す。読み切ったと思われた緩急のピッチングはしかし、甘美な罠に過ぎなかった。そのボールは打者の手元で僅かに沈むシンキング・ファストボールだったのだ。
あわよくばこれを打たせてゲッツー、何とか本塁封殺を狙っていた錦守は、陽目の直感に対して舌を巻く。無能なマスターであれば、配球を読み切れず手が出なかっただろう。少し聡明なだけのマスターであれば、好機と睨み手を出して今頃地獄を見ていただろう。されど陽目は二重に仕掛けられた罠を寸前で看破し、不発にしてみせたのである。超一流であれば、それら全てを読み切った上でサヨナラを決めていただろうが、まだ実戦の浅い少年にそこまで求めるのは酷というものか。
だがしかし、これでカウントは一‐二。圧倒的に投手有利のカウントとなった。一球ボール球を挟んでもなお、余裕のあるカウント。錦守はそれを考慮し、外角低めへのスライダーを指示した。コースはギリギリに設定し、ボールになっても構わないという意思だ。無論、絶妙なコースに決まれば万々歳だし、ゴロを打ってくれれば絶頂ものだが。
『風神』の左腕が唸る。ホームベース手前で急降下したボールを、打者はどう判断したのか見送った。
「――ストライク! バッターアウト!」
判定はストライク。外角低めギリギリの、それこそ審判の『癖』によってはボールと取られてもおかしくないところへ決まった。見逃し三振。結果的に見れば三番を一度も振らせることなく三振に切って落としたのだから、上々の投球内容と言える。
この結果を前にしても、錦守はなお不満顔だった。気を抜いてない、と言えば聞こえはいい。
(手が出なかった、というのもあるだろうが、おそらくは無理をしなかったといった方が正しいな。下手にゲッツーを打つよりも、三振で終わる方がマシだと考えたか。……食えん男だ)
――それも作戦の一つであろう。次の打者は、『陽目ファイターズ』の中でも長打力がずば抜けた選手だ。サヨナラを演出するのなら、彼女の方が向いている。ウグイス嬢が、その者の名前をコールする。
『四番、ピッチャー――九頭竜坂』
ここまで錦守たちを苦しめてきた主因の一人。投球でも打撃でも、彼女は悉く良い場面では結果を残してきた。勝負強さ――ステータスにはないが――で言うなら、きっと両チーム一に違いない。
二死一、三塁。あとアウト一つというところまで追い込んだ錦守は、彼女を前にある決断を迫られていた。
(……このバッターを歩かせるか、否か――――)
敬遠を選択すれば二死満塁となり、一打サヨナラの危険性は大いに増す。しかし九頭竜坂との勝負は避けられる上に、満塁と守りやすい状況を作ることもできる。策としてはないわけではない。
二、三塁であればもっと思い切り良く敬遠を指示したはずだが、こと一、三塁だと一塁走者を二塁に進ませてしまうのは痛手だ。どうするべきか――――
『――マスターよ』
悩む錦守の脳内に、直接呼びかけてきたのは『風神』シルヴィア・アレクサンドラであった。彼女はその凛とした声にやや怒気を含めて続けた。
『貴様、よもや余があのような二流に打たれる、などと本気で危惧しているわけではなかろうな? ――だとすれば、貴様は余のマスターに相応しくない。言ったはずだ、余は等しく【神の子】であると。その凡百の存在と一線を画す者が、こともあろうに格下との勝負を避ける? そんなことはあってはならん!』
確か、最初の邂逅の時も、彼女は不遜にもそう言ってのけていた。仮初とはいえ、主に向かって『貴様』と言い、従わせるにも相当苦労したものだ。
――その時の『風神』は、さも当然のことのように言っていた。
『貴様が礼節を以て尽くすと言うのなら、余はそれに対して真摯に応えようとも。神とは、須らく与える側の存在なのだ。決してその逆ではないのだからな』
事実、錦守は『風神』に絶大な信頼感を寄せた。朽ち果てようとしていた自分の心を救ったのは、紛れもなくこの『神』だったのだと、ようやっと思い出した。
彼女を有している以上、勝利することは当たり前で、するべきは対外に『神』の存在を知らしめることだ。強者から逃げて勝利を拾う姿に、失笑はあっても畏怖は芽生えない。そのような品位を損ねる行為など、できようはずもなかった。
「……そうだったな」
錦守は、彼女からの叱咤にも鼓舞にも聞こえるそれを、深く噛み締めるように頷いた。『風神』との出会いで、誓ったことを危うく忘れるところだったと。
「時がどれだけ流れ、状況がどれだけ悪化しようとも――俺たちの関係性は、変わらない」
ふん、とマウンド上の『風神』は尊大に鼻を鳴らす。
ベンチとマウンド、二つの間に距離はあるけれど、二人の思いはここに来て完全なる同調を果たした感覚が芽生える。
「余に――――」
「お前に――――」
それは、他のマスターから見ても歪な関係であった。
「――――任せろ!」
「――――任せるぞ!」
――それは、二人だけの主従の形。マスターとカード、本来明確に区別された上下関係を逆転している。まさしく歪な関係性だが、不思議と型に嵌っているようにも思えた。
錦守アキラは、あたかも忠義を示す儀式であるかのように、一枚のカードを取り出す。
「――シルヴィア・アレクサンドラ。『アクティブスキル』発動――――」
まさしく神へと捧げるように、それから放たれた光は『風神』を激しく包み込んだ。
「――――【暴風神】!」
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