第三章⑧
四回の裏、『陽目ファイターズ』の攻撃。二番から始まる好打順である。
今までのイニングを経て、陽目の中で増幅していくある一つの疑念があった。
(『風神』のボール……何かがおかしい。捉えたと思った球が、悉く詰まった内野ゴロになっている)
思い返せば、それが生じたのは唯一のヒットを放った九頭竜坂での打席だった。
狙い球であったストレートを完璧に捉えて強振したはずが、何故か内野の頭を何とか越す程度の弱い打球になっていたのだ。ホームランだ、とインパクトの瞬間に確信していたまであるというのに。
二番沫住は五球目の直球に詰まらされてしまい、ボテボテのショートゴロに打ち取られる。今のもそうだ。確かにイメージ通りならショートゴロでなくその頭上を越すヒットのはずだったのが、何故か詰まってしまう。
同調し切れていないのか、と疑うも、それはないと即座に首を振る。一巡してステータス低下分の修正はもう終わっている。守備も投球も、何とか自分のイメージ範囲内に収めた。これ以上ズレを直そうとすると泥沼に嵌まり、フォームそのものが乱れてしまう恐れがある。
(ちょっと、本格的に探ってみようか……)
これでは気になって集中できない。今日できることは今日する。寝る前に翌日の準備はちゃんとする。そうでないと気になって熟睡できないからである。『風神』の手札全てを暴かないことには、追い詰めたところでスルリと躱される可能性もあるのだ。
打てる球を積極的に振っていく作戦から、粘って情報を引き出す方向へシフトする。少しスタンスを広めに保って、バットをやや短く持つ。
一、二球目は一〇〇キロ台のカーブが続き、三球目は甘いコースと見せかけてバッターを釣る縦スライダーを見送ってカウント一‐二。追い込まれたかに思えたが、そこからの三番オーヴィスの粘りは凄まじいの一言であった。
ツーストライクから何と八球もファールで粘り、ボールになった球を合わせると十球にも及ぶ。冷静さを保っていたシルヴィアも、これには僅かに嫌な顔をする。
(ここまで粘っても、違和感の正体は解らず仕舞い、か……。結局は自分の思い違いだったのか…………?)
粘ったお詫びにアウトカウント一つくれてやることはないので、陽目は切り替えて打ちに出ることにした。
十四球目、外に甘く入った直球を引き付けて逆方向へ流そうと――――
「っ!?」
――それなりに強いゴロが、セカンド真正面に転がる。それをしっかりと掴み一塁に送られアウト。これでツーアウトランナーなしで四番の九頭竜坂の打席が回ってくる。
またこの回も無得点か、と半ば切り替えてもおかしくない状況下で、陽目はただ一人冷や汗をかいていた。
(そうだ……どうして気付かなかった。今まで自分が『打ち損じた』と感じた球種は、全部甘いコースのストレートだった…………っ!)
つい先ほどのオーヴィスの打席、それまでファールで粘り、なおかつギリギリまでボールを引き付けたからだろう、断然ボールが良く見えた。故に気付いた。
――『風神』の持ち球は、直球含めての三球種だけじゃなかったのだと。
その第四の球種を白日の下に晒すため、この九頭竜坂の打席を捨てる覚悟で臨む。彼女ならその球種を解らずとも打てるかもしれない。だが、今はここで得点に結びつかないヒットよりもチーム全体の利益を優先するべきだと判断したのだった。
その初球。外角低め――厳しいコースに投げ込まれる直球。今までなら見送っていたこの球だが、九頭竜坂はあえて手を出し、ファールとする。なるほど、と陽目は今の感触で、この球は紛れもなく直球だと確信を得る。
二球目はカーブ。外角に大きく外れるその球を見送ってボール。
続く三球目は真ん中低めに伸びてくる直球。これか、と思ったが――寸前でバットを止める。その球はストンと落下して縦スライダーが低めにワンバウンドして外れる。
カウント二‐一。打者有利のカウント。そろそろか、と彼女は目当てのボールが来ることに身構え、気付かれないように力の入りすぎたグリップを握り直す。
そして――四球目。
ついに陽目らが待っていた球が来た。
それはほぼ真ん中に吸い寄せられるようなストレート。誰もがカウントを取りに来たボールだと疑わずに手を出すであろうそれを、九頭竜坂は強引に右へ流すようにカットした。その感触を得て――――ようやく違和感の正体が見えた。
(今のは――間違いなく『シンキング・ファストボール』)
直球系の一種で、直訳すると『沈む速球』という意味である。その名の通り、通常の速球よりも沈む軌道を通り、バッターを打ち取るためのボールだ。変化量自体は少なく、決して三振を取るようなボールではない。
このボールの厄介なところは、速球と変わらない球速を保ちながら、それでいて僅かに沈むという特性にある。先ほどまでの陽目――おそらくは大名寺も、知らず知らずのうちにやられていたように、一見してそれがシンキング・ファストボールだとは判別できない。意識して目を凝らしてやっとその変化を見極められるのだ。到底、映像などで見分けがつくはずもない。
他の変化球を印象付けて、さも球種は全て晒したと嘯いていたのである。なるほど、だから錦守側は初回で三球種を見せつけたのかと納得する。『風神』という絶対的な強者を得てなお、錦守は鋭利な切り札を懐にずっと忍び込ませていたのだ。
タネが解れば対策のしようはある。敵の手札を一つ暴くことができて満足していた陽目の脳裏に――けれど大名寺の言葉が蘇る。
『――――……「風神」は、風を自在に操る。だけど、きっと、それ自体が弱点でもある…………。それを、できれば忘れないで』
彼女が伝えたこの謎は、未だに解き明かされていない。となると、まだ向こうには強力な手札が一つ眠っていると見ていい。ひょっとすると大名寺の思い過ごしなのかもしれないが、それはないと陽目は確信している。
自分が憧れた人が、伝えるほど気がかりな違和感が単なる勘違いであるはずがないのだ。
九頭竜坂が五球目を打ち上げ、四回裏の攻撃は結果的に三者凡退に終わる。だが、予告してもいいだろう。陽目はそう自信を持って宣言する。
――勝負はこれからだ、と。
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