第三章③

 大名寺との試合から、早一週間が経った。結果は六‐三。マシューのリリーフとして出てきた投手から二点もぎ取ったものの、九頭竜坂は七回三失点、後の投手が二回を三失点という内容で、彼女相手ではレア投手はあまり通用しないことが判明した。

 あれからというもの、陽目は自身の練習場に籠り、その試合で見つけた欠点を克服しようとしていた。これがまたそう易々と乗り越えられるものではなく、今も特訓に精を出している。

 練習内容は実戦形式の守備練習。打席には運営から一時間三万円で借りた、ランダムでボールを打ち返す機械が鎮座している。ドラム缶みたいな形状のそれは、九頭竜坂の直球を難なく打ちノッカー役として機能している。それに触発されて、九頭竜坂の投球にも熱が入る。

 大名寺との試合で見えた弱点――それは、投球直後の守備である。

 陽目は九頭竜坂の剛速球を捕球するために、意識の八割を捕手たる山郷に注いでいる。残りの一割を投手の補助に使い、残り一割を守備陣全体に、というとても偏りのある状態だったのだ。これでは打球が前に飛んだ直後の反応がどうしても遅れてしまい、微妙な打球をヒットにしてしまうケースが多々あったのである。目下のところ、この守備反応の修正が最も急務なのだ。

 この問題を修正するには、捕手に割く意識を減らしていくしかない。何球も何球も捕って捕り続け、ひたすら慣れていくしかない。せめて五割程度まで落とせれば及第点だろう。

 今度は打球が右中間に飛ぶ。やや浅めのふんわりと上がった打球。走力の高いセンター小動に絞って意識を集めるが、僅かに届かずヒットを許してしまう。これを見てまだ完全系には程遠いな、と陽目は苦い顔をする。

 ボールをピッチャーに返したところで、その九頭竜坂がおーいと声を上げる。

「マスター、そろそろ休憩に入ろうぜ。守備陣の集中力が切れてきてる」

 そう促されて目をやると、確かにほぼ全員がバテている様子だった。忍耐力のないアイドル戦士など今にもへたり込みそうなほどである。

 時刻を確認すると、練習開始から五時間が経過していた。あまりに熱中し過ぎて時を忘れていたようだ。しまった、と反省する陽目。

 一度休憩に入ろうとナインに呼びかけ、全員がわらわらとベンチまで戻ってくる。綴町がいたのなら「何考えてんですか」と怒鳴られるだろうし、何より彼女なら適度に休憩を取らせていただろう。ただ長時間練習させるだけでは意味がないと、そう理解しているはずの陽目は己の未熟さを痛感している。

 ――そもそも、何故その相棒の制止が今回は入らなかったかというと、今彼女は大名寺蓮華の『昇格戦』を観戦しに行っているからである。

 『昇格戦』に限らず『チーム戦』は原則全て観戦できる。その上、第三者の手によって録画もされているので、直接観戦していなくとも見ることが可能だ。なので、綴町にお願いして録画をしてもらっているのである。誰かから録画データを買うのもいいが、当然お金がかかるので倹約家の彼女は喜んで任されてくれた。

 一試合三時間かかると考えても、もう終わっている頃合いだろう。そろそろ綴町から報告がある頃だ――――、と考えた矢先、通話が入ったとメッセージが表示される。発信者の名前はやはり『綴町京子』であり、それを開いて通話状態に入る。その様子を見ていたらしい九頭竜坂がスポーツ飲料を片手に近寄ってくる。

 早く出ろとソワソワしている彼女の存在に苦笑しながら、彼は綴町の声に耳を澄ませ――――


『――大名寺さんが、負けました』


 彼女からの第一声は、耳を疑う言葉であった。

 脳裏に普段の大名寺の姿がフラッシュバックする。あの大名寺蓮華が敗れた――その事実を素直に呑み込めずにいる陽目を差し置いて、綴町は慌てた風の口調で捲し立てる。

『スコアは三‐〇で、打ったヒットはたったの四本で……って違う! マスター! 今からでも遅くありませんっ! 別の地区から挑みましょう! 相手が、相手が悪過ぎます!!』

 彼女が電話越しにでも慌ててくれているため、翻って陽目は落ち着いてくる。これでは綴町の伝えたいことが半分も読み取れない。とりあえず宥めるために努めて冷静な声で答える。

「落ち着け。いつもの冷静沈着を謳う君らしくないぞ。冷静に、一つ一つ簡潔に教えてくれ」

『は、はい……。大丈夫です、私、冷静です!』

「解った解った」

 はいはい、と流して先を促す。いつもなら食ってかかるだろうが、そうですねとスルーしたところを鑑みると、まだ少し混乱していそうだ。

『……まず、大名寺さんの最大の誤算は相手投手です』

「あの人は九頭竜坂も近衛なら一巡目で捉えることができるんだ。となると、相当高位なSレアなのか?」

『高位……どころか最高位です。野手も含めて、全Sレアの中でもトップクラスの金額で取引される程の。ともかく、録画してるんで一旦そっちに帰ります。……多分、直接観た方が参考になると思いますから』

 不穏な物言いをした彼女は、やはり重苦しい口調で通話を切った。



 野球で打者をアウトにするということは、『殺す』という意味らしい。

 そういう意味で、相手投手が行ったのはまさしく『虐殺』であった。

 現在、綴町がバックネット側から撮影した試合の一部始終を見直しているが、八回まで観て真っ先に出た感想がそれだった。赤子の手を捻じ切るような、そんな一方的な試合。

 九回表、大名寺チームの最後の攻撃が始まる時点で、スコアは三‐〇。そこまで圧倒的な点差ではない――が、実力差と言うべきか、ともかく差は歴然と表れていた。

 画面越しからもヒシヒシと感じられる威圧感は、マウンド上に立つ投手から発せられるものだ。敵チーム――『錦守ハイランダーズ』のエースは、奇しくも九頭竜坂と同じく女性選手であった。

 照明を浴びて輝く銀髪は腰に届きそうなほど長く、九頭竜坂と並び立つ長身。特徴的な翡翠の瞳が端正な顔立ちに良く映える。――そのような余りある特徴を、全て灰燼に帰すのが彼女の投球フォームだった。

 誇示するようなワインドアップから、高々と上げられる脚。――そこから背番号が見えそうになるほど捻り、その力を利用して投じられる球は、大気さえも従えているかのような絶望的な球威を発揮する。ズドンッ!! と一四〇キロ後半を叩き出す直球に、あえなく空振り三振に終わってしまうバッターたち。

 トルネード投法。自身が竜巻と化した様子から名付けられた、かつて日本の英雄とも言うべき投手が生み出したフォームである。欠点もあるとはいえ、身体の回転及び捻りによって引き伸ばされた筋肉の反発作用により、球速・球威が増すという利点もある。

 ここまで『大名寺エンジェルズ』が打ったヒットは四本。三塁すら踏ませないピッチングを前に完封目前となるところで、ツーアウトながらこの日二本の安打を放っている三番・近衛一本に打席が回る。

 結果はすでに綴町から口頭で教えてもらっているとはいえ、知らず知らずのうちに握る拳に力が入る。自分の憧れた人が負ける姿など見たくない。ドッキリであってくれと、願わずにはいられない。

 野球は九回ツーアウトから、という格言もある。最後のアウトカウントが適用されない限り、灯は消えない。勝つチャンスは残っている。

アウトローに決まる直球と、一球ボールを挟んだ後に放られた緩いカーブにより、三球で追い込まれてしまう近衛。あれほど厳かに見えた彼の表情が、若干焦っているように見えるのは気のせいか。

一試合一三〇球投じてもぶれないフォームから、この日最速タイの一四七キロの直球が高めに投げ込まれる。ズドン! と威力ある直球を前に、振ったバットに掠りさえできずにそれはミットに収まった。――収まってしまった。

無慈悲な音声が、ゲームセットを告げる。ここで綴町による録画映像は終わった。

映像が途切れてしまったというのにもかかわらず、その場所をぼおっと睨み付けている陽目に向き直った綴町は、重苦しい雰囲気を振り払って口を開いた。まるで、どんな場面でもマスターの利益を優先する、と言わんばかりだった。

「……以上が、今回の『昇格戦』の一部始終です。正直、私の試合前予想でも大名寺さんが七・三で有利だと思っていたんですが、あのSレア一枚で形成が逆転してしまいましたね」

 そのある種の励ましを無下にしないために、陽目はなるべく平生を装って尋ねる。

「…………あのトルネードの投手は、何ていう選手なんだ?」

「――通称『風神』、と呼ばれています。エレメントシリーズってご存知ですか?」

 カードに並々ならぬ情熱を抱く彼には、彼女の挙げたシリーズ名に聞き覚えがあった。確か、と過去に閲覧したデータを振り返りながら答えていく。

「『火竜』、『水精』、『風神』、『土人』、『空王』の五枚からなるシリーズ、だったな。それぞれが強力なパッシブスキルと高いステータスを持つ、Sレア最高峰の選手たちだ」

 ええ、と頷いた綴町は、その中から『風神』のデータをピックアップしてきて、それをウィンドウに表示する。高名なカードだからこそ、その情報は行き渡っているのだろう。

 そのデータにある顔写真は、紛れもなく試合中に映っていた投手の顔だった。

「正式な選手名は『シルヴィア・アレクサンドラ』。ステータスは『球速:B+ 制球力:B- 変化球:B- 持久力:B 守備力:C+ 運:B+』と高い上に、打者でも『筋力:B- 巧打力:C 走力:D+』とずば抜けています。事実、彼女は四番を任されていました」

 マシュー相手に先制点となるツーベースヒットを放っていたのを思い出す。さすが最高位、と改めて舌を巻く。

 そのステータスを聞くだけでも絶望ものだが、陽目は承知の上で更なる絶望的な情報に自ら触れる。

「……『風神』のパッシブスキルって、結局何なんだ?」

 呼び名からある程度の推測はできるとはいえ、大事な情報だ。信頼できる相棒の口から直接聞いておきたい。

 彼女は遠慮しているのか、「あー」やら「えぇっと」やら詰まっていたものの、しばらくすると吹っ切れたように顔を上げて告げた。

「彼女のパッシブスキルは【風の申し子】です……。効果は『この選手がグラウンドにいる場合、ドーム球場でない限り風を自由に操作することができる』、という至極凶悪なものです」

「なるほどな……」

 自分に都合の良いように風を操れるということは、打者であるならフェンス側へ風を送ればホームランが出やすくなるということだ。逆に相手がホームランバッターであるなら、その逆方向に風向きを変えてやればいい。陽目は純粋に厄介だな、と思った。

 総合力で見ればSSレアにも劣らないと謳われる実力に偽りなし。これでは大名寺が封じられたというのも納得できる。

 ――刹那。陽目の携帯が震え出した。数少ない友人にだけこの携帯の連絡先を教えている。ならば、今の状況でかけてくる人物など、一人しか思い浮かばなかった。

 陽目はその振動を抑え込むように握り締め、慎重に――けれど通話が切れる前にできるだけ素早くそれに出る。ブツッと通信が繋がる音がしたが、電話の主の声は響かない。――あるのは、何か堪えるような吐息のみだ。

 彼は思わずディスプレイに表示されていた者の名前を口にしていた。

「……大名寺さん、ですよね?」

『……………………、うん』

 平生の彼女からは及びもつかないほど、か細い声。今にも崩れてしまいそうな声が返ってきた。今の彼女がどんな心情でいるのか、想像もしたくなかった。

「試合の結果、聞きました。……残念です。自分は、本気で貴方と公式戦の舞台で戦いたかった」

『……………………、うん。ごめんね』

「相手があんな秘密兵器を隠し持っているだなんて、普通は想像だにしません。していたとしても、そんな極小の可能性を考慮してメンバーを組む人なんて、もっといません」

『……………………、うん。ありがとう』

 自殺してもおかしくないと思わせるその声は、ひどく弱っていて、何より震えていた。きっと彼が即興で思い付く言葉で、彼女を本当に励ませるものなんて出て来やしないだろう。彼は誰よりも、己が口下手だと知っているから。

 ――だから彼は、いつものように前を向く言葉を紡いだ。

「――――自分は、絶対に勝ちます。貴方の敵討ちとか、そんな高尚なことは考えていませんけど、絶対に勝ってみせます。だから、その試合見に来てください」

『……………………、うん。――うん……………………っ!』

 自分の決意を述べて、彼は電話を切ろうとするが、それを彼女は懸命に呼び止めた。少年は再び携帯を耳に当てる。

『私はっ、負けて、近衛一本を奪われた。……挑むなら、それ相応の準備を、していった方が良い。あと、「風神」の攻略法だけど…………私には、結局解らなかった。だけど、その糸口は見つかったんだ。……それを、伝えたくて』

 黙ったまま、彼女の絞り出すような言葉に耳を澄ませる。これは、彼女の意志だ。それを一字一句聞き逃すわけにはいかないのだ。

『――――……「風神」は、風を自在に操る。だけど、きっと、それ自体が弱点でもある…………。それを、できれば忘れないで』

 言い切ったらしく、それきり彼女の通話は途絶えてしまった。それをしっかりと脳と胸に焼き付けた陽目の眼光は、いつも以上に鋭かった。

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