第二章⑨

「――ライト!」

 近衛一本に運ばれた打球は右中間を鋭くライナー性の打球で破った。陽目は意識を打球処理を行うライトに五割、三割を中継役のセカンドに、そして残りの二割はカバー役のその他の選手に割り振った。

 フェンスに到達した打球を即座にセカンドへと投げる。その際に見えたバッターランナーはすでに一塁を回って二塁を陥れようとしていた。やや余裕を持ってスライディングした近衛はそこで止まり――結果はツーベースヒットとなった。

 ツーアウトが一転して先制点をやるピンチに切り替わる。Sレア対決の初戦はまず、大名寺陣営の近衛一本の勝利に終わった。

 陽目は一度タイムを取らせて、自分自らマウンドへと足を運ぶ。脳内で回線を繋げて会話することもできるが、九頭竜坂がそれをあまり好まないための配慮である。その傾向は彼女だけに止まらず、他の選手にも当てはまる場合がある。山郷やマシューは平気らしいが、九頭竜坂は「何かこそばゆい」そうだった。

 山郷も呼び寄せて、三人で話し合いを始める。

「今のボール、君的にはどうだった?」

 まず第一声を放ったのはマスターたる陽目であった。彼は捕手側に意識の大半を割いているため、投手の感覚までは掴めていないのだ。

 問われた九頭竜坂は「あー」と耳たぶをいじりながら、

「……今の自分に投げられるだけの真っ直ぐは放ったつもりだ。けどあのバッター、存外やるな。伊達に俺と同格じゃねえらしい。悪いが、マスターの補助なしにアイツを抑えるのは至難の業だな。まっ、スキルでも使わせてもらえばそれも可能だろうが」

「……まだ回が浅いから、先に切り札を切るわけにはいかない。それに、あれはデメリットも大きい。使いどころは選ぶべきだ」

「へいへい、解ってんよー。とはいえ、次はレア打者だ。四番任されるくらいだから、最高位の打撃ステはあんだろうけど、まあ三番よか遥かにマシだ」

「油断しちゃいけないよ。自分が手助けしてあげられたら確実に仕留められるだろうけど、まだそこまで手が回っていないことはすまないと思ってるけど」

 現段階の陽目では、未だに捕球に全力を尽くさなければ捕ることもままならない。その弊害の一つとして、九頭竜坂には辛い思いをさせていることには本当に申し訳ないと感じているのだ。

 マスターの謝罪を、けれど彼女は笑って水に流した。

「はっはっは。抑えるのがエースの役目ってね。点を取られるのは投手の責任、点を取るのは打者の役目。その分点取ってくれりゃあ文句なんて湧くはずもないさ」

「……その打撃でも、君には四番を担ってもらっているわけだけどね」

「あっはっはっは。なるほど、確かに。エースで四番、こりゃあ責任重大だ。勝つも負けるも、その手綱を握るのは俺とマスターってわけだな。言わば運命共同体ってやつか?」

 ともすれば皮肉と受け取られかねないセリフも、九頭竜坂が言えば不思議とそんなマイナス方面に取ることができない。それは彼女の本心からのものだと解るからであり、彼女の人格であるからだ。

 励まされ、これではどちらが監督か解らないな、と苦笑する陽目。能力欄を見た時、綴町は微妙そうな顔をしていたが、今となっては彼女で良かったと口を揃えて言える。大黒柱を担うのが、彼女みたいな選手で良かったと。

 お互いに定位置へと戻り、プレーが再開される。相手四番の大津山は『筋力:C 巧打力:C-』の値を持つ。Sレアとも遜色ない打撃能力だが、その分守備力が低い。DHでもあれば頼りになる存在だ。五番打者も筋力値は『C-』と高いが、代わりに巧打力が『E+』と確実性に欠ける。幸い一塁は空いているため、より多く得点されるリスクはあっても〇点で抑えられる確率も増すのだから、思い切って四番を歩かせるという選択肢もあるにはある。

 けれど、これはあくまで練習試合だ。勝つことは重要だが、目的は試すことにある。まだ実戦経験の薄い陽目は目的を持ってこの試合に臨んでいる。当然勝ちたい気持ちもあるが、それが一番大事なわけではない。

(ここは勝負だ。今は一刻でも早く、九頭竜坂の球に慣れておきたい。これ以上、彼女に損な役回りを引かせるわけにはいかない)

 陽目にはある程度四番を抑えられる勝算はあった。それは、大名寺の意識の分割である。

 ランナーなしの状況なら、監督はそのバッターだけに集中できる。フルダイブしても何ら問題はない。だが、今のように走者が塁上にいるのならその選手にも意識を割かなければならないのだ。打者に七、八割は重きを置くとはいえ、それでも確実に弱化しているのは間違いない。ランナーを無視して、カード自身の自我で勝手に動いてもらうこともできるが、それでは単打一本で帰る確率はやはり減少してしまう。一長一短、ということだ。

 彼もまた、意識の大半を山郷に傾けつつも他の守備陣にも全体的に薄く振ってある。これは打球処理を迅速に行うためだ。山郷は足に根を張るようにどっしりと構え、ミットを構える。コース要求は敢えてアバウトに、球威そのもので抑え込もうという大雑把な作戦――作戦とも呼べないもので、今のバッテリーは勝負するしかない。

 これまでは九頭竜坂の全力投球を捕球する自信が欠けていたから自制していたが、先ほどの近衛にはツーベースを打たれてしまった。慣れていないはずの剛速球をこうも早く攻略されたとあっては、これから先のイニングが思いやられる。

 そんなネガティブ思考を振り払い、現時点での自分にできる最良のピッチングを目指し、彼は内角へとコースを指示した。高低は投手のリリース次第だ。内角は基本的に引っ張り打ちをしなければならない。速球であればあるほど、それは難しくなっていく。ぶつけてしまう危険性もあるが、それを恐れていては抑えられない。

 セットポジションの恰好から、鍛え抜かれた強靭な下半身主導の投球フォームから、力強いボールが初球右打者の内角を抉る――――

 ――刹那。

 山郷の視界に突然何かが横切った。その何かがバットだということは、その後に続く打撃音により識別できた。

 そう、確かにボールを捉えた音が眼前で響いた。多少詰まったものの、その打球は三遊間後方へフラフラと上がり、陽目はサードとショートの意識を補佐してそれを懸命に追いかける。――が、それも及ばず、ポテンとバウンドする。レフト、ショート、サードのちょうど中間くらいの落下地点。ツーアウトだったので、二塁ランナーは恐れもせずに猛然と三塁を蹴る。

 レフトのカルロスが全速力で前進してきて、ボールを捕ると同時にバックホームを行う。『肩力:D-』の選手でも間に合わず、近衛がホームイン――――『大名寺エンジェルズ』に先制点を取られてしまう。

 バッターの足が遅かったため、その間に二塁へ進まれることはなかったが、それ以上に守備側の傷は深い。

(さっきの打席……完全にインコースだと読まれていた。タイミングを調節するためにただバットの出を早くした、って可能性もあるけど……おそらくそれはない。ボールが九頭竜坂の指を離れる直前、あの四番は平行だったスタンスをオープンへと変えていたからだ)

 マウンド側の足を引いて、身体を開いた状態で待ち構えていたのだ。窮屈でなくなる分、インコースは打ちやすくなるが代わりにアウトコースに届かなくなってしまう。故に、大名寺は内角に山を張っていたということになるのだ。

 この一点は紛れもなく配球ミスだ、と心に深く刻み込み、次打者をセカンドフライに打ち取りスリーアウトチェンジとなった。点差は早くも一点となっている。

 全員がベンチに引き上げ、陽目は自分から率先して九頭竜坂にタオルを渡した。それを受け取った彼女は「サンキュー」と笑い、汗を拭いながらベンチに腰掛ける。

「いやあ、敵さんのマスター、思った以上に手練れだったようだな。耳に入れてたはずだが、軽く考えすぎていたかな?」

「……あの失点は自分の責任だ。完全に読み切られて、打たれた。これ以上ないくらいの敗北だよ……、マスターとして」

 ふーん、とタオルで顔を拭いているために彼女の声が少し籠った調子になる。それからそれを首に回して言った。

「じゃあ、その一点はアンタの責任だな。――だから、まあ、今は相手のピッチャーに注目しようぜ。点を取るのこそ、アンタら打撃陣の最大の責務ってやつだろ。ほれ、今まさに投球練習してるぜ」

 グイッと人差し指で彼の頬を押し、強引にマウンドへと顔を向けさせる。あの剛速球を生み出すその指先は、とんでもないほどに力強かった。

「あー喉乾いたー、綴町スポドリくれー」と九頭竜坂は陽目の視線を固定させ終えると、ベンチ裏へと引っ込んでいった。自分がいては気を遣うやも、という配慮か。ありがたかった。

 その厚意を無駄にしないため、彼はマウンド上のマシューの一挙手一投足を細部まで凝視する。マシューは投球練習でも遠慮なくナックルを放る。相手打者に情報を与えるより、捕手に慣れさせることの方が重要だからであった。陽目は今までにバッテリーを組んできた観点から、その男の調子やタイミングについて情報を整理していく。マシューが不調の場合、ナックルに僅かでも回転がかかってしまい棒球になってしまう、というケースが不定期的に表れるのだ。

(とはいえ、大名寺さんが試合で体調管理ができてないなんて想像できないから、あまり当てにしない方が良いだろうな。とにかくタイミングだけは改めて思い出しておくか)

 ベンチ内で脇を締めるだけの素振りを繰り返す。無論バットは持っておらず、脇を締めてシャープに振れるようにと確認しているに過ぎない。その動作はほとんどのバッターに共通する所作だからである。

 既定の投球練習が終わり、アナウンスに促される形で『チーム陽目(仮)』の一番打者、小動(こゆるぎ)がバッターボックスに立つ。全体的に目立った欠点の見当たらない選手だ。

 スイッチヒッターの彼は、マシューが右投げのため左打席に入る。バットを寝かせた状態で構える。ボックス内で投手寄りに立つことで変化しきる前に叩こう、という判断である。

 まずは初球。当然の如くマシューご自慢のナックルを放ってくる。無回転のボールは、風の影響を受けることで揺れ始め、重力に従い落ちる――――

 ストライク! とコールが為される。ちなみに審判は運営側が貸し出している人形人が務めている。塁審も同様だ。

久しぶりに打者視点で見たナックルは、想像以上に打ちづらそうだった。適当打ちしても芯に当たる確率はかなり低いだろう。故にホームランや長打は期待せず、単打で繋いでいく攻撃を心がけるべきである。

小動は先ほどよりも短めにバットを握った。ミートしやすくしたのだ。マシューの変化球は『C-』なので、九頭竜坂みたく圧倒的に偏っているわけではない。完全試合や奪三振二桁を悠々と成し遂げるタイプの投手ではないのだ。なら十分に付け入る隙はある。

――その後、一番は六球、二番は七球で打ち取れられ、一回の裏の攻撃はすでにツーアウトとなっていた。絶対的な投手でなかろうと、それでもステータスがレアの中では優れていることには違いない。元より、陽目はこの回で攻略してしまおうなどという夢物語を語るつもりは毛頭なかった。

(野球は九回まである。たったの一点くらい、まず追いつける)

 といっても、野球には完封負け――一点も取れずに負けること――もあるが、それを恥と意識しすぎて凡打の山を築くのは愚の骨頂である。落ち着いて打てる球を見極めていけば、何点かは取れるだろう。

 だから、今の彼は点を取ることに躍起になっていない。

(一刻も早く九頭竜坂を援護したいが、連打を重ねないと大量得点は望めない。マシューは典型的な百球肩だ。何とか五回までに降板させて二番手以降を打ち込みたい。だからここは待球作戦でいく)

 マシューは百球前後まで投球数がかさむと、疲労が溜まりピッチングの精度が目に見えて落ちる。どれだけ長くても、七回投げ切れば満点といった投手。

 大名寺の二番手投手は速球を中心とした投手で、そちらの方が陽目にとっては打ち崩しやすい。何しろ、彼は九頭竜坂の剛速球を何百何千と受けてきたのだ。一四〇前半くらいの投手ではかなり見劣りしてしまう。まあ、変化球を投げられてしまうので一概に攻略可能とは言えないが。

 陽目は序盤をあえて半ば捨てることを決定した。ツーストライクまでは失投やストレート以外には手を出さず、追い込まれてからは徹底的に当てることに尽力する。結果、一、二番はそれぞれファールで二球ずつ粘っていた。続く三番も同程度粘れば一イニングで二十球、五回で早くも百球に到達する計算だ。

 三番打者オーヴィスもそれに倣い徹底的にボールを絞っていく。そしてカウント二‐二で次が七球目となるところまで粘り打ちに徹していた。

 当てることだけに集中しているが故に、なかなか三振を許さない各打者だが、陽目はここまでの投球を生で見て、

(――うん。打てないこともない)

 と、確証はないにしてもそれを実感しつつあった。

 長く受け続けてきたからか、初対戦の時以上にボールが追えている。この調子なら打者一巡する頃には捉えることだって可能だろう。

(目標の球数だった二十球にも届いたし、ここはちょっとヒットを狙いにいこうかな?)

 タイミングはほぼ完璧に掴んだ。先刻まで軽打を徹底していたため、通常より緩く握っていたグリップに込める力を元へと戻す。イメージとしてはセカンド方向へやや流す感じで溜めて打つ。しっかりとボールを呼び込んで、ちょうどカーブ打ちの際の心積もりで待ち構える。

 ――結果論になるかもしれないが、この打席はあえなく凡退に終わる。

 思い返せば、彼女ほどの手練れが気付かないはずがなかったのだ。きっと、大名寺は感じ取っていたのだろう、相手が一転ヒッティングに出ることを。

 だからこそ、彼女はマシューに投げさせた。

 ――――一二〇キロ台のストレートを。

「――――――――――――――――――――――――ッ!?」

 完全に不意を突かれたために、陽目の口から驚愕の息が漏れ出る。意表を突かれた、といった様子がありありと窺える表情に歪む。

 彼とてマシューにストレートを投げさせてこなかったわけではない。しかしそれはあくまで『見せ球』としての配球で、それこそストライクゾーンに放ったことはおそらく一度もない。そもそも、彼の直球はナックル時とフォームが少し変わってしまうため、正直なところ『投げられなかった』というのが本音である。

 だが、大名寺蓮華はそれを逆手に取った。おそらくは、短期間でマシューのフォームを矯正したのだ。加えて打者の打ち気を見透かした洞察力は、見事と言うほかない。

 咄嗟に手を出したものの、インコースに来たそれはどん詰まりのファーストファールフライへ変わる。一点を先制した相手チームと対照的に、球数は稼いだものの三者凡退に終わってしまった陽目陣営。

 悠々と引き上げていくマシューに目を奪われたまま、陽目は少しの間オーヴィスの身体を借りたまま呆然と突っ立っていた。そこへ陽目葵自身の身体を揺することで、意識を引き戻した人物がいた。――綴町京子である。

「マスター、次は守備ですよー」

「……ああ、解っているさ」

 各ポジションに就こうという選手たちを見送る傍らで、心配そうな表情をする綴町。言うべきか言わざるべきか迷っているようで、口元に手を当てて困っている様子だった。

 そんな相棒に気付いたマスターは、同じく困った風に首を傾げた。

「言わずとも解っているよ。今の攻防、もろに監督としての技量の差が窺えた。……だからと言って落ち込んでなんかない。むしろ興奮してきた」

「そんな無表情で言われても説得力皆無です……」

「えっ、解らない? 今自分、物凄く滾ってるんだけど」

「仮面の下の表情を言い当てるくらい難度高いですよ!」

 ええー、とその声音は心外そうだったが、やはり顔は無表情を貫いていた。解りづらいな、と相変わらずのマスターに苦言を呈しながらも、彼女は「じゃなくて」と軌道修正をした。

「滾るっておっしゃってましたけど、そんな要素ありましたっけ? ……ま、まさか、負けることに喜びを見出すマゾヒスト……!? いかん、いかんですよ! 私まで路頭に迷ったらどーするんですかーっ!」

「いや、そういうんじゃなくてね……。今の投球――ストレートに自分が騙されたのは、バッテリーとしてマシューのことを誰よりも知っていたからだ。もちろん、明確な欠点を補うためという事情もあるんだろうけど…………、それを、わざわざこの練習試合で晒してくれたことが嬉しく感じてしまったんだ」

「…………、」

 そうなのだ。これは練習試合で、全ての手札を見せる必要はない。大名寺がこの地区のGランクマスターに挑むということは、それに勝った場合この地区は彼女が治めるということになる。そして、陽目が同地区でGランクに上がるには、彼女を倒すほかないのだ。

 近い将来、敵になり得るマスターを前にしてなお、大名寺は今隠すべきカードを切った。遠回しに解釈すると、それは彼女も正々堂々と勝負しようという意思表明にも取れるのだった。

 押し黙る綴町に対し、そんなことを饒舌に語る陽目は、

「自分は彼女にとってもライバルとして認められているんじゃないかって――そう思えるんだよ。……これは自惚れかな?」

 と締めくくった。その感傷に浸食されたような言葉を聞き、綴町は答えた。

「そうですかね。案外、将来敵になっても怖くないって思われてる可能性もありますよ。大名寺さん、意外と好戦的ですし」

「ここは『そうですね』だけで良くない?」

「甘いですね。マスターの考えが事実としたら、切り札というべきものをこの場で切ってしまった彼女が甘々で、私の考えが正しいのなら貴方が甘々です」

「そういう君は辛口だな……」

 どこまでも利を重要視する相棒に、ううと気圧された後も試合は続いていく。



 試合は中盤――四回の表へと入っていた。

 初回以降、一人のランナーも出さない九頭竜坂は、さすがSレアと言うべき活躍ぶりであった。奪った三振は早くも五個目。その豪快なピッチングで相手打者を捻じ伏せるようにアウトを積み重ねていく。

 一方でマシューは、二回裏に四番九頭竜坂にヒットで出塁を許すも後続を断ち、ここまでゼロで相手打線を封じ込めている。こちらは相変わらず打たせて取るピッチングが中心となっている。

 共通していることは、お互いこの四回の攻防が試合の鍵を握っているのだと、認識していることだろうか。

 『大名寺エンジェルズ』は三番近衛一本から、『チーム陽目(仮)』は二番沫住から始まる。二回り目を迎えて、上位打線から始まるその攻撃次第で、この試合の主導権の所在はほぼ決まると見ていい。前者は追加点を、後者は最悪同点に。相容れぬ思惑が交差するイニング。

 ――そんな、重要なイニングで。


 ――――カンッ! と。

 真芯を食った時の小気味良い音が、響く。


 近衛一本の振り切った末の打球は、大気を切り裂きながらグングン伸びて、伸びて――対なー性の打球のままスタンドへと飛び込んだ。

 ホームラン。前向きに捉えるとしたら、それは走者なしの場面で良かったといったところか。けれどまたもや一点取られたことには変わりない。しかも、初回のようにミート中心のスイングではなく、振り切ることを意識したそれ。

(タイミングをほぼ掴まれたか……。少なくとも、近衛一本を抑えるのは単純じゃなくなったろうな)

 強敵が難敵へと変貌する。つくづくコースを突く以前の問題で足踏みしていることが惜しくて仕方なかった。これも自分の力不足が原因なのが、余計に。

 後続を一人歩かせてしまうものの、何とかホームランの一発だけに留めて、スコアは二‐〇と変わった。まだ巻き返しの利く段階とはいえ、そろそろキッカケの一つや二つ築いていきたいところだ。

 幸いこの回の先頭打者は二番。マシューの球数はすでに七十球に達している。もう少しで疲れが見え始めても不思議はない。まあ、楽観的に寄っていることも認めるが。

 一‐一での三球目、沫住は少し高目から落ちてくるナックルを狙った。内に食い込むように曲がったそのボールを、詰まりながらもレフト前に持っていく。その後、陽目は悩んだ末にチーム有数の強打者、オーヴィスにバントの指示を下した。何とか転がし、ワンアウト二塁のチャンスを作る。

 ここで回ってきたバッターは、一打席目にヒットを放っている四番九頭竜坂。

 投打の軸であるという責任感と、取られた失点を取り返そうという意地を抱えて、彼女は打席に立つ前に一度素振りをする。ブンッ! と凶悪な風切り音は、相手バッテリーを威圧しているようだった。その力強い振りから、彼女の筋力値が『B』もあるのだと実感させる。

(巧打力は『E-』だけど、さっきの打席は腕力で強引に外野へ運んだ。当てさえすれば内野の頭を越えることは可能だろう)

 要は、彼女の打席では他とは違った心持ちで挑むのだ。他はとにかく当てることに専念するが、九頭竜坂の場合は強く振ることを意識する。各打者の特徴に合わせて戦い方を変えるのだ。

 この試合二度目のピンチに、相手バッテリーも一層慎重に攻めてくる。ワンバウンドしそうなほど低めを狙い、最悪歩かせても良いと考えているのかもしれない。それくらい徹底した攻めを見せる。

 ――ならば、その低めを狙い打てばいい。

 九頭竜坂はギリギリまでボールに対して待つのではなく、身体を泳がせるように前へと傾けて、自らボールを迎えにいった。当然力強いスイングなどできようはずもないが、それでも結果として落差の小さく見えるナックルを打った。その打球は高くバウンドしながら投手の頭上を越え、そのまま二遊間を抜けていった。陽目と意識を共有していた沫住は、スタート良く走り勢いそのままに三塁を蹴る。ボールはショートに中継されたところでストップし、彼女は余裕を持って生還することができた。

「うおっっっしやァあああああああああああああッ!!」

 歓喜を露わにしたのは綴町であった。陽目はというと、彼女に先を越されてしまったためとりあえず握り拳を一塁にいる九頭竜坂に掲げる。彼女もそれに気付いた様子で、白い歯を見せながらガッツポーズをしてみせた。

 これで二‐一。その差は再度一点に縮まった。

 このまま押せ押せムードかと思われたが、次の打者を併殺に打ち取られてしまい、四回裏の攻撃は九頭竜坂のタイムリーの一点のみで終わった。だが、確実にマシューを捕まえてきている上、彼の球数は九十を超えた。長くても五回を投げ切らせる程度の余力しか残っていないだろう。

(いや、むしろこっちの方が重大か)

 九頭竜坂の球数も、四回を投げ終えて七十一球だ。このペースだと九回投げ終えたら一五〇球を超えているはずだ。マシューより持久力に優れているとはいえ、それほど投げさせられたら到底持たない。

(……やっぱり途中でリリーフを投入するしかないかなぁ)

 一応予定ではレア投手を登板させるつもりだったのだが、どこまで高い水準を保って投球できるかを確かめることを第一に据えていた。つまり九頭竜坂の限界値を探る予定だったのだ。

 現在の彼女は見かけピンピンしているものの、責任感の強い選手なのでスタミナに関しては

細心の注意を払っていた。一応ライトの守備適正があるので交代させるつもりである。打撃でも中心の彼女を外すわけにはいかない。

(一二〇くらいなら持つだろうけど、完投させるというならもっと省エネピッチングを心掛けないと……。でもそれをすると、彼女の持ち味である奪三振能力が薄くなるしなあ……)

 強力なSレアを手に入れたとしても操作が楽になったかと言えばそうではなく、むしろ悩みの種は増えただろう。同調させるのも苦労するし、監督として試合全体を通して判断しなければならない。Sレアでこれなのだから、SSレアにもなればどれだけ気苦労を背負う羽目になるのか皆目見当もつかない。つくづく上のランクは化け物揃いだ。

 そういうことを考えているはずの陽目は、されど気付かない。

 ――自身の顔に、小さな笑みが刻まれていたことを。

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