第三章⑨
「ひょっとして、気付かれたか……?」
先ほどの『陽目ファイターズ』の攻撃を振り返って、錦守アキラはそう感じていた。
四番である九頭竜坂雅に対する、シルヴィアの投じた四球目のシンキング・ファストボールを無理矢理カットしにいっていたのである。確実に手を出させるためあえて甘いコースに投げ込んでいたというのにもかかわらず、だ。
(もしそうだとしたら、少し面倒なことになるかもしれんな。あれでほとんどの打者を打ち取れていたというのに、見逃されるかカットされるとなると、球数が少し多くなるリスクがあるからな)
以前の、まだ青かった自分であれば間違いなく見逃していた違和感を覚えた彼は、ここまで戦ってある程度相手のことを認めていた。
(これほどこちらに有利な条件で戦っておきながら、結局得点できたのは初回の二点のみだ……。あのSレアのストレートが経験がないくらい速いとはいえ、所詮はストレート一本しか投げられない投手なのに、だ。シルヴィアも徐々に捉えられてきている。情報が出回ってくると、相手は当然研究し対策を練ってくる。……これから上に行く時の永遠の課題だな)
思えば、大名寺蓮華もそうだった。スコア上は三‐〇と完勝している風に窺えるが、実際は、彼女のナイフは錦守の首元に突き付けられていたのだ。シンキング・ファストボールの存在を早い段階から掴みかけ、そこで投げるのを止めたからバレずに済んだものの、あと二イニングあれば負けていたのはこちらだったかもしれない。それほど彼女は強敵だった。
そしてこの男も、いつの間にかシンキング・ファストボールの正体をほぼ掴んでいると見て間違いない。このことを周囲に流布されれば、これまで以上に『風神』の対策は取られるだろう。
(だがこの試合……勝つのは俺だ!)
Gランクでこれ以上足踏みを続けるわけにはいかない。地盤はもう充分に固まったはずだ。
これまでの二戦で得た経験を持って、錦守はFランク以上を目指し邁進することを誓った。そのためには――こんなところで負けてはいられない。そも、負けるはずがない。
何故なら彼には、自分を救い上げてくれた文字通り『神』様が傍にいるのだから。
*
六回表、九頭竜坂はピンチを迎えていた。無死一、二塁でバッターは二番水傘である。
正直言って、彼女は三、四番と同程度にこの小柄な水傘も厄介な相手だと感じていた。ここまで三打席対戦して、四球を二つ出している。高低のストライクゾーンが異様に小さいことを意識し過ぎて、なかなかストライクに投げられないのである。
しかし、ここで歩かせてしまえば無死満塁の大ピンチを作り上げてしまう。加えて、次の打者はSレアの近衛とシルヴィアである。そうなったら最悪一点は覚悟しなくてはならない。そんな自分の首を絞めることはできないのだ。
――その考えこそ、最大の油断であった。
ストライクに入れようとし過ぎて、結果彼女の腕は縮こまり勢いのない棒球がやや高めに浮く。そしてそれを、水傘は見逃さない。見た目は子供でも、筋力値は『E+』もあるのだ。
カーン! と振り切った打球は一、二塁間を鋭く破る。その打球はぬかるんだグラウンドを転がることで、その勢いが徐々に死んでいく。それを見た二塁走者が一気に本塁を狙う。ライトの柳屋はスタートの良かったそのランナーは刺せないと判断し、同じく三塁へ向かっていた一塁走者を殺すためにサードへと遠投を行う。ボールがサードの胸元へ正確に返って、滑り込むランナーと重なり――――
「――アウトっ!」
三塁塁審の手が高々と上がる。連鎖するピンチを食い止める好プレイだが、点差は三‐〇と広がってしまった。なお一死一塁で回ってくるバッターは今日二安打の近衛一本。
これ以上追加点を取られるのは不味い、と考える陽目と思考が一致したのか、綴町がアワアワと狼狽えながら肩を突いてくる。
「ま、マスター! これ以上の失点は致命傷になりかねませんっ! 九頭竜坂の『アクティブスキル』を使いましょう!」
彼女の進言に対し、彼は首を振って拒否する。
「いや、まだ切り札を切るには早い。勿体ぶるわけじゃないけど、アレは強力な分スタミナの消費が激しい。ここまで球数を抑えてきていても、スキルを使えば九回完投ができなくなってしまう」
「いや、しかし…………!」
「大丈夫。スキルなしでも何とか凌いでみせる」
発言が男前なのは良いですけど、ちゃんと有言実行お願いしますね!? とベンチ内で騒ぎ回る綴町。彼女が慌てている分だけ、自分が冷静にならないと。そんな気持ちにさせられる。
ザッザッと繰り返し足場を固める近衛の目は、九頭竜坂を見ていない。彼自身の性格からして、誰か一人の投手をライバル視することなど本来ないのだろう。けれど、九頭竜坂は違った。打席に立つ男に前回対決の記憶がなかろうと、こっちには因縁があるのだと言わんばかりに睨みを利かせている。
その対決の初球。強気な性格が存分に表に出たような内角への渾身の速球が突き刺さる。その球はこの日最速を記録した一五四キロだった。とても雨でステータスが低下しているとは思えないほどのボールの圧力。
二球目。外角低めに制球されたボールに対しバットを出すも、左に切れてファール。初球の内角が残像として機能し踏み込みを浅くさせたのだ。
そして、三球目。いつものバッテリーならここは高めの釣り球を選択しただろう。しかし今回に限って、山郷が指示したのは低めいっぱい。それに応えるようにして、最高の球威を伴ってそのコースを突く。
バキッとバットの折れる音が響く。打球は前に飛んだものの勢いは完全に死んでおり、バントみたくボテボテの当たりがファースト前に転がる。二塁にはとても投げられず、一塁にボールを送りバッターをアウトに取る。
これで二死二塁。ヒットが出たらまず一点を与えてしまうシチュエーションで、バッターは四番シルヴィア・アレクサンドラ。今日の試合で先制となる二点タイムリーを放った、こちらもリベンジしたい打者ではある。
だが、陽目が下した判断は『敬遠』――打者を四球で歩かせる戦法――であった。この一見非情とも取れるそれに、九頭竜坂は納得した風に頷く。ここは個人の感情を優先するべき場面ではないと、彼女自身弁えているのだ。どのみち一点を取られたらほぼ終戦に等しいのだから、強打者を避けるのは当然の選択だと。
指示通り『風神』を歩かせて迎える打者は、今日完璧に抑え込んでいる五番チャーチル。元々がレアとSレア、文字通り格の違いがある。雨傘のような異例な選手でない限り、九頭竜坂には抑えられる自信があるのだ。
それを承知しているのは、錦守とて同じであった。彼はここを勝負どころと睨んだらしく、代打を送り込んできた。その選手名は『検死官(見習い)』と言い、ユニフォームの上から白衣を纏っていた。何とも個性的な男である。
その姿を見て気合が抜けてはいけないと、注意を促す意味を込めてか、綴町は意図的に声量を上げて言った。
「油断しては駄目ですよマスター。あんな見てくれでも、実力は確かです。特にこの状況では、Sレア下位の打撃能力があると言えます」
「何か特殊な選手なのか?」
「はい。あの検死官のアクティブスキルは【死体蹴り(デスキック)】と呼びまして、『三点差以上の状況に限ってこの選手のステータスを全て三段階上昇させる(一試合一回のみ)』という、まさに今の状況では脅威となるバッターです!」
また随分と面白いスキルだなあ、と感心する陽目。彼の素のステータスが『筋力:D- 巧打力:D 走力:E 肩力:F+ 守備力:F- 運:E』と表示されているので、打撃面だけ見ると『筋力:D-→C- 巧打力:D→C 走力:E→D』も上昇しているのだ。まさしく相手をさらに突き放したい際にはうってつけと呼べる選手だろう。
――しかし、そんな選手を前にしても、まったく揺るがないのがSレアであるのだ。
九頭竜坂は近衛に向けていたような熱く滾った闘争心を見せることなく、それと比較すると清流のように澄んだ心のまま彼女は淡々と投球を続ける。
初球、二球目と低めに制球された直球に押され、瞬く間に追い込まれた検死官は、次の三球目の釣り球で空振り三振に仕留められる。
このピンチを抑えた九頭竜坂は、しかし悔しそうに唇を歪めていた。――近衛を打ち取れたとか、それ以前に追加点を取られてしまったのだから、エースの自覚を持つ彼女が喜べないのは当然と言えた。
(Sレア二人相手にしている上に、ステータスも低下してるんだから三失点でも充分に及第点なんだけど……言わないでおこう)
悔しいと思うことは、断じて負の感情ではない。
悔しいと思うことは、次に繋がる糧を得たということで、大成するための芽吹きなのだ。
この試合に万が一敗れたら、まず間違いなく九頭竜坂を盗られるだろう。そうなると記憶を失い、今日の悔しさを忘れてしまうことになる。チームを引っ張ってくれている彼女のためにも、この試合は負けられないものとなった。
試合に負けない理由付けは、とうにできている。
――今すべきことは点を取り、この試合に勝つことだ。そしてそのための準備は、すでに整いつつあった。
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