第三章⑤
試合前夜。
陽目の眼は妙に冴えていた。まるで遠足前の小学生みたいだな、と自分ながらに思う。猛特訓の影響で身体と脳は疲れ切っているので、早めに寝ようとは思っていたのだが、この有り様だった。
別に寝付けないというだけが理由ではない。その時は無理をしてでも目を閉じて睡眠を取ろうと努力する。ただ、頭の中で対策やオーダーを反芻している際、ある種重大なことについて考えることを忘れていたのだ。
(参ったなあ。練習や研究に夢中になり過ぎて、まさか肝心のチーム名を忘れてしまうとは……)
大名寺との練習試合では『陽目チーム(仮)』と名付けていたが、仮にも公式戦の舞台でそのようなふざけたチーム名を掲げるわけにはいかない。
うーん、と慣れないことだけに、知恵熱が出そうになるほど唸る陽目。そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、無論綴町京子である。
「マスター何でまだ起きてるんですか? 喉でも渇きました?」
「あ、いや、実はチーム名をまだ考えていなくて」
「あぁ、そういえばそうでしたね」
「こんな時間まで起きていることに対して怒らないのか?」
「まさか。私だって気付かなかったんですから、責める道理がありません。なので、私も一緒に考えますよ」
すまない、と一言詫びを入れた陽目の隣に綴町が座り込んでくる。いつものユニフォーム姿ではなく、彼女が以前に欲しがっていたパジャマを着ていた。『スタジアム』初勝利の記念に綴町へ贈ったのだ。
「チーム名ですかー。こうして改めて考えると、なかなか思いつきませんね」
「変に凝ろうとするからね。とりあえず『ファイターズ』とかありきたりな名前にしておこうかなって考えているよ。後で変更もできるし」
「まあ、悪くないですね。ぶっちゃけマスターがどんなヘンテコな名前を付けるか、戦々恐々していたんですよ、私は。無難が一番ですね。……いつもそうあってほしいものですケド」
「……もしかして自分怒られてる?」
「ですよ。鈍いですね、ホント」
う、と言葉に詰まる陽目に、それを見てクスッと笑う綴町。今の話の流れを良いことに、彼女はあたかも恨みつらみを晴らすようにつらつらと言い並べていく。
「マスターはいつもそうです。冷静なのか性分なのか、状況判断は適切だと思いきや、平気でとんでもないことをしでかそうとする。聡明かと思いきや、どこか頼りない……」
「耳が痛いな……」
「けど、案外マスターは良い反面教師なのかもしれませんね。この人がそうだから、私がもっとちゃんとしないといけない、慌てないといけない……そんな情念を抱かせます」
耳どころか胸まで痛んできたなぁ、と半ばフルボッコ状態である陽目。傍らの綴町の声は楽しげで、冗談半分にも聞こえる――本気も半分ということだが。
でも、とその声音が不意に変化して、過去を振り返る風なそれになる。
「私はマスターに感謝しているんです。カードの身でありながら、一人の人間として扱ってくれるマスターに、私は救われているんですよ。所有者が変わる度に記憶をリセットされる私ですが、きっとこんなにもお人好しなマスターはいなかったでしょうね」
「…………それは、」
「信条ですもんね。私だけじゃなく、他の選手にも親しく接してくれている……。どんな危機が待ち構えていたって、おそらく選手たちはマスターを信頼して、実力以上の力を発揮してくれるに違いありません。――少なくとも、私はマスターの力になりたいと思っています」
そんなこと言われずとも解っているよ、とは少し気恥しくて声に出すことはできなかった。いつもなら何の気なしに言えるのに、と自分で思わなくもない。
再度彼女の声が変わり、冗談めかした風になって、
「マスターと約束しましたからね。『自分は君と一緒に高みを目指していきたい。だから――どうか自分を支えてくれ』って、自分から一方的に。……私はそれを守ります。だから、マスターもちゃんと約束を守ってください」
彼女の言いたいことが、ここに来てようやく掴めた。陽目は若干顔を緩めて、
「――――解ってる。勝つよ、明日の試合。勝って、君とその上の世界を見るためにも」
答えに満足したのか、うんうんと複数頷いた彼女を見て、彼はそれから時計をチラリと窺った。彼女との約束を果たすためにも、きちんとベストな体調で試合に臨まなければならない。
見ると、時計の針は頂点を越え一時を差そうとしていた。
「そろそろ寝るとするよ。実は明日の試合を思うと寝付けなかったんだが、今なら何とか眠れそうだ。それに寝過ごすと、また君に叩き起こされるからね」
「……良い心がけです。それじゃあ、お休みなさい」
お休み、と返して陽目は自分の部屋へと戻っていった。その道中、彼の胸中にふと疑問が宿る。
「そう言えば綴町も、何であんな遅くまで起きてたのかなぁ?」
かと言ってわざわざ戻って聞くようなものでもないので、彼はそれを忘却の彼方へと捨て去ることにしたのだった。
陽目がいなくなった部屋で独り、そのまま座り込んだ状態で綴町京子はいた。
やれやれ、と呆れた様子で苦笑する彼女は、背もたれに体重を預ける。そして、ポツリと。
「……大事な一戦を前に眠れないのは、私も同じだっていうのに…………」
うっかり眠ってしまわぬよう注意を払いながら、彼女は目を瞑り口を尖らせた。
「それくらい、読み取れないものですかねぇ……。ホント鈍いですね、うちのマスターは」
――――かくして、夜は更けていく。
それぞれが胸に違う思いを宿し、決戦の火蓋は切って落とされようとしている。
その試合の行く末を知る存在はただ一つ――そのシステムを構築した、神様だけであろう。
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