第三章 絶望の雨

「――――えー、では! ワタクシ大名寺蓮華の勝利を祝しまして、乾杯っ!」

 いえーい! と喜びを隠さず手に持ったグラスを掲げる大名寺。そして何故か負けた側の陽目らもそれに参加していた。

 彼は当然それを口にする。

「あの、自分負けたんですけど……」

「いいじゃんいいじゃん! 別に嫌がらせでしてんじゃないんだしさー。まあ空気読めないとか思われっかもしんないけど、こういう機会も今後貴重になってくるんだし、まあ細かいことは気にしなさんなって」

「そうですよマスター! ここの御代は大名寺さんが出してくれるそうですから、目一杯食べましょう! ほら、普段食べられないものもどんどん! テイクアウトもしちゃいましょう!」

「…………、」

 どうやら女性陣二人は遠慮と配慮という言葉を教わってこなかったらしい。大名寺はともかくとして、神様に造られた綴町までもがそんな調子とは、きっと創世七日目にさぞテキトーに造り出したに違いない。そうでないのなら全知全能など嘘っぱちだ。

 その二人以外にも、この歪な祝勝会に参加している者がいた。――九頭竜坂雅と近衛一本である。前者は「敵と同席して食べられるか」と最初は吼えていたが、今ではすっかり打ち解けてピザを頬張っている。後者はというと、寡黙な風体を保ち腕組みをしながら目を瞑っている。すぐ近くの喧騒も聞こえていなさそうだった。

 かっこいい、と密かに男心をくすぐられた陽目は、衝動に任せて男に接近してみる。お近づきの印に山盛りポテトを携えて。

 彼があと三歩、というところまで近づいて、近衛が気配を察知したのか目を開ける。本当に瞑目していたらしい。陽目はおずおずとポテトが盛られた皿を差し出して、

「あの……お一ついかがですか?」

「……いらん。妙な気は遣うな。こうしている方が余程心が落ち着くのでな」

「あっはい、すいません……」

 沈黙が流れる。正確には二人の間で、だが。周囲はワイワイとはしゃいでいる。

 ふう、と途端に黙り込んでしまった陽目を見かねたのか、近衛が差し出されたポテトを一つだけ摘み、しっしっと追い払うように手を振る。

「さあ、満足しただろう。私の近くから去れ。そも、私のような男といても楽しくはないだろうに」

「いえ、そんなことないですけど」

「いらん気遣いだな、それこそ。たとえそれが本心だったとしても、今日敗れた相手に対して、そこまで敵対心を見せぬ姿勢が解らん。主より貴様とは縁深き仲と聞き及んでいるがな」

 経緯はどうあれ、少しは会話をしてくれる気になったようだ。これを逃すまいと、陽目は即座に口を開く。

「確かに今日、自分は負けました。うちの相棒がああして騒いでいるのを見て、理解できないと感じるのも無理はないでしょう」

「…………、」

 解っているなら、と怪訝そうな顔をする近衛の言葉を遮るように、陽目はだけどと繋げる。

「――――今日で、『負けた』という経験値は得ました。そういう機会を与えてくれた大名寺さんに、それを感謝することはあっても恨むことではありません。……恨むとすれば、選手たちを上手く操作してやれなかった、自分の力量不足です」

 それを聞くと、男は嘲るでも認めるでもなく、ただ厳格な顔つきを維持している。そこから情報を得ることはできない。

 しばし睨み合いのような時間が続く。それに目敏く反応したのは九頭竜坂であった。

 彼女は立ち上がり、つかつかと歩み寄ってきて近衛と目を合わせる。

「何だい、うちのマスターが何かおかしなことでも言ったか?」

「……いや、そういうわけではない。ただ、理解できんと述べたまでだ」

「どういうことだ?」

 近くから椅子を引き寄せてきてドッカリ座り込んだ彼女は、すっかり話し込もうという姿勢になっていた。同じSレア同士、通じ合うものでもあったのか。

「今の貴様もそうだが、何故敗れた相手と同じ飯を食おうという気になれる? 貴様との対戦成績は三打数二安打。三打席に一本打ったら打者の勝ち、と言われる世界で、貴様は二安打――それもホームランを含める二本の長打を浴びた。完敗に等しい内容だったはずだ」

「ぐぬっ……」

「直球しか投げれん投手のくせに、制球力は甘い球の走りも不完全。勝てたとしても自己満足できる内容ですらない。……私なら、マスターに乞うてでも【帰還】させてもらったであろうよ。――それとも、貴様は牙の抜かれた狗畜生か?」

「てんめえ…………!」

 何か良くない雰囲気だなー、と呑気に構えていた陽目だったが、ようやく異様な空気に気付いたらしく綴町が駆け寄ってくる。

「ステーーーーイッ! ステイステイステイ! アンタらが暴れたら店ん中メチャクチャになんでしょーが! そしたらどんだけ請求されるか解ってんですか!? つーかマスターも静観してないで止めてくださいよ!」

「綴町てめえも俺を狗畜生扱いすんのかゴラーーーーッ!!」

「えええええええっ!? 何で怒りの矛先がこっちに!? へいマスター! ニコニコしてないで助けてくださいよ! ヘルプミー!」

 ガルルッ! と実際に噛みつかれた綴町をよそに、席を立った近衛は大名寺の側まで歩み寄る。良く聞き取れないが、おそらく【帰還】させてくれとでも頼んでいるのだろう。

 彼女は一言二言苦言を呈してから、男をカードへ戻そうと――――

「――おい近衛一本ォおおおおッ!!」

 呼び止めた九頭竜坂の凛々しい声が、近衛の動きを止める。彼はこちらへ振り向く素振りを見せず、ただ耳を傾けていることだけは解った。九頭竜坂もそれは理解したらしく、それ以上を求めず叫んだ。

「いいか! 今日は俺の負けだ! ただ次はこうはいかねえ。ぜってー三振に切って落としてやるから覚悟しておけよ!」

「……………………、」

 その一言を確認してから、大名寺は改めて男をカードへと戻した。

 結局、最後まで彼は九頭竜坂の相手をまともにしなかった。

ただ、彼女の宣言の直後。

 ――近衛一本の唇が僅かに歪んだのが、見えた。それは笑みだった。それがいったいどんな意味を持つのか、この時の彼らにはついぞ解らなかった。

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