第二章⑧
ズバンッ! と轟音が炸裂する。
一回の表――大名寺陣営の攻撃。一番スアレスの打席。操作すべき選手が一人しかいないため、ほぼフルダイブ状態でSレア投手と相対している彼女は、初球の真っ直ぐを見送った。ストライクだった。
現行掲示板に表示される球速には、一四九キロと計測されている。今までに感じたことのない速さと威圧感。初っ端から『スタジアム』との格差に阻まれる。
(はえー。『球速:A+』とか異次元過ぎて想像もできなかったけど、こんなに速いのか。いや、まだ上限にはまったく達していないはず。『A+』ならおそらく、マックスは一五〇キロ後半……。レア相手だから流そうって魂胆かな?)
ともすれば舐められていると受け取られてしまうその行為を、しかし大名寺は好意的に受け止めていた。
(ピンチならともかく、初対戦の打者――それも格下相手に全力を見せる必要性は薄い。九回通して投げ切らせるつもりなら、その選択は必然……。これもまた全力のうちの一つだ)
それとも、あまりにバッテリーの実力差が噛み合っておらず、全力直球を捕れないのか。どちらにせよ、今は球筋に慣れていくことの方が先決だろう。
二球目。投じられた剛速球に対し、今度はバットを振る。だが、ボールは予想以上に上の軌道を通り空振ってしまう。今のはややボール気味だったか、と口元を歪める。
一度目を瞑り、度肝を抜かれた心を落ち着かせると同時に、二度目に焼き付けた球筋を瞼に反芻させる。常道なら一球外すだろうが、陽目自身無意味なボール球を投げることを嫌う癖があり、かつこの直球しか持ち球にない投手にセオリーは通じないかもしれない。投手によってリードなんてものは何通りも生まれるのだ。
――三球目。そのボールは高めに投げ込まれた。ある程度予測していたにもかかわらず、スアレスはこれを空振り、三振に終わる。速球投手には高めの釣り 球、ここはセオリー通りの配球であった。
高めのストレートに、低めに落ちる変化球。この二種類は三振を取る際には有効なボールとされている。後者はストライクからボールになるのが一般的で、見極めきれなかった打者を振らせてしまうボールだ。一転前者は変化しない分終始ボールになる軌道を通るが、案外振ってしまう領域である。「目に近いから反射的に振ってしまう」だの、「低目が基本なので失投かと思って振っちゃった☆」だのと、理由ははっきりしていないが。
(おまけに、ラストはちょいと力を込めたのか、一五一キロも出てる。葵くんの術中に嵌ったってトコかな)
大して後悔する必要はない。次の打者も操作しなければならないし、まだアウト二十六分の余裕がある。じっくり料理していけば問題ない。
(とりあえず、一回バットに当てたいなぁ。どんくらい球威あるか知っときたいし、当たらんことにはタイミングも球筋も正解が解らず仕舞い、なんてことにも繋がるからねえ)
二番片桐の意識を借りて打席に入る。この少女のステータスは平均的で、打撃ステは物足りないといったのが一般的な評価――愛くるしい外見故、一部ファンも多い――だが、バントなどの小技が上手い。これは俗に『隠し性能』と呼ばれており、スキルでもステータスでもない、『第三の性能』と評されている。その選手の性格云々を反映させた結果とも言われている。
だからこそ二番に据えたのだが、ランナーなしではどうすることもできないかと問いかけられれば、それは違うと大名寺は首を横に振る。
打者の目標は、もちろん塁に出ることだ。それがホームランや打点に絡むものであればなお良い。しかしそんな単純なスポーツならば、ここまで野球は人気になっていない。ヒットを打たずともチームに貢献できるからこそ、野球は万人に好かれ得るのだ。
この片桐の打席は、一度でもバットに触れることを最低限の目標とする。それをクリアするにはまず、どれだけ自分の認識とボールにズレがあるか、それを埋めにかかる。
速球は総じて、伸びるとされている。実際に重力に逆らって上昇している訳ではないが、目の錯覚でボールが伸び上がっていると勘違いしてしまうのだそうだ。彼女は自分の予想よりも高くでバットを振ろうと心に決め、直球を待ち構える。
初球。唸りを上げる剛速球がへそより若干上の軌道を描こうとする。ボールの上っ面を擦るイメージでバットを振るも、それに手応えは伝わらず空振りの結果が残る。もう少し上か、と修正を施す。
続く二球目。先ほどとは違い低めに制球された直球がズバッと決まる。それに手が出ず判定はストライク。またもや二球で追い込まれた。
(あのコースに決められちゃあしょうがない。さっさと切り替えて狙い球を待とうか)
されど慌てる素振りを露とも見せずに、彼女はバットのヘッドを立てて待つ。それが小刻みにゆっくりと前後する。
さて、三球目はさっきの打者と同様に高めに放ってくるだろう。ストライクを狙うがボールでも構わない、という心構えで投げるだろうから、安易に見逃すわけにもいかない。この打席は元より捨石。次以降に繋がればいいと考えている。
――決め球は、やはり高めのストレートだった。しかし前打席とは変わって、ストライクゾーンに投げ込まれている。片桐はそれを、待っていましたと修正し終えた予想軌道を沿うように振った。
チッ、と。
スイングしたバットに一五〇キロの速球が僅かながら掠り、そのボールはピッチャー前の小フライとなった。当然苦もなくそれを捕球した九頭竜坂だが、その顔には不満の色が見て取れる。こんなに早くも当てられたことが不満なのだろうが、今のは当てただけで到底ヒットになるスイングではないのだ。それを承知している陽目なら、良いように宥めることだろう。
しかし、この打席は非常に大きなものだ、と大名寺は確信していた。
(予測よりボール二個分ほど上か。なるほd、道理で普通に振っても当たらないわけだ。上のランクへ行けばこういう投手も増えるだろうし、良い練習になりそうだ)
――一、二番が簡単に打ち取られ、すでにツーアウト。この回は〇点で終了か、と思われがちだが、大名寺にとってはそうではない。必ず初回で回ってくるようにと、三番に自チーム最強打者を置いたのだから。
――――名を、近衛(このえ)一本(いちもと)。高いレベルで纏まった平均的なステータスに、強力なパッシブスキル。おまけにアクティブスキルも兼ね備えている。立ち上がりに難がある投手を、容易くマウンドから降ろさないための打者。
(見たところ、制球力は『C』あるのにそうとは思えないくらい荒れている。単に調整不足なのか、それともまだ扱い切れていないのか……。相当癖のあるタイプっぽいから、多分後者だろうねー)
大名寺も近衛の力を引き出すべく日々邁進しているが、どうにも全力を解放しきれていないことに首を傾げているのだ。捕手との実力がマッチしていないのだから、自分以上に彼は大変だろうと推測する。
――まず前提として、ステータスが高いからといって強いということにはならない。もちろん、期待値は高いのだろうけど、その選手を完全に操作しきれなければ宝の持ち腐れとなってしまう。投手にも打者にも、それぞれが磨き上げた『型』というものがある。あくまでカードにとっては設定なのだが、筋肉の付き方一つでスイングも変わってくるのだ。つまり、その個人個人に見合った『型』を身に付けないと、ステータスに匹敵した実力派発揮されない。オーバースローの投手をアンダースローで投げても無駄、というわけだ。実際、引いたばかりのSレアよりも、熟練したレア選手の方が成績は上向くともされている。
それでも、磨けば伸びるのはやはりSレアなのだが。
(ここ毎日、近衛ちゃんとの練習は欠かさずやってきた。まだ完全体とは言えないけど、それでも長くとも十日しか互いに同調していない君たちコンビには、負けないよ)
球筋もある程度は見極めた。さすがにこの打者には全力投球してくるだろうが、それを跳ね返すだけの鍛錬は積んでいる。打つ自信はある。
その初球。警戒心の表れか、コースを敢えてアバウトにしていたバッテリーが外角に投げ込んできた。これは若干外れボール。
次の二球目。全体的に真ん中よりだが内角低めに決まってストライク。カウント一‐一。
三球目がストライクなら追い込まれ、圧倒的に投手有利のカウントが作られる。高めの釣り球か、それをチラつかせての別のボールか。主導権はバッテリーの手中に収まってしまう。
しかし、それがもしボール球であったなら、カウントは二‐一となり圧倒的とは言えないものの打者有利となる。何故なら、四球目でストライクを入れなければならないと、投手心理に揺るぎが生じるからである。コントロールに不安を抱える九頭竜坂ならばそれは明白だろう。
なので本来、次にストライクを入れてくるのが定石だけれど、それを見越してわざとボールになる変化球を投げてくる可能性もある。その可能性も、直球しか持たない彼女には難しい注文ではあるが。
(最も嫌なのが、歩かされることだねぇ。終盤まで手の内隠しされる方が余程厄介だ)
陽目がどう攻めるか、彼女は内心ワクワクしながらボールを待つ。
――そして、その注目の三球目。投じられたボールは勢いよく高目を突いてくる。ごおお! と風を切り裂きながら――――
――――カッ! と、乾いた打撃音が鳴り響いた。
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